弘前市議会令和2年第2回定例会が、26日間の会期を終え、今日閉会した。今回はコロナ感染予防に配慮した、異例づくめの議会だった。
    以前にも紹介したが、一般質問の登壇者は、わずか10人だった。しかも、持ち時間は、通常より10分短縮の、一人50分間。中には、コロナと全く関係ない質問をする議員もいたが、大方の議員は、コロナ対策についての質問に集中した。
     密集を避けるため、議員席の間は一つおきとなった。その結果、最前列にテーブルを一つ足し、両サイドの議員は、通路にはみ出す形となった。僕は、その、前から3列目の、向かって左の通路に座っていた。
     予算決算を除く4つの意常任委員会も、通常であれば、4つの会議室に分かれて、同時刻に行われていたものが、今回は、比較的広い2つの広い会議室を使用するために、午前と午後に分け、2委員会ずつ行われた。案の定、時間を間違えて来る議員もいた。僕も、委員長をやっていなければ、間違えた口だろう。
      その委員長の仕事である。最終日には、委員会での審査の経過と結果を、壇上で読み上げなければならない。書記が一生懸命に作った原稿だ。
       しかし僕は、実は、原稿を読むことが苦手なのである。目が悪いせいもあるが、そればかりではない。心理的に不向きなのであろう。
       小学生までは、国語の教科書の音読は得意だった。子供の頃から活字には慣れていたのだ。ところが、長ずるにつれ、一字一句間違わずに読むことに、あまり価値観を見出せなくなった。特に、自分で書いた原稿を読む時だ。"書く"という行為で、もう自分自身を100%表現しきっている。それを改めて正確に読もうという行為に気をつかうことに、違和感を感じるようになったのだ。
        それが嵩じて、第三者の書いた原稿を読む時にも、無頓着になった。書いた言葉と、口から発せられる言葉が、全く同じであるはずがない。読む時には、読み手としてのオリジナリティーがあったっていいではないか。・・・要するに、単なる天邪鬼なのである。
        が、議会というところは、そうはいかない。何せ、書記の書いた原稿が、そのまま会議録に掲載される。僕らが手を加えたり、間違えることは許されない。
        と、考えると、余計に緊張してしまう。今日も、何度もつっかえた。せっかく昼夜を厭わず書きあげてくれた書記に申し訳ないことをした。一般質問お登壇よりも、数倍疲れた気がする。
         ともあれ、過去に例をみない、しかも県内でも最大規模となる経済支援策を盛り込んだ補正予算案はじめ、全議案を可決承認をして、6月議会は終了した。あとは、これらの市の施策を活用して、如何に市の経済の復興を図ることができるかだ。市政と市民をつなぐ役目として、僕ら議員に課せられた使命は、決して小さくはない。(11151)