昨日のブログにも書いたが、今日は、まなびの家で行われる予定だった「太宰治文学講座」が中止となった。明日も、毎月第三月曜日を定例としている、某市民団体の例会も取りやめとなった。
 鍛治町の高級クラブを発生源としたコロナ感染拡大も、一応は峠を越したようだ。が、集まる人の年齢や場所の状況によっては、まだまだ日常活動を元に戻すことはためらわれている。
 そんな中、弘前読書人倶楽部の句会が再開した。10月11日以来、ずーっと休んでいた。それまで毎週行われていたものが、1ヶ月も間が開くと、何か俳句勘が鈍ってしまった。と、言い訳を書いておこう。
 実は、この句会、全国に緊急事態宣言が発令された頃から行われていた。極めて少人数だし、全員マスクを着用してのことだし、それにそもそも句会なので、口角泡を飛ばして議論することもない。そう思って、続けてきた。現に、今に至るまで、句会参加者からは、一人の感染者もでていない。
 が、さすがに、10月中旬以降は、開催を見送らざるを得なかった。だって、4月5月は、弘前では、一人の感染者もいなかったのだが、10月には陽性反応者が出た。しかも一月足らずで180人もに上る。
 僕は、6月の定例議会で、「コロナだからといって何でもかんでも禁止するのではなく、コロナの中においても、感染防止に充分に気をつかった上で、出来ることから一歩ずつでも進めるべきだ」と主張した。今でもそれは間違っていなかったと思っている。
 何もかも止めてしまうということは、イコール、生活そのものを止めてしまうということに繋がる。経済ばかりではない。人と人との交流も、心の充足も、生きがいも、失われていってしまいかねない。
 6月と今とでは、確かに、置かれている状況は異なる。何かを行う際の判断基準も違ってきて当然だ。より慎重に、よりハードルは高く、やれることとやれないことを見極め、行うためにはどうすればよいのか思慮をめぐらした上で、でも歩みは止めたくはない。
 今、悩んでいるのは、読書人倶楽部例会のブックトーク。先月はコロナを理由に休んでしまった。講師をお願いしている方のご都合もあることだろうし、一両日中には結論を出したい。
 一方で、読書人倶楽部句会は、来週も行う。わずか5人のささやかな句会くらいは、続けていきたいものだと思う。ひそやかに、ひそやかに。(7263)

 追伸
 今日のタイトル「花のようにひそやかに」は、小柳ルミ子の昭和49年の曲である。この曲の頃は、大を付けてもいいくらいのファンであった。。