疲れた。ほとほと疲れ果てた。ここ数日間のスケジュールである。
 ブログでも紹介したとおり、先週末、東京で行われた友人の偲ぶ会に出席した。久々に会う仲間達との語らいに、つい酒が過ぎてしまった。そこまではいい。
 その後、最終の新幹線と在来線を乗り継ぎ帰って来た。家に着いたのは、夜中の0時半。日付は変わっていた。
 ろくに寝る間もなく、文学学校での講義のレジュメや資料を作成するために、いつもより一時間早く起床。読書人倶楽部に行って、予めパソコンに入れておいたデータを、プリントアウトしたり、コピーしたり、ホチキスで留めたり・・・。
 その翌日は、昨日も書いたように、弘前学院大のシンポジウム出席。そして今日は、午前と午後に、それぞれ大切なお客様。夕方からは、叔母の通夜と、なにやらルーティーンではないことが続いた。身体はともかく、首から上がボーッとしている。疲労困憊だ。
 それに、悪いことには、今日から総選挙が始まった。会う人会う人から、「いよいよですねぇ。忙しくなりますねぇ」と声をかけられる。それに対して、いちいち、「いえ、僕は立候補するわけでもありませんから、ちっとも忙しくありません」なんて減らず口をたたくことも、疲れを増大させているようにも思う。
 でも、やっぱり、一番の原因は、最終列車での帰宅だ。今回ほど、東京駅ー新青森駅間が長いと感じたことはない。ベンチシートの新青森駅ー弘前間も長かった。すっかり生活のリズムが狂ってしまったようだ。
 歳をとったものだ。
 学生の頃は、東京までは、半日がかりの行程であった。4人掛けの、向かい合った固い椅子で、友人達と、夜を徹してトランプをしているうちに、上野に着いた。
 社会人になって、新幹線が開通するまでは、夜行寝台が常套手段だった。狭くて天井の低いベッドだったけど、なんとなく旅をしているという感じが好きだった。
 夜行バスも使った。寝台列車よりも更に狭い。身体も完全に横たえることも出来ない。それでも、安さに惹かれ、よく利用した。
 どちらも、熟睡なんて出来る筈が無い。でも、昔は、へっちゃらだった。どこかで、ちょこっと仮眠をとれば、疲れは簡単に抜けていた。
 それが、今回の、この疲れは何だ? 移動時間は、寝台列車や夜行バスと比べて、せいぜい三分の一程度だ。それなのに、三日も抜けない疲労感は何なんだろう?
 さっき、「歳をとったものだ」と書いた。そう、歳のせいだと思いたい。自分で”老い”を認めるのはしゃくだが、逆に歳のせいでないとすれば、どこか病気ではないかと心配になってしまう。そういう年頃なのだ。(7831)