スポーツ界の不祥事が続いている。大相撲、日大アメリカンフットボール部、女子アマレスと続いて、今は、毎朝テレビをつけると、ボクシング協会のごたごたが報道されている。
 それぞれ問題となっている内容は違う。暴力であったり、悪質な販促であったり、不当な圧力であったり、独裁体制であったり・・・。でも、僕は、その根っこの部分には大差が無いように思う。つまり、過剰な勝利至上主義、あるいはやはり過剰な上下関係といった、構造的な欠陥ではないかと考えているのである。
 一つの打ち込んでいる選手達の非を唱えるものではない。勝利を目指して一生懸命戦う姿は美しくもある。ただ、それを利用しようとする周囲が問題だ。
 上下関係を大切にすることは大切だ。僕は意外と「長幼の序」にはうるさい。初対面で、例えば髪が薄かったり、白かったりして、自分より年上だと思ってしまえば、「〇〇さん」と”さん”づけで呼ぶ。後で、自分より年下だとわかると、急に呼び捨てにすることもある。勿論、全部が全部そうではない。年下とわかっても、風貌があまりに年配そうに見えるひとは、ずーっと”さん”づけだったりもする。
 話がそれた。要するに、勝利至上主義も、上下関係の重視も、それなりに必要だということだ。要は、他の事項とのバランスの問題なのである。
 ところが、一部のスポーツエリートと呼ばれる中には、そのバランス感覚に疑問を抱かざるを得ない人もいる。それは、本人の責任ではなく、むしろ教育の問題でもある。
 例えば私立の学校だ。自校のPRのためにか、運動部を強化して、全国大会で名を上げたい。そのためには、学力が中学卒業レベルに達していなくても、そのスポーツの得意な生徒を、特待生扱いで入学させる。そして、学業もそこそこに、ひたすら勝つために、学校教育の一環を超えた激しい練習で鍛え上げる。
 大学もそうだ。成績の如何に拘らず、スポーツエリートを集めている私学は多い。聞いた話だが、中には「四捨五入」を知らない大学生もいるらしい。そうやって集められた学生は、母校の勝利のために日々練習に明け暮れ、ほとんど授業にも出ず、定期試験も受けるか受けないままに進級し、卒論はレポート用紙1枚だけ、なんて話も聞こえてくる。(なんて、羨ましい)
 そうやって、年齢相応の知識も教養も、思考力も想像力も、良識も常識も身に付けないまま、社会に出てくる人を、学校が創り上げている面も否定はできないだろう。今回の一連の不祥事は、そういった一部の人間が、指導者として、その業界を牛耳っていることに、原因があるのではないかと思う。(まぁ、運動音痴の僻みといえば僻みかもしれないが)
 今日も、あるプロスポーツ選手と一緒に飲んだ。本人のプライベートタイムのことなので、敢えて名前は公表しない。
 盃を酌み交わしながら話を聞いていると、やはり、その競技世界の常識と、一般社会の常識との格差に気が付かされた。僕らの考えではごく当たり前のことでも、その世界では通用しないことが、けっこうあるようだ。その逆のこともあると、彼も言っていた。
 もっとも、その業界の常識と社会の常識にずれがあるなんてことは、スポーツ界に限らず、どこにだってある。芸能界にも、マスコミ業界にも、各産業界にも、もっと身近なコミュニティーの中にだってありそうだ。変な話、地方議会の常識が、必ずしも一般社会の常識と合致しているとは言い難いことだって、無いわけではない。
 大切なことは、格差があることを、正しく認識しているかということだ。そして、その乖離を是正しようと努める姿勢なんだろうと思う。「この世界はこれでいいのだ」「僕は今のままでいいのだ」と居直ってしまえば、一生進歩はない。(4425)