弘前文学学校の作品合評会に、講師として参加してきた。生徒の皆さんが、互いに互いの作品を批評しあうという会だ。僕は、7~8年ほど前から、年に一回、お招きをいただいている。
 初めて出た時は驚いた。仲間の作品に対して、遠慮会釈ない手厳しい批評が、ばんばん飛び交っている。それを書いた本人は、反発もせずに、素直に首を縦に振りながら聞いている。その、創作に向けた姿勢に、 ショックと同時に深い感銘を受けたものだ。
 それに比べると、今年は随分と優しかった。「叱って伸ばす」から「褒めて伸ばす」に、世の中全体が変わってきていることの表れだろうか。
 だけど僕は、曲がりなりにも講師として呼ばれている。甘い言葉だけをかけるわけにもいかない。
 今日は、4人の作品を批評した。さすがに文学学校で学んできているだけあって、基本はしっかりしている。ただ、言葉のちょっとした使い分けや、句読点の打ち方などで、気になる点は多々あった。
 まぁ、しかし、それらを逐一このブログで書いても仕方がない。全体的に感じたことを一つだけ書こいてみよう。
 それは、紙数に制限を設けた方がいい、ということだ。特に初心者のうちは。でなければ冗漫になってしまう。言いたいこと、訴えたいことはたくさんあるのだろうが、それを全て書き連ねても、作品としてはまとまりを欠いてしまう。逆に、最も書きたいことが薄れてしまう場合が多々ある。
 紙数を制限すれば、テーマを絞らざるを得ない。何を書きたいのか、それを強調するために、どういう風に話を展開していくのか等々、自分の頭の中を整理する必要に迫られる。それがトレーニングになる。
 例えばこのブログである。厳密ではないが、大体の字数の幅は決めている。長すぎれば飽きられるだろうし、短すぎれば物足りなさを感じさせてしまう。だから、きちんと数えてはいないが、1200字前後の文字数にまとめようとしている。そのために、書く内容だって厳選(?)している。
 実は今日だって、文学学校講師の他に、地元商店街の理事長との打ち合わせや、いきつけの居酒屋の俳句会もあった。それらを全部書けば、僕の決めている文字数では収まらない。
 という訳で、いつだって、一日の出来事の中から、一つだけトピックスを選ぶようにしている。字数を自ら制限する中で、何をどう表現するのか、これでも一応、その構成を考えてから書き始めているのだ。(ホントかいな?)
 このブログ程度ならまだいい。こと文学となると、創作作業は、そこから始まるものではないかとも考えている。まぁ、文学学校の生徒さん方には、いろんな意味で、このブログを反面教師にして貰えればとも思う。(4187)