弘前市が現在策定中の、次期総合計画について、今日は、教育委員会からわざわざお出ましを願って、いろいろと打ち合わせをした。計画策定の主管である企画課長にも同席していただいた。
 内容は、1月4日に、企画課に話たこととほぼ重複する。ただ、その中で、特に強調したのは、教育の目的というか、弘前の子ども達がどんな風に育っていって欲しいかといったことだ。
 計画いみじくも、12月に渡された計画素案の中には、「子どもたちの”考える力” ”感じる力” ”表現する力”等の基礎となる力を、できるだけ、より多様な分野と機会を多面的に体験活動として提供することで・・・(中略)・・・素直に感動できる豊かな情操や自己肯定感を高め、自信をつける取り組みが必要」と書いている。そのこと自体には、両手を挙げて賛成だ。だからこそ、それをどうしたら実現できるのか、具体的な事業計画と、その達成度合いを測定する指標の取り方について、私見を述べさせていただいた。
 教育の目標とは、あるいは学力の本質は、数学の公式を憶えたり、歴史の年表を暗記することではない。まさしく「考える力」を身につけることだと思う。 
 もっと言えば、「課題を見つける力」「課題を進んで解決しようと思う心」「課題解決のために自ら調べて考える力」「解決した課題を自分の言葉で表現することのできる力」だ。数学や算数は、考えるための筋道を学ぶ教科だし、理科や社会は、考えるための基礎知識を学ぶ教科だと考える。
 そして、国語は全ての学力の基礎だ。書かれている内容を正確に読み取る力、他人の意見を公平に聞き取る力、そして自分の考えや感情を表現する力や技術を学ぶ。
 今、AIが、様々な分野で人間を凌駕しつつある。この流れは堰き止めることはできない。人間の活動領域は、今後、どんどん変化を余儀なくされる。
 しかし、どんな時代がこようが、人間がAIに駆逐されることのない分野はあるはずだ。それが、先ほど述べた「自ら考え、自ら表現する」という部分だろうと思う。AI様に失礼を顧みずに言えば、あれは所詮、莫大なデータの蓄積と、超高速の計算機能にしか過ぎないのではないか。少なくとも、文章を読んで、行間に込められた作者の思いを読み取ったり、感情豊かに表現出来るようになるまでは、まだまだ時間がかかるだろう。
 と、ここからが我田引水めくが、僕は、そのためには「読書教育」に今まで以上に力を注ぐべきだろうと思う。だから、学校図書館の整備と同時に、活発な利活用を図り、例えば、図書貸し出し冊数や、図書館を使った調べる学習コンクールへの応募数などを、成果達成指標として設定したらどうか、なんて話を、熱く語った次第だ。
 いやぁ、教育行政や学校教育のプロを前に、よくもまぁ、この素人が、言いたい放題を言ったものだ。全く「なんとかは蛇に怖じず」の諺そのものだ。お付き合い下さった、教育部長以下、教育委員会の皆様、そして企画課の皆様、有り難うございました。(4905)