昨日のブログで、「僕には市民からの相談がほとんど無い」ようなことを書いた。が、それは実は、少しだけ謙遜した物言いだ。僕にだって、いまだに、相談してくる人がいる。エッヘン。って自慢するようなことでもないか。
 昨日は、市の文化施設の使用について、今日は、刑事訴訟法のことと離婚のことについて、それぞれ相談を受けた、文化施設の件はともかく、刑訴や離婚は、市議会議員の範疇ではないように思われるかもしれないが、市民からの問題提起、あるいは市民の困り亊なので、精一杯対処したいと思う。
 それにしても、思い返せば、僕が議員になって初めて受けた相談も、離婚のことであった。今から13年も前の話だ。まだ、女房は健在だった。
 当時、旧一大小学校の校舎跡にあった、市の正割相談の窓口を訪れた。対応に出た職員は、書類を出して、名前を書けと、命令口調で言う。僕は、自分が離婚するわけではないので、書きたくないと反抗したが、規則だからと、更に強い口調で命ずる。仕方がないので、渋々名前を書いた。
 すると、その職員の態度がコロッと変わった。「あっ、この度当選なされました今泉昌一先生でしたか。それは失礼いたしました」
 「いや、先生ではないんですけど・・・」 僕はその時、このような議員と職員との関係を変えなければと、先ず頭に浮かんだ。議員は先生などではないし、職員との上下関係なんかあるはずがない。
 その他にも、養育費のことで、2~3人から相談を受けたことがある。よっぽど僕が離婚の達人と思われているのかもしれないが、そんなことはない。僕は、離婚の経験はない。女房とは死別である。
 ピンチは何度かあった。39歳で、翌年度の青年会議所の理事長を要請された時だ。「青年会議所の理事長になったりしたら離婚する」と女房からきつく言われた。女房は、元、青年会議所の事務局員だった。理事長の激務を目の当たりにしていたからだろう。反面、青年会議所活動の意義も理解してくれていたので、何とか事なきを得た。
 二度目は、選挙に立候補する際である。「選挙に出たら離婚だ」と、前回よりも更に厳しい口調で言われた。反対を押し切って立候補準備を進めている期間も、まだ怒っていて、全く手伝って貰えなかった。でも、選挙戦に突入したら、最後は、街宣カーに一緒に乗り込んでくれた。
 やっぱり夫婦とは”いいもの”である・・・なんてお惚気を書くつもりではない。どんなに”いいもの”であっても、経済的理由、性格的理由、子育てへの考え方の違い、不倫不貞等々で、最終的に別れざるを得なくなる人達も少なくはない。
 そういう場合、僕は勿論、心の問題に立ち入ることはできないが、法律的なことや制度上のことであれば、話を聞いてあげることくらいはできる。特に心配するのは、間に入った子どもたちのことだ。お金だけでは解決できない。深い問題がある。困った時には、一言、声をかけていただければと思う。
 もっとも、犬も食わないような類の夫婦喧嘩の仲裁だけは、勘弁してもらいたい。(8466)

 追伸
 今日のタイトルのネタ元は、古~いテレビ番組と、織田作之助の小説。若い人には、どちらもピンとこないかもしれない。