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   西安ではネットに接続できないので、2013年3月にこのブログに書いた記事を
コピーして貼り付けておきます。


  洪自誠の 【菜根譚】 に 『花は半開を看 酒は微酔に飲む』 とある。花は五分咲きを鑑賞し、酒はほろ酔い加減が好い。満開の花を看、泥酔するまで酒を飲んでは、そこには何の風情もない。洪自誠は上野公園の状態を言ったのではなく、花や酒に譬えて人生を説いたのである。何事もホドホドが大事である。
 
  若い頃から私は、この 【菜根譚】 の中から詞句を拾って書いたり刻ったりしていた。論語のように一節が短く、その中の部分を書いたり刻ったりして、全文を落款に書くという形式が多かった。

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魚を致さんと欲する者は先ず水を通じ、鳥を致さんと欲する者は先ず木を樹う。水積めば魚聚まり、木茂れば鳥集る。(何事をするにも先ず準備が大事)

世に処するには一歩を譲るを高しと為す。歩を退くは即ち歩を進むるの張本なり。人を待つには一分を寛くする是福。人を利するは実は己を利するの根基なり。
(世を渡るには決して人と先を争ってはならない。常に一歩を譲るということが自己の人格を高くすると共にまた保身の道でもある。一歩を退くは一歩を進む所以である。人を待遇するには一分を寛やかにして厳に失してはならない。是がまた自分を幸福にする道である。即ち人によくし、これに利益を与えることは、また自分に利益を得る根基となるのである)

心に物欲なければ即ち是秋空霽海。坐に琴書有れば便ち石室丹丘を成す。
(物欲の為に精神を乱されなければ、その人の精神は秋の空の晴れ渡るが如く、また広々とした海の如くである。坐辺に琴と書物とがあれば神人がいる石室や丹丘の如き仙境の思いがするであろう)

風花の瀟洒と雪月の空清は唯静者之が主と為る。水木の栄枯竹石の消長は独り閒者其の権を操る。
(春花秋月の楽しみは名利に狂奔する俗人の解するところなく、水辺の樹竹の春夏秋冬にその姿をかえるさまなども、独り清閑を楽しむ者のみが味わうことの出来るものである)

道徳を棲守する者は一時に寂寞たり。権勢に依阿する者は万古に凄凉たり。達人は物外の物を観身後の身を思う。むしろ一時の寂寞を受くるも万古の凄凉を取ることなかれ。
(道徳を守って世を送る人は、そのときは寂しい。権勢に阿附する者はその場限りで、名は残らない。其のどちらかを取るのは人の自由であるが、達人は後者を取らずに前者を取るであろう)

 等 々

  菜根譚の教えには共感するものが多い。今の中国を見ていると、とても中国人の書いた本とは信じがたいが、論語はじめ中国には我々が人生の指針とすべき書物は多い。

だ菜根譚を指針にすると金持ちにも権力者にもなれない・・・

   鴨川の浜       ひじき       海苔? アオサ?
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 南房総市に咲いていた花
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