母の死に際しても、努めて冷静でいたいと思っている。冷静でいるつもりであった。だけど、やはり、どこか頭の中に空洞があるのだろう。
 昨夜のブログを更新した後、湧いていると思っていた湯船に飛び込んだ。水風呂だった。湯沸かしのスイッチを入れていなかったのだ。
 それで今日は、朝から、背中に悪寒が走っていた。心なしか、額も熱っぽい。
 そんな状態で、母を火葬場で見送った。暖房は付けているとはいえ、あの広いスペースだ。あの高い天井だ。コートを着るわけにもいかず、寒さに震えていた。
 一連の葬儀の流れの中で、この”火葬”ほど悲しいことはない。それまで、まがりにも姿形のあったものが、焼却炉の扉の中に入っていく、あの瞬間が最も辛い。次に扉から出てくる時は、骨と化している。あそこが、この世とあの世の境界のようにも思える。
 母が意識不明に陥った後、何度か、病室を見舞うことができた。話しかけても返事はない。ただ、様子を見て、精一杯呼吸をしているのを確認しに行っていたようなものだ。
 その病室を出る時、僕は、決して「さよなら」とは言わなかった。必ず「また来るからね」と言って帰ってきた。
 でも、今日は、「さよなら」を言った。何度も何度も繰り返した。
 父の時も、女房の時もそうだった。そうした悲しみを、一つ一つ乗り越えるように、儀式は進んでいく。明日はお通夜、明後日は葬式と取越し法要だ。
 その翌日からだって、何かにと残務整理もある。しばらくは、バタバタとした毎日が続く。
 それらが全て終わった後、きっと、本当の悲しみがやってくるのだろう。孤独感や虚脱感と一緒に・・・。(4792)