加藤謙一展1月6日のブログにも書いたように、今日から、市立郷土文学館で「加藤謙一展」が始まった。僕は、開館と同時に(実際には開館よりもやや早く)、文学館に入った。
 ここで、改めて、加藤謙一のことを書く。弘前市出身なのである。弘前東京で教員を務めたあと 、現在の講談社に入社。すぐに才能を見いだされ、その年、「少年倶楽部」の編集長となる。当時の同誌の発行部数は、新年号で約6万部。それを加藤は、様々なアイディアによって、70万部を超える国民的児童誌に育て上げた。
 付録そのアイディアの一つが右の写真。今回の目玉展示物の一つだ。プラモデルではない。紙製の組み立て付録なのである。僕らが幼少時は、「少年」や「冒険王」など、少年月刊誌の最盛期で、新年ともなれば、各誌こぞって、このような大型付録を付けていたものだ。その先駆けとなったのが、加藤謙一編集長だったのである。また、佐藤紅緑の「ああ玉杯に花うけて」や、田河水泡の「のらくろ」など、読み物や漫画を次々にヒットさせて、日本中の子ども達の心をつかんで離さなかった。
 戦後は、自ら「学童社」という出版社を設立し、「漫画少年」を発刊した。関西のローカル漫画家であった手塚治虫を、「ジャングル大帝」で全国区にしたのは、この雑誌である。また、僕も今日知ったのだが、「サザエさん」も、朝日新聞に掲載される前は、「漫画少年」で連載されていた。
 後に、この雑誌に投稿していた若きタレントの中から、石ノ森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫等々、昭和の児童文化を牽引した、著名な漫画家が数多く巣立っている。
 以前にも書いたが、加藤謙一は、その意味で、”現代漫画の父”と言ってもいい。そのような素晴らしい業績も、「子どもは国の宝だ」と言い続けた人となりも、残念ながら、生まれ故郷の弘前では、あまり知られていない。
 今回の企画展は、まずは、偉大な郷土の先人のことを、多くの人に知ってもらいたいという思いで始められた。開催は12月28日までのロングラン。是非、皆様も、一度と言わず二度でも三度でも、足をお運びいただきたい。
 玄関今年は戌年である。加えて、今回の企画展の成功を祈念して、我が家の玄関には、元日から、田河水泡直筆の「のらくろ」を飾っている。だけど、来訪客が気がついた様子はない。(2814)