議会運営委員会が開催された。僕らが会派の打ち合わせで控室に集まるのとは違って、れっきとした公務である。例えば、通勤(?)途中に事故に遭えば、公務災害が適用される。
 そういった公務で登庁した際には、これまでは、議会事務局に立ち寄って、出勤簿に判子を押すのが慣わしだった。13年前、初めて登庁したときに、今時、かなり小規模な事業所でさえタイムカードを導入しているのに、判子を押すなど、なんて古風な世界だなぁと、素直に感じた。でも、10数年経つ中で、なんとなくそれに慣れていったしまった。
 今日、いつもの公務と同じように、朝、事務局に行ったら、その出勤簿も印鑑ボックスも無い。一瞬違和感を感じた。
 そう言えば、先日、会派の代表者で集まった時に、そういう話は出ていた。だけど、それは、次の定例議会からだとばかりと思っていた。まさか、今日からとは、意外であった。
 さすが縦社会の行政機関である。上からのお達しには、即座に対応する。新内閣がそれらしきことを言い始めてから、わずか2ヶ月で、こんな地方都市の議会にまで、その波は押し寄せてきた。
 その一方で、今日も母親の介護に関する件で、事業者が2件、我が家を訪ねてきた。契約書やら、同意書やら、説明を受けましたという確認書やら、随分と判子を押した。中には、市に提出する書類というものもあった。
 僕は、判子を押すことを厭わない。決して否定はしない。かつて経営者だった頃は、融資の虫込みやら、会社の連帯保証人とやらで、散々実印を押してきた。でも、それは、”覚悟”というものの意思表示でもあった。印鑑をつくことで、重大な責任を追うということを、自らに自覚させる、一種の起動装置の役割も果たしていた。
 この度の河野大臣の”判子廃止論の本筋は、判子そのものの存在のことではない。行政改革という論点から推し量るに、稟議と称して、係長⇒課長補佐⇒課長⇒部長⇒・・・社長(市長・知事・大臣)と、順番に判子を求めていかなければ決裁できなかった、その制度そのものにあるように思う。改めるべきはその制度であって、判子を悪人扱いすることは、趣旨に反するのではないかと考える。
 あっ、肝心なことを書くのを忘れていた。
 今日の議会運営委員会で決まったこと。会期は11月27日から12月22日までの26日間。一般質問は12月8日から11日まで。提出された議案は25。
 補正予算案の中には、精査を要するものもある。コロナ対策ということに対する概念も曖昧だ。数字の根拠が示されていない。詳しくは、その都度、このブログで報告したい。(8720)