何がピンとこないかと言って、「先生」と呼ばれることほど、腑に落ちないことはない。その都度僕は、「いや、先生ではありませんから」と言って、やんわりと固辞している。
 僕の意識の中では、先生とは、教師・医師・弁護士等、資格を持って、人を、何らかの形で”導く”ことの出来る人だと定義している。 議員は、資格は要らない。人を導くよりも、逆に大勢の人から、情報をもらい、要望を受け、それに基づいて議場で発言する。だから決して”先生”ではない。
 ゼミところが今日は、文字通り”先生”を経験した。弘前大学の政治学のゼミで、学生達に講義を行なったのだ。日頃からお世話になっている教育学部のM講師のお招きである。
 実は、一昨年も一度行なっている。前回は一人だったが、今回は同じ会派を組むTa議員と一緒だ。気分的にはかなり楽だった。
 内容は、当然のことながら、学術的なものではない。市議会とはどういうところか、市議会議員の仕事は何か、自分が議員を志した理由、今の弘前市の課題等について、M先生がコーディネーターの役割をして、僕らがそれに答えるといった形で進行した。学生さんからの質問にもお答えした。
 が、何せ20歳そこそこの若者達である。彼らにとって僕は、”お父さん”以上”お爺さん2未満の年代だ。果たして、僕の声は、彼らの心まで届いたのであろうか?
 そこへいくとTa議員は、まだ20代だ。大学生にとっては”お兄さん”くらいだろう。色々と共感できることもあったに違いない。
 以前読んだ司馬遼太郎の本で(タイトルは忘れた)、高杉晋作、久坂玄瑞等々、幕末の長州の若者達が、あれほどまでに吉田松陰を慕い、松陰の言葉通りラジカルな行動に走ったのかについて、読んだ記憶がある。それはつまり、松陰と教え子達の年齢が近かったこともあるのだそうだ。 
 若者は、年齢の離れた権威に対しては、反発する一面も備えている。年齢が近ければ近いほど、教える側・教わる側の、時流の捉え方や、言葉に対する感覚も近くなり、シンパシーが増幅するのではないか。
 というせいか、今日は、Ta議員が主役で僕が脇役といった感が無きにしも非ずであった。僕のギャグはあまり受けなかった。
 いや、ギャグがどうのこうのではない。終わった後で、二人で振り返ってみたのだが、どうも全体として反応が鈍かったようにも思う。僕らの講義の進め方が悪かったのか、話し方が悪かったのか・・・? やっぱり先生は難しい。(8925)

 追伸
 今日のタイトルは、ご存じ、森昌子のデビュー曲「先生」の歌詞からいただいた。その当時から、歌の上手い人だった。そこで、久し振りに、僕の好きな歌ベスト3を書いてみよう。森昌子編である。

 ①「哀しみ本線日本海」 昔は、京都や大阪へは、日本海まわりの寝台列車で行ったものだったが・・・。
 ②「越冬つばめ」 カラオケで歌うには難しい歌だ。ヒュルリーヒュルリララ という部分だけは歌える。
 ③「中学三年生」 花の中三トリオの頃の曲である。結局、誰が一番幸せになったんだろう?