昨年に引き続き、大浦光信公慰霊祭に、津軽厚志会の理事長代理として、参列してきた。
 種里場所は、鰺ヶ沢町種里にある「光信公の館」。ここは、531年前に久慈から来た光信公が城を構えた土地だ。駐車場の入り口には、左のような看板が立っている。そう、昨年のブログにも書いたように、弘前藩祖津軽為信公は、光信公の5代目にあたる。確かにその意味で、弘前藩の歴史は、この地から始まったと言うことができる。
 が、先ほども書いたように、光信公自身は、今の岩手県久慈市出身だ。そしてその父君は、秋田県横手市から久慈へ敗走してきたという。
 そうして考えれば、青森県・岩手県・秋田県に広がる、壮大な歴史絵巻を描くことができる。更には、弘前藩の物語は、遠く群馬県の太田市や、北海道の斜里町にもつながっていく。なんてことは、去年も書いたような気がする。
 今年も、久慈市からは、市長がいらっしゃっていた。久慈市における”津軽愛”は相当のものらしい。
 昨年は横手市長も参列されていた。その機会に、弘前・黒石・鰺ヶ沢・久慈・横手の5市町村で、「歴史・文化に関する交流宣言」を行ったという。が、コロナの影響で、その後の具体的な動きはまだ見えていない。
 交流と言っても、様々な形がある。斜里町や太田市(当時は尾島町)とは、民間(青年会議所)が先導する形で、今の自治体挙げての交流に発展してきている。
 例えば、と僕は思いついた。教育旅行の交流である。何も東京ディズニーランドや北海道ばかりが、修学旅行の行先ではない。5市町村の子どもたちが、互いを訪ねあい、故郷の歴史の奥行に触れる機会があってもいいのではないかとも思う。
 これも、昨年書いたことと重複するが、僕自身も、久慈・横手には、もう一度行ってみたい。特に横手は、夜に宿泊するためだけに立ち寄ったようなものなので、日中、ゆっくりと散策をしてみたいと思う。
 しかし、旅をするにしろ、見知らぬ街を散策するにしろ、実施するなら早い方がいい。年々体力は衰えていく。
 今日だって、種里城は、いわゆる”山城”だ。駐車場から光信公の館までは、けっこうの上り坂だ。正直言って、しんどかった。夕刻になっても、息が上がっていた。一か月分の運動量をこなしたような気もする。
 おかげで今日は、ビールが、ことのほか旨かった。(5155)