高校時代からの友人のお兄様が亡くなられた。新聞の死亡広告によれば、行年72歳となっていた。まだ若い。
 友人は、同期の仲間たちに、通夜に来なくていい、香典もいらないと発信していた。遠慮もあるのだろう。コロナの感染が収まらない中での、気遣いもあるのだろう。
 でも、僕は、そういうわけにもいかない。何と言っても、お兄様は、40年近くも前、僕を弘前青年会議所に誘ってくれた人だ。入会時にはスポンサーにもなっていただいた。
 青年会議所での経験は、 僕の人生の中で、大きなウェイトを占める。何と言っても、亡くなった女房を見初めたのが、青年会議所の事務局だった。それまでは、事務局員に手を出すのは御法度とされてきたらしいが、僕がそのご禁制破りの第一号になった。その数年後、後に続く人も出てきて、一安心したものである。
 在席していたのは12年ほどだったろうか。創立35周年、40周年、東北青年経済人会議、全国城下町シンポジウム、弘前市制100周年記念事業等々、毎年のように大きな事業が続いた。委員長として、室長として、副理事長として、そのプロジェクトに加わった。最終年度には理事長までやらせていただいた。
 そんな思い出を書き始めれば、このブログ100日分の文字数があっても表わしきれない。忙しくて、随分と出費も嵩んだけど、掛け替えのない経験を積ませていただいた。
 青年会議所を卒業した5年後、経営していた書店を倒産させてしまった。その時も、多くのJCの仲間に励まされ助けられた。逃げずに、くじけずに、この街で生きて来られたのも、青年会議所のお陰だと思っている。
 だから、あの時に、友人のお兄様から誘われていなかったら、そして青年会議所に入会していなかったなら、僕の人生は、全く違うものになっていたに違いない。(案外、大金持ちになっていたりして・・・)
 そんな、たくさんの感謝を込めて、通夜の会場に行ってきた。故人の人徳の所以であろう。コロナ禍にもかかわらず、大勢の弔問客が訪れていた。合掌。(6781)