「国語」は、何のために勉強するのか。単に、文字や単語や文法を覚えるためだけでは、勿論ない。 最も大切なのは、相手の主張や感情を正しく理解する力、そして自分の主張や感情を正しく伝える力を身につけることに他ならないだろうと、僕は考える。
 もう少し具体的に言えば、話を聞く力、文章を読む力。あるいは話す力、書く力のことだ。極論を言えば、人間社会の中で生きていく上での最も重要な力(技術)ではないだろうか。
 最近は、AIに小説を読ませたり書かせたりする取り組みも行なわれているようだ。だけど、人間の主張や感情の機微、表現によるニュアンスの違いまでを完璧にこなすまでには、まだまだ時間が掛かるだろうと思う。
 さて今日は、作文(小論文)指導のことで、Sa先生を、ある塾の経営者にご紹介をした。僕とTa議員も間に入って、1時間ばかり、熱い話し合いが行なわれた。
 Sa先生は、3月まで某私立大学の教授を務められていた方だ。弘前読書人倶楽部の会員でもある。1~2ヶ月前くらいまで、読書人倶楽部で、女子高校生の作文指導をされていた。
 その生徒は、最初は、原稿用紙の使い方もよく知らなかったのだそうだ。それが、この度目出度く、全国コンクールで優勝したとのこと。先生の指導力に感嘆する。
 一方、塾の側では、受験の小論文対策だけでなく、幅広いキャリア教育の一環として、作文の指導の必要性を考えているようだ。試験のためというよりも、長い人生の中で必要な文章力を、基礎から身につけさせたいという狙いを僕は感じた。
 その意味では、適材適所ではないかと考えた次第だ。うまく話がまとまればいいのだが。
 作文教育の重要性については、以前に、議会でも採り上げたことがある。文章を書く力は、高校生になって受験勉強の一環として行なうのでは遅い。ましてや社会人になってからだと、なかなか自分のものにならない。義務教育期間である小中学校の頃からしっかりと行なうべきだという主張だ。それは今も変わらない。
 自分の例で恐縮だが、誤字誤変換だらけであっても、内容が支離滅裂であっても薄くても、僕がこうして、毎日ブログを更新できるのは、小学2年生時の担任のMa先生と、中学の国語のSa先生のお陰だと感謝している。もっとも、Ma先生はもうお亡くなりになられたが、もしこのブログを見れば、こんなはずじゃなかったと、お嘆きになるかもしれない。(10280)