弘前ペンクラブの定例の実行委員会が開催された。いつもは太宰治まなびの家が会場なのだが、今日は、珍しく、というか初めて、図書館の会議室で行なった。
 これには理由がある。
 午後2時から、図書館に隣接する郷土文学館で、ペンクラブ会員でもあるFさんの、詩の朗読会が行なわれることになっていた。そこで、会議終了後には、皆で、それを聴きにいこうという段取りを考えたのだ。
 弘前市立郷土文学館では、毎月第一土曜日の午後、「ラウンジのひととき」という企画を開催している。これは、昨年、弘前ペンクラブが、指定管理を引き受けてから始められたものだ。2階のラウンジに椅子を並べ、朗読やドラマリーディング・ミニコンサート等を、月替わりで行なっている。
 ラウンジ今日のFさんの朗読も、そのプログラムの一環である。正式には、「余白のポエムにこころゆだねてー詩にも、歌詞にも、詩情が流れる」というタイトルで、シンガーソングライターのTaさんのギターとのコラボレーション企画だった。
 受付で、朗読する詩を印刷したペーパーが配られたが、僕は敢えてそれに極力目を落とさないようにした。せっかく生の声で聞けるのである。耳から入ってくる言葉を味わってみようと思った。
 で、感じたこと。詩人は散文家よりも、ボキャブラリーが豊富だ。一語一語に対する感性が研ぎ澄まされている。
 考えてみれば当り前のことかもしれない。100の言葉からなる1センテンスの中の一語と、10の言葉からなる詩の一行の中の一語では、一つの言葉の持つ役割の重さが違う。そんなことを考えながら、聴き入っていた。
 Fさんのことを書こう。凄い詩人なのだ。その詩が「文學界」という老舗硬派文芸誌の巻頭を飾ったこともある。思潮社から詩集も出版されている。思潮社というのは、”詩”の世界では、最高峰に位置する出版社の一つだ。
 そんな全国的に高名な詩人が、ペンクラブ会員として、読書人倶楽部会員として、北奥氣圏同人として、多くの会員と一緒活動をしている。主婦として、普通に弘前で暮らしている。そんなところにも、弘前という街の持つ、文化的ポテンシャルの高さを感じざるを得ない。
 が、いつも思うことだが、個人名をイニシャルにしている意味は何なんだろう? 今日だって、著書の画像を添付しているにもかかわらずにだ。まぁ、個人情報保護法とやらに対する、ささやかな従順でもあり、ささやかな抵抗なんだろうなぁ。(7987)