「らの会」というグループがある。平成28年に結成された、弁護士・公認会計士・税理士・司法書士・社会福祉士・土地家屋調査士等、専門家の集団なのだそうだ。「しの会」としてもよさそうな顔ぶれだが、中には、大学教員や調停委員等、士のつかない職業の方もいるらしい。
 IMG_8615 (1)その「らの会」が主催する「地域で育む子どもの命」というミニセミナーに参加した。「乳児院の果たす役割」と「児童虐待について」という2部構成であった。
 東京都中野区の事件、あるいは千葉県野田市の事件等々、児童虐待事件が後を絶たない。それらを見聞きするたびに、胸が痛む。
 どうして、自分を頼ってくる、自分にしか救ってあげることのできない小さな命を、粗末にするのだろう。その存在を抹消しようとするのだろう? 僕には、虐待する親の気持ちは、全く理解できないし、理解しようとも思わない。
 幸いにして(と言ってもいいのかどうか)、青森県では、大きなニュースにまで発展するようなgy各隊は少ないようだ。今日の講義でも、虐待を理由に乳児院に入所するケースは、全国平均に比べて、極端に少ないと、講師はおっしゃっていた。また、児童相談所に持ちかけられる虐待の相談は、弘前市が、青森市や八戸市に比べて少ないというデータも示されていた。
 が、それをぬか喜びはできない。表面にでている数字が少ないだけで、実態は、もっと深刻なのかもしれない。
 来年度から、児童福祉法や児童虐待防止法が改正され、体罰厳禁が明文化されるという。今日の研修でも、体罰が子どもの脳の発育に大きな悪影響を及ぼすことや、体罰が虐待に結び付く危険性を持っていることなどが説明されていた。
 しかし・・・僕は、決して暴力を肯定するものではないが、何が厳しい躾で何が体罰かは、一概に区別できないのではとも思う。
 僕らが子どもの頃は、悪さをすれば、親や先生に叩かれたり、でこピンされることだってあった。僕は、親に向かって、「頭が悪くなるといけないので、叩くなら尻にしてくれ」と言って、赤くなるまで尻を叩かれた記憶もある。
 小学校の頃には、バケツを持って廊下に立たされることなんて、日常的に(?)見られる光景であった。僕はある時、「廊下に立っていろ」と言った先生に対して、「廊下に出るということは、僕の教育を受ける権利を奪うものです」と反抗して、結局、教室の後ろに立たされたこともある。
 スクールバスの最終便がなくなる時間まで居残りをさせられて、歩いて帰ることだなんて、ほぼ毎日だった。これだって今風の考え方をすれば、立派な体罰となるらしい。
 でも、どれも虐待とまではならなかった。誰も体罰だとかといって問題にしなかった。「先生に叩かれた」と親に言えば、「叩かれることをしたお前が悪い」と言ってまた叱られた。そういった中で、子どもたちは、やっていいことと悪いことを学び、叱られても立ち直る強さを身に付け、上手な叱られ方なども会得していったものだと思う。
 そんなことを思い出せば、真綿でくるむような育て方で、本当にいいのだろうかといった不安も感じないわけではない。要は、厳しい躾であれ体罰であれ、子どもに愛情を持っているか、子どもの人格を尊重しているかといったあたりに、その境界があるようにも思う。感情に任せた暴力や暴言は、絶対に許されるものではない。(4937)