弘前市民劇場の定時総会が終わった。僕は、ちょうど5年間続けた、運営委員というポストを降りた。
 運営委員というのは、総会で決定した方針や予算に基づき、日常的な会務を担当する、一般的に言えば”執行機関”だ。それはそれで、けっこう忙しい。毎月最低1回は会議がある。委員に成り立ての頃は、ちょうど年度末の役員改選期にあたったため、週に何度も行なわれたこともあって、とんでもないところに入ったと、正直に思った。
 演劇を観る当日には、昼から搬入を手伝い終演後は後始末をして帰る。どうしたら会員を増やすことができるかを考え、お話し会や映画上映会等の企画も立てて実行する。忙しいながらも面白いポジションではあった。
 振り返ってみよう。記憶はあやふやだが、入会してからだと、もう8年くらい経っているはずだ。今は亡きTさんに誘われて入った。市民劇場はサークル制をとっていて、3人以上のサークル単位で活動することになっている。僕は、そういう」こともわからないまま、Tさんと同じサークルにいた。Tさんが亡くなられた後も、その一員として、舞台の搬出等にお手伝いをしていた。2012年には、自分から買って出て、運営委員にしていただいた。
 その後、知人とその友人が入会して、僕は独立してサークルを持った。三人だったので、サークル名を「青い三角定規」と名付けた。
 やがて4人になり(フォーリーブスと名付けようと思った)、5人になり(クールファイブと名付けようと思った)、6人となり(V6と名付けようと思った)、7人になり(ウルトラセブンと名付けようと思った)、8人になり(8マンと名付けようと思った)、9人になり(サイボーグ009と名付けようと思った)・・・と増えていった。でも、名前はずーっと「青い三角定規」のままにしていた。やっぱり最初に持ったサークルの名前には愛着が湧くものだ。
 そのうちに、新しい名前を思いつけないくらいまで数は増えた。早い話が、いわゆる"teen"台に突入したのだ。そのあたりで、サークルを2つに分けた。もう片一方を「読書人倶楽部」という名前にした。
 それでも更に会員は増えていった。最近は辞める人も出てきたし、途中で独立して新たなサークルをつくった仲間もいたので、今は二つのサークルで20人弱だが、一番多かった時では、23~24人になっていたはずだ。中には、無理矢理おつきあいで入会していただいた人もいるが、5年で8倍に会員を増やしたというのは、それなりに活動をしてきた証だという自負はある。
 一時は、舞台の搬入・搬出や、事前の準備等にも積極的に参加してきた。それもこれも、小難しい運動理念のためなんかではない。先ずは自分で観て面白いと感じたことと、多少構えて言えば、地元にいて演劇を観続ける団体は、文化都市弘前にとって絶対に必要だと考えたからに他ならない。
 このブログでも、何度か、市民劇場のことは紹介してきた。演劇の面白さを書いたこともある。ある時なんかは、「会員が減ってピンチだ」と書いたら、そのブログを読んだ人が、数日後に入会してくれたということもあった。そういったことも、今は、懐かしい思い出である。
 まぁ、ともあれ、一区切りはついた。これからは一会員として演劇を観続ける。だから、ピリオドではなくコンマ、句点ではなく読点だ。あとは、今日選任された、新しい運営委員の皆さんにお任せしよう。
 ただ、演劇というものは本来、老若男女を問わず、多種多様な価値観を持つ人々が観て愉しめるものであったはずだ。特定の主義思想、運動理念に偏っていて、果たして観劇人口の拡大を図ることができるものなのか、その点が気がかりではある。(5985)