download革秀寺にある、津軽為信公の御霊屋の、修復工事が終わった。いや、まだ一部、シートが被せられたままの所もあるし、ところどころに工事で使った資機材が積まれたままになっているので、正確には「終わった」というのとは違うかもしれない。ただ、はっきりと、その全貌が明らかになった。今日、その前で、関係者が集まり、法要が営まれた。
 実は、先月に行われた「リーディンングライブ卍の城物語2観劇と 津軽藩ゆかりの地をめぐるツアー」の際に、一般公開に先駆けて、この御霊屋を見学させていただいた。その時はまだ、御霊屋の正面に続く門(開口部)が出来ていなくて、髙さ1メートルほどの土塁を上り下りしなければならなかった。その当時から膝を痛めていた僕には、けっこうな難行であった。
 さて、この廟所の主、津軽為信公のことだ。為信は、1571年5月5日に、南部氏の居城 石川城を攻め落とし、返す刀で和徳城にも侵攻した。こうして、知略・謀略・武力の限りをつくして、この一帯の豪族を次々と滅ぼし、津軽の統一を果たした。今の弘前の街も、その礎は、為信が築いたものだ。もし、戦国の世に為信が現れなかったなら、僕らは今、この地に暮らしていることはなかったのかもしれない。
 などと、僕が生半可なことを書き殴るよりも、為信公や弘前城築城に関する本は、数多く出版されている。弘前にお住いの方には、是非、読んでみていただきたい。
  もし為信が現れていなかったならば、今僕らは、この場所で暮らしていることはなかったのかもしれない。少なくとも、「弘前市」という地名は存在していなかったのではないかと思う。
 また、弘前以外にお住いの方にも、京から遠く離れた本州の最北端の地でも、信長・秀吉等に負けないくらいの、下克上の騒乱が展開されていたことを知っていただきたい。もし為信が関東以西に生まれていたら、日本の歴史は変わっていたに違いない。(2531)