弘前市議会経済文教常任委員会の行政視察も3日目。明日はまるっと移動日なので、実質、今日が最終日のようなものだ。
    今日は広島県廿日市市の市立宮島中学校を訪れた。ここの生徒が、外国人相手に、英語で観光ボランティアガイドを行なっているというので、その現場を視察に行ったのだ。
    先ずは、学校内で、校長先生と教頭先生から、その目的や、授業における取り組み方などの説明を受けた。実は僕は、その段階でもう、ほとほと深く感じ入ってしまった。
     本題に入る前に、宮島中学校のことを、もうちょっと詳しく書いておく。ここは、施設一体型の小中一貫教育校なのだ。小学生と中学生が、同じ校舎で学んでいる。世に言う中学一年生は7年生、中学3年生は9年生と呼ばれている。英語による観光ガイドは、9年生が行なっているのだそうだ。
     正直言って、今日学校に出向いて説明を聞く前は、英語教育の先進校、国際交流の実践校程度の認識を持っていた。そういう先入観で視察に臨んでしまった。
     ところがどっこい、根底が違っていた。目的は、郷土を誇りに思う心の醸成と「伝える力」を高めることだという。大切なことは、小中一貫教育9年間の中で学んだ、上記を主題とした学習の出口として、英語による観光ガイドを捉えているという点なのだ。その前段階として、8年生時には日本人に対して日本語によるガイドも行なっているのだということだ。
     弘前市でも、郷土に関する知識を深め、郷土愛を育てるための「卍学」がスタートしている。そのことは僕も大いに評価をしていて期待もしている。だけど、出口は見えていない。インプットしたものをアウトプットする場がなければ、成果はわからない。
     結局、何にせよ、教育の目的でもっとも大切なことは、「伝える力」を育むということではないか。別に英語でなくてもいい。基本は日本語で伝えることだ。言葉が苦手でれば、絵画でも音楽でも身振り手振りでもいい。自分の知識や意思、思いを、相手に伝えることができること、これが社会で生きて行くためには、何より必要だ。
     逆を言えば、知識だけためこんでも、それを伝える場と力がなければ、それは単なる知識ための知識に留まっしまう。自己を表現する術がわからずに、反社会的な道に迷い込んでしまっているよいな事例も、いくつか目や耳にする。
     実際に、今日、中学生に宮島の観光スポットの一つをガイドしてもらい、また、彼らが積極的に外国人に話しかけている様子を目の当たりにして、大きな感動覚えた。同時に、密かな畏怖の念も抱いた次第である。
     教育の目的って、とどのつまりが、社会の中で生きて行くための基礎的力の習得ではないかと思う。その中の大きな比率を占めるのが、コミュニケーションに直接に必要な国語であり英語であり、間接的に教養として必要な理科や社会、その他の科目と言っても差し支えないのではないかな、とも考える。
    そしてまた、これからの社会で要求されるのが、主体的に他者とのコミュニケーションを図ろうとする積極性であり、誰に対しても気後れしない自己の確立なのかもしれない。
     なんてことを、宮島の中学生から教えていただいた。今頃から英語を勉強しても、間違いなく手遅れだろうとは思うし、その気も全くないが、せめて、あの明るさと積極的な姿勢だけでも見習いたいものだ。(5190)