今日も暑かった。最高気温は30度を超えていたに違いない。
 そんな真夏の午後、「津軽カタリスト」の皆さんによる、ドラマリーディングの定期公演が、太宰治まなびの家で開催された。この定期公演も、今回が13回目である。ファンの間には、すっかり定着したようだ。今日も、たくさんのお客様にご来場いただいた。継続は力なりとは、まさしくこのことだと思う。H君たちの地道な活動に敬意を表したい。
 ところで、太宰治まなびの家は、大正時代の木造建築を、そっくりそのまま現代に残す市の文化財だ。だから、エアコンなどは一つもない。解説員が常駐する部屋に、小さな扇風機が一台あるだけだ。
 それでも、充分に涼しい。今日だって、8畳間3つが満員になるくらい人が入っても、家の中はそんなに暑さを感じなかった。少なくても、暑くてじっとしていられない、思わず裸になりたい! というほどではなかった。
 縁側の雨戸も障子も、部屋を仕切る襖も、窓という窓も、全部開け放った。風が入ってくる。屋内全体に空気が流れる。それだけで、それなりに暑さが和らぐ。そういう家の造り方が、いわゆる昔の人の生活の知恵というものだったのだろう。
 翻って、最近目にする、新しい住宅や事務所はどうだろう。窓らしい窓がほとんど見当たらないものもある。ガラスもはめ込みで、開放できないものも、よく見かける。最初からエアコンを設置するのを前提にした造りのようにも思える。
 先日、テレビを見ていたら、夜の熱中症対策として、エアコンを一晩中つけて眠ればいい、と言っていた医学博士がいた。どうにも合点がいかない。
 日中ですら、エアコンの効いた中ばかりいると、体が冷えたり、頭が痛くなったりということが言われている。僕らの時代は、扇風機でさえ、つけっ放しは危険だと教わってきた。どう考えても、あの医学博士は、電力会社の回し者ではないかなんて、勘ぐってしまいそうである。
 そもそも人間というものは、暑いときには、汗をかく。汗をかいたら、また水分を補給する。それを繰り返すことで、身体の代謝がよくなる。
 打ち水をする。気化熱で気温が下がる。朝顔や金魚を愛でる、風鈴やせせらぎの音を聞く、スイカや素麺を食する等々、目からも耳からも口からも清涼感を採り入れる。そのように、昔の人は、様々に工夫をして、夏を乗り切ってきたのだろう。
 暑さもそうだ。衣類、食べ物、寝具等を調整しながら、人間は、四季の気候の変化に対応してきた、対応できていたのだと思う。
 思い返してみれば、僕らが子どもの頃は、日射病はあっても、熱中症なんて言葉は、あまり耳にしたことがなかった。ところが、最近頓に、ニュースでよく話題になるようになったのは、エアコン暮らしに慣れすぎて、自然に対する順応能力が衰えたせいではないだろうかと、寝室にエアコンのない僕は、僻み半分に考える。このまま科学が進歩し続ければ、ますます身体が弱くなっていって、終いには滅亡への道を辿るのではないか・・・などと、大袈裟なことにまで想像が及んだ次第である。
 まぁ、言いたいことはただ一つ、「夏でも涼しい”太宰治まなびの家”に、皆さん是非お越し下さい」ということだ。(10953)