西谷元県議会議長 西谷洌さんの、叙勲祝賀会にお招きをいただいた。席と席の間、テーブルとテーブルの間等、充分なソーシャルディスタンスをとっているとは言え、弘前でも1位2位を争う広いホールが満席という、大盛況であった。
 西谷さんは、僕にとって、三重の意味での先輩にあたる。
 一つは、商店街の先輩。 土手町は、お城に近い方から、下土手町、中土手町、上土手町という3つの商店街に別れているが、僕が弘前に帰ってきた当時には、西谷さんは上土手町商店街振興組合の理事長を務められていた。
 1980年代は、駅前地区と土手町地区で、中心商店街の2極化などということが言われていた。ヨーカドーや、その後出店してくる予定だった駅前の大型店に対抗しようと、土手町では、古いアーケードの撤去や、歩道や街路灯の整備に取り組もうという計画が始まった時期でもある。西谷さんは、その先頭に立って、商店街の活性化に取り組まれていた。
 弘前青年会議所の先輩にもあたる。西谷さんが理事長の時、土手町の車両通行を止めて行う「カルチャロード」が始まった。
 実は、それ以前にも、土手町の商店街振興組合でも、歩行者天国を実施したいと、警察やバス会社等にかけあっていたと、父から聞いていた。当時の土手町の商店主たちである。今以上に経済力も影響力も持っていた。
 その面々が出来なかったことを、青年会議所が実現した。僕が、青年会議所に入会しようと思った動機の一つは、そこにもある。決して事務局員を嫁にしようというものではなかった(分る人には分る、内輪のギャグだなぁ)。
 そして政治の世界の大先輩である。僕が初当選して間もない頃、「お前は行政の監視に重点をおいているようだけれど。自分は、与党の中枢にいて、自分の理想とする政策を実現させることを目的にしている」というようなことを言われたことが、記憶に残っている。
 とにかく、商店街でも、青年会議所でも、政治の世界でも、常に堂々と王道を歩んでこられた方だ。勿論、順風満帆ばかりではなかったと思う。ご子息を若くして亡くされ、本人も病魔に冒され声帯を失った。その悲しみや苦しみは、いかばかりかと察するにあまりない。
 そういった艱難辛苦を乗り越えての、今回の叙勲である。心より祝福したい。西谷さんは、僕にとっては、いつまでも眩しい大先輩なのである。(5106)