僕の選挙を心配して、友達が、知り合いを紹介してくれるという。有り難く、今日は、そのお言葉に甘えた。夜は夜で、また別の友人が、自分の行きつけの店に連れていってくれた。
 明後日の告示日には、たくさんの友達が、ポスター掲示やビラの証紙貼りに手伝いにきてくれる。候補者の中には、賃金を支給して労務者を雇う人もいるようだが、僕の場合は、友情に支えられて、これまでもやってきた。
 本当に、”友達”とは有り難い。人生において、何ものにも代え難い、最高の財産だと言っても過言では無い。
 ところが、昨今、その”友達”の概念が、変化しつつあるようだ。
 あるとき、僕とKuさんで、共通の友達のAさんの話をしていた。僕にとっては1年先輩で、書店経営時代、大変お世話になった。Kuさんとは高校の同級生である。
 そこに若いMさんが、「あっ、その人、僕のフェイスブック友達です」と自慢げに割り込んできた。おいおい、僕らは、直接会話を交わし、それなりの人間関係も築いた上で、”友達”という話をしている。それなのに、単にネット上で、「友達リクエスト」を承認したのかされたのかはわからないが、ただそれだけのことで、同列に話かけれれても困る。と、違和感を感じた。
 どうも、昨今の若い世代は(年寄りじみた言い方だなぁ)、インターネットやSNSを過大に評価しているきらいがある。でも、どんなにフォローしようがされようが、コメントのやりとりを続けようが、それはあくまで、スマホなりパソコンのディスプレー上の話にすぎない。
 直に会う。目と目を合わせて話をする。軽口を平気で叩ける。困った時には互いに助け合う。相手の立場になって助言をする・・・といった関係になってこそ、本当の友達なのではないかと、アナログ世代の僕は考えるのである。
 僕らの若い頃には、ペンパルというのがあった。文通友達である。ワープロもパソコンも無かった時代だ。今の、ネットでのやりとりに似てると言えば似てるのかもしれない。
 しかし、少なくとも、自分で文字を書かなければならなかった。字を書くという時点で、心がこもる。少しでも綺麗に書こうと心掛ける。その点が、現在のメールとは大きく違うところだと思う。
 実は、中学生の頃、見知らぬ(当たり前か)女性から、文通を申し込まれたことがあった。だけど僕は、その”綺麗な字”というものに、全く自信が無かったので、返事を出さなかった。もし、字が上手で、ちゃんと返信していれば、今頃は、違った人生になっていたかもしれない。(7517)

 追伸
 ということで、”友達”ソング、僕の好きなベスト3を考えてみよう。
 第一位 フレンズ  平山美紀
 第二位 ともだち  南沙織
 第三位 友達よ泣くんじゃない  森田健作
 といったところか。