「バス ストップ」と言われて何を思い浮かべるかで、その人の趣味嗜好を想像することができそうだ。マリリンモンローの映画であれば、かなり年配の映画ファン。ホーリーズであれば、僕と同年代くらいの洋楽ファン。そして僕は、平浩二のヒット曲が、まず頭に浮かんでくる。歌い出しが、プラターズの「オンリー・ユー」とそっくりのあの歌だ。
 と言う訳で(どんな訳だ!?)、今日は、バスの話を書く。(かなり強引だなぁ)
 午前中に眼科に行って、散瞳なる検査をしてもらった。結果は、前回と変わりなしということで、無罪放免(?)となったのだが、その時点眼した薬のせいで、目全体に水の膜がかかったようになった。今日は日射しが弱かったからまだいいが、それでも、外界が煌めくような、揺らめくような、霞むような、そんな感じに見える。医師からも、運転は禁じられた。
 困ったたことに、午後に、市郊外にある、友人の経営している内科に行くことになっていた。少なくとも僕の徒歩圏内ではない。いつもは車を運転して行っている。
 仕方が無い。読書人倶楽部にタクシーを呼ぼうかと歩いていたら、ふとバス停が目にとまった。見ると、何やら、友人の医院の所在地らしき行き先が書いてある。
 えーい。何処をどう走ってどこに停留所があるのかは分からないが、どこで降りたって、ここから歩くのよりはましだろうと、来たバスに飛び乗った。
 しかし、初めて乗るバスというのは不安なものである。料金がわからない。乗車の際に受け取った整理券番号と、降りる場所によって、数十円ずつではあるが、何段階かに変化していく。
 それでいて、社内アナウンスでは、「小銭は予め準備して下さい」などという。料金が場所によって加算されていくのに、予め準備も何もないだろう。社内前方には、整理番号別に料金を示したヶ掲示板が付いてはいるのだが、後部座席からは、眼科の視力検査板の最下段なみにしか見えない。
 ここに、現在の公共バス利用者が減少している一つの原因があるのではと思う。同じ公共バスでも、中心市街地を循環する100円バスが好調なのは、どこで乗ってもどこで降りても一律料金という安心感があるからではないか。
 帰りのバスでは、もっと大変な現状を目の当たりにした。僕は、運転席のすぐ後ろに座っていた。
 終点の一つ手前の停留所で、ご婦人が4人降車した。4人とも、料金を払うとき、「ありがとうございました」と丁寧に声をかけて降りた。それなのに、運転手からは「ありがとうございました」の”あ”の音も発せられなかった。これって、逆だろう。どちらがお客様かわかったもんじゃない。
 公共交通という名目で、バス会社には、行政サイドからも、いくつかの支援策が講じられている。公金も拠出されている。それはいい。
 ただ、だからこそ、バス会社には、「市民の足」という自覚を今以上に持ってもらいたい。コース設定・料金体系等も含めた、利用者の視点にたった運行と、従業員の接客マナーの向上を、強く強く望みたいと、感じた次第なのである。
 あっ、運転手のマナー。全部が全部ではない。行きの運転手さんには、とても親切にしていただいた。帰りのバスから乗り継いだ100円バスの運転手さんも、応対はしっかりしていたことを申し添えておかなければ、僕も単なるモンスタークレーマーになってしまう。(4127)