佐藤恩師のS先生の米寿記念講演会が行なわれた。いやはや、凄いものだった。90分間、声が擦れることもなく、淀むこともなく喋り続けた。とても88歳とは思えない。仮に、今の僕でも、90分間講演するとしたら、何度か咳き込んで、何度も「あー」とか「えー」とかいって、話を中断させるだろう。
 恩師は数多くいるけれど、S先生は僕にとって、恩師中の恩師だ。中学時代三年間、国語を教わった。生意気盛りの僕の作文を評価して下さった。先生のご指導をいただいて、全国コンクールに応募したところ、思いも掛けずいい成績をいただいた。それが僕の人生の中で、唯一の栄冠と言ってもいい。あとは賞状とか盾とかとは、とんと縁の無い生活を送ってきている。
 今日の講演会では、先生の少女時代の経験をお話された。ちょうど僕らが先生に習った年代前後の回想である。70~80年前、そう戦時中から戦後にかけての、動乱の時代であった。
 印象に残った言葉が2つある。一つは、「”運”も努力のうちという人もいるが、決してそうではない。”運”は、人智の及ばないものだ」というくだり。靑森空襲の時、最初から最後まで一緒に逃げ回っていても、一人は大やけどを負い、一人は無傷だったという経験から悟ったと話された。
 なるほど。僕はもともと、努力すれば願いが叶うみたいな「努力万能主義」には懐疑的だったので、我が意を得たりと、ポンと膝を叩いた。もっとも、僕の場合は、単に努力するのが嫌いだというだけのもので、先生の辛い経験と重ね合わせること自体、失礼千万だということは承知している。
 もう一つは、朝鮮戦争の話である。先生は最初、経済的な理由で大学進学を諦めていたそうだ。それが昭和25年に勃発した朝鮮戦争の特需で、実家の経営も上向いて、進学の夢が叶い、大学の教育学部に進学をされた。その後、教師として国語教育の第一人者として、これまで幸せな人生を歩んできたが、その幸せが、隣国の民族の不幸を土台に築かれているということが、いつも心の重荷となってきているというお話だった。
 それを考えれば、朝鮮戦争がなければ、僕が先生と出会うこともなかったことになる。僕の幸せも、他民族の不幸の基に成り立っている。
 どちらの話も、戦中・戦後を生き抜いて来られた先生の話だからこそ、深く心に響く。そこには真実の重さがある。
 僕も昭和30年生まれだから、勿論戦争を知らない。大宅壮一のいう「もはや戦後は終わった」と言う世代である。でも、親や親戚から、生々しい戦争体験を、直に聞く機会は数多くあった。
 それからさらに一世代・二世代あとの、今の若者たちはどうなんだろう? 例の代議士ではないが、昨今、軽々に戦争を肯定するような風潮があるような気がして恐ろしい。
 右だ左だといった単純な色分けの問題ではない。勢いや観念ではない。思想や理屈でもない。戦争の悲惨さについて、体験に勝る訴求力はない。(9288)