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  西安には博物館がたくさんある。有名な石碑も沢山ある。こういう土地柄なので、当然個人で収蔵している人もたくさんいる。私は木簡の書が好きである。名もない人達が記録のためにのびのびと書いているからである。

  後世に残そうと書いている碑や墓誌、鑑賞させるために書いている書より見ていて楽しい。木簡は保存が難しいので、個人で持っている人は少ないと思う。一昨年知り合いになった画家が収蔵している木簡を見せてくれた。

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二年前に友人と遊びに行った田舎の家の庭には、いくつかの墓誌が無造作に置かれていた。また『貞観』の年号の入った碑もあった。(九成宮醴泉銘と同じ頃)

  個人が持っているということは、売ってくれる可能性があるということである。あと20歳若かったら売買交渉していたことだろう。もちろん買っても合法的に国外には持ち出せないが・・・

  中国書法家協会副主席であった鐘明善先生は、西安交通大学教授で、中国書道史の第一人者である。仕事場の交通大学には、個人で持っている墓誌など多くの資料が置いてあった。何回か見せてもらいに行ったことがある。

  今は交通大学博物館に寄贈してしまったので、ガラスケース越しにしか見られないが、個人が収蔵している頃は、触るのも拓本をとることも自由である。

  50年位前には、明清の書を勉強する人で王鐸などの書を個人で持っている人は何人もいた。篆刻を勉強する人で呉昌碩や趙之謙の印や印譜を持っている人も結構いた。

  博物館のガラス越しに見るのと、作品集などの印刷物で見るのと、自分で収蔵して自由に見るのでは、得るものが全く違う。自分で持てなくても、収蔵している先生に教わるか、収蔵している人と友達になれば手に取ってみることが出来る。

  日本では収蔵している人達が亡くなり、オークションなどを通じて次々中国の成金収蔵者に買われて行ってしまった。しかし西安に行けば、周‣秦・漢・随。唐などの文物を個人で収蔵している人はたくさんいる。

  土地柄、明・清・民国などの書画を持っている人は少ない。こちらは江南地方や上海、北京に行った方が収蔵者は多いだろう。中国は広いので、自分の勉強するもの、嗜好に合わせて行き先を決めるのが賢明である。



  最近の中国。(携帯電話の投稿写真より)

 大学教授の講演会などでも携帯電話をいじっている人は多い。当然電車やバスになるといじっていない人のほうが少ない。(カモ) 若い人はほとんど微信やメールだが、年寄りは通話が多いので、当然周りの迷惑など考えずバスの中でも大声で会話をしている。(注意する人はいない)

 タブレットを買ってもらえる裕福な家庭のガキお子様は、食事もそっちのけでゲームに興じている。中国は貧富の差が激しい。都会と田舎の差も激しい。

 こういう人たちは全体の数パーセントにしか過ぎないかもしれないが、多分こんな人達がこれからの中国を牽引していくのであろう・・・

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日本がここまでいかないのは、家庭教育がしっかりしているからであろう。日本でも中国でも学校では同じように道徳教育はする。しかし中国では学校の成績が一番重要なので、家庭での躾が日本よりかなり劣る。これはその結果である。
  
 
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