明後日の土曜日、これまでも何度かこのブログでも紹介してきた、恩師を囲んでの教え子の集まりがある。以前は、恩師の自宅で開催していたのだが、昨年から、弘前読書人倶楽部で行なうようになった。
 この会では、基本的には、集まってくる教え子の中の1人が”チューター”となって、小一時間ほど話題を提供する。たまに、外部の人を招くこともある。それぞれが、時分の職業上のトピックスや趣味の話をする。前回は、仲間のN君が、スペイン旅行の話をしてくれた。
 そのチューターを、今回は僕がやることになっていた。そもそもが、固定メンバーは10名前後なので、自ずと順番が回ってくるのだし、何の気なしに引き受けた。
 僕がこれまで受け持ってきたのは、その時々の市政の課題についてである。今回もそのつもりで、「お題は何がいい?」と聞いたら、何人かが「中核病院」と答えた。”得意”ということもないが、話して話せない内容では無い。そこまではいい。
 ところが、先日、幹事のN君から電話が入った。恩師の教え子仲間には違いないのだが、普段はあまり顔を見せない、市立病院長のT先生も参加するというのだ。それから市幹部のM君、僕の主治医のO君も・・・。これでは、滅多なことは口にできない。もの凄いプレッシャーだ。
 となれば、市立病院の内情や、市の医療体制について、本人達を前に、僕が机上の空論を振りかざしても始まらない。僕に出来ることは、この問題が、弘前市議会という公の場で、どのように議論されてきたかを時系列を追って話すことくらいだ。
 そこで今日は、段ボール箱をひっくり返して、中核病院問題に関するこれまでの資料を漁った。この問題が顕在化した昨年の第4回定例議会以降の会議録にも目を通した。昨年12月15日の全員協議会の議事録や、それを報じた地方紙の記事も読み返した。
 更には、この問題について、弘前大学医学部OBの先生や、他市町村の公立病院の先生からも、様々に情報を提供していただいていた。そういった記憶も、一つ一つ辿っていった。
 床の上に取り出した資料を並べて、改めて中核病院問題を振り返った。「市立病院関係者には、随分と礼を失した発言をしてきたなぁ」「僕の質問で、弘前大学関係者をも刺激してしまったのかなぁ」「それにしても、あのまま前の市政が継続していれば、この先とんでもないことになっていたんだろうなぁ」「4月の市長選挙の結果に、議会で散々追及したことも、少しは影響したんだろうなぁ」等々、様々な思いが去来した。
 明後日は、だから、反省と後悔と、だけどしっかりと信念を持って、極めて控えめに話をしようと思う。何なら、すぐに、T先生やO先生にバトンタッチをしたっていい。いや、そうしたい。(3665)

 追伸
 今日のタイトルは黛ジュンのヒット曲からいただいた。そこで、久々に、僕の好きな歌ベスト3。黛ジュン編だ。前にも書いたかもしれないけど・・・。
 第一位 雲にのりたい
 第二位 時は流れる
 第三位 霧のかなたに
 当時中学生だった僕には、彼女のミニスカートが眩しかった。