弘前市民劇場の6月例会は、俳優座劇場プロデュース の「12人の浮かれる男たち」だ。今日は、その芝居をより深く鑑賞するために、事前鑑賞会と称して、映画を観る会が開催された。
 僕は、法廷劇の最高傑作とも言われるこの作品を、映画でも芝居でも、まだ見たことがなかった。勿論、一般教養として名前だけは知っていた。と言うよりも、もっと深い思い入れがあった。
 大学を卒業して、埼玉県のS書店で、修業を始めて間もない頃のことだ。翻訳小説の棚に、この本が平積みされていた。読んだわけではないが、タイトルだけが強く印象に残った。
 ところが、今、このブログを書くにあたって、せめて出版社名だけでもと思い、いくつかのサイトを調べてみたが、その当時に出版されていた書籍の情報を見つけることができなかった。あるいは、僕の記憶違いかもしれない。
 ひょっとすれば、同じ頃に新潮社から出版された、筒井康隆の「12人の浮かれる男」と混同している可能性もある。「・・・浮かれる男」が「・・・怒れる男」のパロディーだということを、職場の先輩から聞かされた記憶は間違いない。
 いずれにしても、その頃から、観たい・読みたいと憧れていた作品だった。今日は、楽しみにして、会場に足を運んだ。
 が、しかし、好事魔多しとはよく言ったもので、30分ほど観たあとに、突然用が入って、会場を後にするはめになった。別の場所に移動して打ち合わせをしているうちに、腹の調子も悪くなってきた。3回もトイレに駆け込んで、映画会場に戻ってきた時には、もう終わる寸前だった。残念! あとは、6月10日に、お芝居を観るしかない。
 わずか30分程度しか観ていない立場で、大袈裟なことを言うつもりはないが、こういう理詰めの作品は、僕の好みにはあっている。陪審に限らず、議論というのは、あくまで冷静に理論だてて行なわなければならないと、常日頃から思っている。
 ところが、実際には、なかなかそうは会議は進まない。感情的になったり、他のメンバーの発言を聞こうともしなかったり、自分の知識や経験が世の中の全てであるような思い上がりがあったり、会議のルールを守ろうとしなかったり・・・、様々な人がいて、論理的に話し合うということが難しい。そういう現場を何度も経験してきた。
 そもそも、日本語自体が、論理的な構造になっていないという説もある。また、日本人が、いわゆる”議論”の技術を苦手としているといった面も指摘されている。
 だって、議論に強くても、それは”人徳”として認められず、逆に非難の対象になったりする。論理立てて話そうとすると、あいつは理屈っぽい奴だとなって、女性からは決してモテることがない。
 ん? 僻みになった。
 まぁ、今日の陪審ドラマのような、徹底した議論を、一度、思いっきりやってみたいとは思う自信はある。
 ただし、その際は、人の生き死にに係わるような、あるいは組織の盛衰に係わるような、そんな思いテーマではなく、どうでもいいようなこと・・・、例えば「ジャイアント馬場とアントニオ猪木はどちらが強いか」みたいなテーマがいい。誰か、このテーマで、僕とディベートする人、いませんか? 
 いや、駄目だ。結局最後は、議論ではなく、技のかけあいになってしまいそうな気がする。(5709)