IMG_6810午前中、図書館に行く途中で、養生幼稚園のねぷたとすれ違った。そうか、もう、そんな季節なんだ。
 この幼稚園は、何を隠そう、僕の母校(園)である。ねぷたの運行は、その当時から既に続けられていた伝統行事なのだ。
 「やーやどー」と、一生懸命声を張り上げる園児たちを見て、ふとあの頃に記憶は飛んだ。今日は、幼少の砌の思い出話を二つ三つ書いてみたい。勿論、幼稚園の頃の記憶だ。曖昧な上に、多分に、親から聞いた話や、創作も混じっている。
 1、僕は、とんでもなく落ち着きのない子どもだったらしい
 「今泉は、ちょっと目を離せば、どこへ飛んでいくかわからない」というのが、幼稚園の先生方の定評だったらしい。ねぷたの運行のような、縦に長い列の真ん中あたりに置いておくと、いつのまにかいなくなるのではないかと心配されたらしい。。
 そこで、僕は、ねぷたの先頭を歩かされた。町会のねぷたで言えば、町会長が歩く位置である。決して名誉な理由ではない。そこへ置いておけば、園長なり理事長なりの目が届くという配慮のもとの話だ。でも、僕の親は、たいそう喜んでいたような、薄~い記憶がある。
 2、僕は人見知りをする、友達の少ない子どもだったらしい
 参観日のことである。他の園児たちは、大勢で園庭を駆け回っているのに、僕ともう一人のC君だけは、庭の片隅の栗の木の前で、蟻さんと遊んでいたらしい。「不憫だった」と、参観から帰ってきた親がしみじみと語っていた。そんな薄~い記憶がある。
 3、僕はエンターテイナーだったらしい
 幼稚園でも、お遊戯や歌を披露する会があった。普通の園児は唱歌を歌う。でも僕は、「東京ラプソディー」を、歌詞も見ないで歌い上げた。♪花咲き花散る宵も、銀座の柳の下で・・・♪という歌である。親は、たいそう恥ずかしかったらしい。
 次の年は、封筒に入れたコインが消えるという手品をやった。今思えば子供騙しだ。当たり前か。でも、けっこう受けた。というような薄~い記憶がある。
 と、思い出せば、僕は4~5歳の頃から、そんなに成長していないような気もする。永遠の美青年ならぬ、永遠の美少年なのだ。ん?(6635)