髙野昨年秋、友人のT君が、藍綬褒章を受賞した。今日は、その祝賀会が、盛大に行なわれた。
 T君とのお付き合いは、30年ほどになる。そもそもの出会いは、同時期に弘前青年会議所に在籍していた頃から始まる。
 今はどうかわからないが、当時は、青年会議所の理事長というポストは、なかなか成り手がいなかったようなイメージがある。少なくても、自分から積極的に「やりたい」という人は、稀とまでは言わずとも、それほど多くはなかった。だって、過密スケジュールをこなさなければならない。どこへ行くにも、何に出席するにも、全て自腹なのである。
 僕だって、二度三度四度五度、固辞した。 女房には、「理事長なんてやったら離婚だからね」と、何回も脅された。でも、どうしても他にやる人がいないということで、最後は引き受けざるを得なくなった。幸いにして離婚には至らなかった。
 これまた、今はどうかわからないが、当時は、慣例で、翌年度の理事長候補は、その年の理事長が指名することになっていた。僕も、理事長年度の上半期を終えた段階で、次の理事長候補に内諾を得ておかなければならない。
 ところが、ご多分に漏れず、おいそれとは見つからない。そんな中、T君が、最初は僕同様固辞していたものの、最後に、快く引き受けてくれた。僕には、その段階で、借りが一つできた。
 もう一つある。今から18年前の4月のことである。その前の年の11月、会社を倒産させてしまった。
 にもかかわらず、鉄面皮にも、娘の高校の入学式に、夫婦でのこのこと出掛けた。式場で、T君の姿を見かけた。やはり、ご子息が入学されたという。 
 式終了後、各学級に分かれての保護者会があった。PTAの学年委員を決めるらしい。さすがに、その話し合いに加わるほどまでは、面の皮は厚くはない。僕は、女房に教室に入ってもらい、一人廊下でぼんやりと終わるのを待っていた。
 すると、突然教室の入り口が開いて、担任の先生が出てきた。そして僕に小声で言った。 
 「本当は、あなたに(学年委員長を)やって貰えればいいのでしょうが、ああいうこと(倒産)があったばかりなので、それは無理ですよね」
 「はい、さすがに」
 「では、誰か推薦して貰えませんか?」
 僕は、迷わず、T君の名前を挙げた。その後、先生とT君の間でどういう話し合いがあったかはわからない。結果として彼は学年委員長になった。1学年の学年委員長になるということは、2年後はPTA会長になるということである。大変な役を押しつけてしまった。ここでもまた借りを作った。
 そんなT君の受賞祝賀会である。僕は、何はさておいても駆けつけた。彼の人柄同様、とても和やかなパーティーであった。
 T君の健勝と、益々の活躍を期待して止まない。(6308)