中学校時代の恩師を囲む、小さな勉強会がある。「ひこばえ塾」という。
 最初は、先生が担任をしたクラスだけの集りだったらしい。でも、いつの間にか、他のクラスの僕も加わり始めた。今では、学年も違う、いや他の学校の卒業生まで参加する、多様な集りとなっている。
 毎回、メンバーの誰かが、チューターとして話題を提供する。自分の仕事の専門分野のことだったり、趣味や、ライフワークとして取り組んでいることだったり・・・。   
 それに対して、質疑応答だなんて堅苦しい言葉は似つかわしくいような、ザックバランな意見交換が行われる。その中で、それまで知らなかった知識を得ることができる。普段はごくごく親しいと思っていた人の、それまでのイメージとは違った生き方を知ることができる。
 その「ひこばえ塾」が、実に1年ぶりに開催された。何せ、会のコアでもある恩師が、もう90歳間近だ。本人よりも周囲がコロナ感染を恐れて、しばらく開催を控えていた。今日だって、何人集るか不明だったが、先生を慕う教え子達が、約10人近く参加した。
 今日のチューターは、同期のNa君。彼は昨年「佐藤泰志をさがして」という本を上梓した。一人のア作家との出会いや、その作品を深く探求していく過程を綴ったものだ。
 申し訳ないが、佐藤泰志という作家の小説は、今まで読んだことがない。そればかりか、Na君から本をいただいたのだが、それにすら、ろくに目を通したことがなかった。
 そういう意味で、今日の勉強会は、すごく新鮮だった。僕の中にも、知的好奇心というものが、まだ残っていたらしく、是非、短編集くらいは読んでみたいと思った次第だ。  
 何より、資料として添付された、Seさんによる、T紙の書評が素晴らしかった。新聞の読者を、書籍に惹き付ける、書評本来の力が、強く伝わってきた。いや、Na君には悪いかもしれないが、書評自体が、書籍を超えて、一つの文学作品にまで昇華されている、そんな気品みたいなものを勝手に感じとってしまった。
 一冊の本を出版するということは、およそ物を書く人間にとっては、一種の憧れであり、ステータスでもある。正直言って、同級生やごく親しい知人が、本を出したという話を聞くたびに、祝福とはまた別に、ジェラシーを感じている自分がいる。
 いつかは僕も・・・。
 来年の市議会議員選挙の前に、このブログを一冊の本にまとめたら、と言ってくれる友人もいる。しかしまぁ、誤字脱字誤変換を訂正するので、おそらく間に合わないだろう。とにかく、毎日更新するだけで、今の僕には限界なのである。(7675)