国語の教員の皆さんの、私的勉強会にお呼びいただいた。教員から呼ばれるとなると、すぐに、小学校の頃の、放課後に残されて延々と説教をされた負の記憶が蘇るが、今日はどうやら違うみたいだ。
 最初は、学校で使用するコンピュータのソフトについて、何か話したいことがあるとのことだった。はて困った。コンピュータソフトの世界は、全くの門外漢だ。教員室で説教されることよりも恐ろしい。
 でも、後日、その問題は解決したので、代わりに、学校図書館のことについて話を聴きたいと、連絡が入った。それだったら、これまでも幾度となく議会で質問をしている。いわば僕のフィールドだ。ほいほいと引き受けた。
 ところが、よく考えてみたら、相手は、国語の先生方だ。図書館を担当されている人も多いだろう。司書教諭もいるかもしれない。そういったプロ中のプロに対して、一体何を話したらいいんだろう? これまた、教員室に入るときのような心境で、会場であるS先生のご自宅を訪ねた。
 いや、しかし、向こうは学校のプロかもしれないが、僕だって、議員のプロだ。取りあえず、資料だけは揃えた。教育委員会に図書予算の推移等のデータをだしてもらい、今日は。午後から、議会図書室に閉じこもって、過去の会議録等を調べた。相変わらず泥縄だ。プロが聞いてあきれる。
 僕は、学校図書館の問題は、予算・蔵書・人の3つに集約されると思う。
 予算は、そのまま購入する図書数に跳ね返る。予算が多ければ、蔵書数も増える。実際に、僕が初当選したあたりは、小中学校とも、予算は1000万円に届かなかった。それが平成31年度では、小学校が1200万円強、中学校は1020万円強と、増額されている。
 それに伴い、文科省が定める標準図書冊数に対する達成割合も上がってきている。僕は、初めて当選した直後の議会で、早速、学校図書館の件を採りあげた時は、小学校が60.2%、中学校は72%だった。それが直近では、小学校で94.9%、中学校が117%と、大幅に改善された。
 だけど、数だけの問題ではない。中身も重要だ。特に日進月歩の自然科学の分野では、古い本を山ほど抱えていても意味はない。
 その点、弘前市では、昨年から、順繰りに蔵書の点検を進めているという。廃棄する物は廃棄する。常に最新の知識と情報を子どもたちに提供する。といった姿勢が必要だ。
 最後の問題が”人”である。いわゆる学校司書のことだ。このことも、僕は初当選以来、何度か質問・要望をしてきた。それに対する答えは、予算が厳しいの一点張りだった。
 ここに来てそれも、漸く前進を始めた。新総合計画の前期計画に、学校司書の導入の検討が盛り込まれたのだ。先日、教育委員会の担当課に行って、状況を尋ねたら、まだこれからだということだった。早く動き出すことを熱望したい。
 現実に、図書室専任の担当者がいないため、放課後、図書室に鍵のかかっている学校が複数存在する。平成28年度の調査では、中学校の6割がそうだった。これでは、せっかく予算もアップし、蔵書数も増えたのに、宝の持ち腐れである。
 なんてことを、プロの先生方にお話をしてきた。釈迦に説法とはこのことだ。
 しかし流石にお釈迦様達だ。慈悲深く、僕の話を聞いて下さった。あまつさえ、学校図書の現状を、優しく諭してくれた。教員に対するトラウマが、少し消えたような気がする。(4260)