弘前れんが倉庫美術館の開館まで、あと約一ヶ月半。一部の間では、少しずつ気運が高まってきているようだ。
 これまで僕は、公共の美術館である以上、地域に縁のある芸術家の作品を中心に収蔵すべきだと訴えてきた。また、向こう15年間に渡る債務負担行為という予算措置には、真っ向から反対をした。
 一方で、あのレンガ倉庫を活用しようという運動を、今から30年前に既に行なっていた。文化都市弘前に美術館が無いのは画竜点睛を欠くようなものだと、前の市長に言ったこともある。
 まぁ、色々なことがあったけど、ここまで来たら、この美術館が、当初の目的をしっかりと果たしてくことを、市民として応援もするし、議員としてチェックもしていこうと思う。
 その”当初の目的”の中には、”中心市街地の活性化”ということもあった。そもそも、このれんが倉庫美術館は、弘前市の中心商店街土手町から、不動産屋風に言えば「徒歩5分」の場所に位置し、また、夜の歓楽街鍛治町とも、川を挟んで接している。そのような立地を活かして、美術館を訪れた人が、街を回遊することも、狙いの一つだったはずだ。
 それに向けた取り組みが、先週の土曜日から、ようやく動き始めた。
 一つは中土手町商店街がしかけた「民まちアートプロジェクト」。もう一つが、今日までの三日間開催された「ドテマチ・アート・フェスタ」である。美術館の開館に併せて、商店街にもアートな雰囲気を漂わせようと企画したものとのことだ。
 中三今日まずは、その「ドテマチ・アート・フェスタ」の一環として行なわれた演劇を観に行った。キャストには。よく見知った面々が並んでいる。
 某放送局の入社5年目の若手社員6人が、リストラされる幹部社員一人を決めなければならないという、いわば不条理劇である。人が人の運命を決定するという深刻なテーマだ。
 しかし、よく考えてみれば、人生は決断の連続だ。取捨選択の連続だ。自分にとって最善のつもりの決断が、他の人にとっては最悪の結果をもたらす場合だってある。喩え些細なことであっても、何かを選択するときには、大きな犠牲と責任が伴う。
 そんな日常の断面を切り取り、誇張と脚色を施して、一つの物語に仕立て上げる。確かにこれは”アート”だと思った。
 その足で、中央弘前駅で行なわれている「民まちアートプロジェクト」にも寄ってみた。客は僕の他になく、一抹の寂しさを感じた。ただ、なんとか商店街に人を呼び込もうとする意欲は見えたように思う。
 これからは、こういった、商店街側からの働きかけが、もっともっと求められる。美術館のオープンは起爆剤かもしれないが、導線が商店街まで延びていなければ、活況に火がつことはない。地元商店街の奮起に期待もするし、協力も惜しまないつもりだ。(7442)