弘前市長選挙から一夜明けた。昨日も書いたように、S候補、(あっ、もうイニシアルにすることもないか)桜田候補が、現職の葛西候補を破って、新しい市長の座を射止めた。 
 今朝も、早くから、何人かの方から電話をいただいた。口々に選挙結果についての感想を述べていた。僕は専ら聞き役に回っていた。
 それにしても、事前予想では接戦だったのに、蓋を開けてみたら、1万5千票以上の大差がついた。これは、新市長への期待もさることながら、現職のこれまでの市政運営に対する不満・批判が、想像以上に大きかったということなのだろう。
 曰く、箱物を建てすぎる。一過性のイベントばかりだ。パフォーマンスが目立つ。特定の業者との結びつきが強い等々、そういった声が多方面から聞こえてきた。
 全てが事実だとは思わない。必要に応じて取り組んできたこともあるだろう。イベントやパフォーマンスのお陰で、弘前市のPRが出来たことは間違いない。
 ただ、今日は、自分への戒めとして、ある言葉の意味を考えてみたい。”李下に冠を正さず”。今風に直せば、”本屋で鞄の口を開けず”とでも言おうか。
 思い起こせば今から7年くらい前だったろうか。現職が、慢性的赤字に喘ぐ「岩木川ゴルフ場」に、最初に税金を投入しようとした時だ。僕は、人生の大先輩にもあたりる現職に、生意気にも「”李下に冠を正さず”という言葉を知っているか?」と質問をしたことがある。というのは、当時、そのゴルフ場を経営していたのが、現職の後援会の幹部だったからだ。
 現職は、勿論、言葉の意味は知っていた。その上で、「市の社会体育施設として必要だから税金を投入するのだ」と言い切った。つまり、他人からどう思われようと、やることはやる、という姿勢だったように思う。
 その後も、現職は、いくつかの場面で、敢えて、李の木の下で頭上に手をやり、瓜田に靴を入れ続けてきた。一種の信念なのだろう。
 でも、それらのことが、小さな不信や不満を呼び、年々蓄積されていっての昨日の結果ではなかったか、という気がしないでもない。やっぱり為政者は、人から疑われるようなことは慎まなければならない。大いに自戒しよう。
 余計なお節介かもしれないが、新市長にも、この言葉を充分考慮に入れて、これからの舵取りをしていただきたい。まぁ、彼は大丈夫だろうとは思う。やっぱり、余計なお節介だったかな?(3787)