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以下の文章は2013年1月27日に書いたものをコピーして掲載しています
上海に行くと呉昌碩用刀というのが売っている。しかし、いろいろな形があり、どれが本当に使った印刀なのかわからない。全部本当なのかそれとも全部偽物という可能性もある。
今から80年前に書かれた楠瀬日年の本には次のように書かれている。
世に正派と呼ぶ芙蓉派の人達は今日にいたるも尚ほ下から上へ刀を運び、刀は斜頭の偏鋒を用ひ、時に印鑿をも使用して、印床を机上に置いて刻印するを常とする。 (中略)
印床を使用せず左手で印材をもつて刻印する人は、大抵上から下へ刀を運ぶ人で、殆ど中鋒の平頭を使ふ、刀を前方に傾け、其上少しく右に臥かせて刻るのである。この法に馴れなじむと印材を持つ左手は右手の足らはぬところを補ふて十分な援けをすることに氣附くであろう。のみならず印石に刄のあたり具合が軟かで或る程度の石の欠点を補ふ場合も尠くない。毎度引合せに出すが呉昌碩も徐星州もこの手段方法で作印してゐた。
近時我國で專ら行はれて居る浙派、皖派の人達はすべてこの手段方法によつて居る。刻れば出る石の粉は口で吹き飛ばさず拂ひのけるのがよいとも摹印秘論に出てゐる。
昭和初期には、江戸時代の高芙蓉の流れを汲む人達を正統派として、印床を使い、斜頭の偏鋒の印刀を押して刻っていたということである。これは書道でいうと、江戸時代の御家流を引きずっていたようなものであろう。
一方、書が明治に揚守敬の来日により、かなり方向が変わったように、篆刻も呉昌碩などの影響を受けた篆刻が台頭してきたようだ。鎖国時代に形骸化した日本風篆刻がまた中国と一緒になったということである。
楠瀬日年は 【篆刻秘薀】 のなかで印刀について次のように書いている。
支那の篆刻家は多く中鋒を使ふ、普通市井に店舗をはつてゐる印判屋の匠人でも多く中鋒を使つてゐる。中鋒を使用する人は又殆ど其刄は平たくつけてゐる。そうして蝋石を刻る場合は皆厚刀を撰ぶ。千年物故した上海の呉昌碩でも徐星州でも皆そうであった。
この厚刀には小指ほどの大いさの丸形のものや角形のものなどもあるが、更に大きいものもある、小指程の大いさの銕筆で一分二分位の小さい文字でも馴るれば苦なしに刻れるものである。同じ支那の篆刻家でも童大年や趙叔孺などは濶四分厚サ一分位の薄い刄の中鋒の平頭を使用して居た。
我國でこれ等の使ふやうになつたのは近々二十前位からで、それまでは十人が十人偏鋒のしかも斜頭の薄刀ばかりであつた。無論今日と云へどもこの種の刻印刀を使用してゐる篆刻家はかなりある。
日本では100年位前は偏鋒・斜頭・薄刀の人が圧倒的だったが、その後徐々に中鋒・平頭の中国風に変わっていったことが窺える。
明日に続く
葛西臨海公園水族館より
以上の文章は2013年1月27日に書いたものをコピーして掲載しています。
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剛毛の短鋒で書いたものを柔毛の長鋒で同じように書こうとしても無理である。篆刻も原寸印稿を描いて同じように彫る篆刻と、中国のように簡単な印稿をつくり書くように刻る篆刻は全く異質なものである。
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以下の文章は2014年1月27日に書いたものをコピーして掲載しています
富士山頂上付近 最近買った望遠レンズ付きデジカメで今城昭二撮影
東梨房にはいろいろなところに石がおいてある。私が旅に行くとそこの石を持ち帰るからである。書や篆刻には石を使ったものが多い。硯、印材、文鎮など・・・
形や色合いがよければ飾りになるし、石質がよければ硯や印の材料として使うことも出来る。だから旅中銘石の産地や、川などがあると必ず石を見にいく。
名所・旧跡に行った時にも、そこに面白そうな石が落ちていれば拾って持ち帰る。車で行った時は拳2つくらいまで、外国のときはタマゴから拳大までである。
故宮博物院の庭に落ちていた石、武陵源の石、終南山の石、万里の長城八達嶺の石・・・ これらは記念品で、使おうと思う石は、最初からさがしに行くか、産地で購入する。
硯や印材の産地では、原材料は管理されているので、簡単に良石を拾うことなど出来ない。先ず作っている工房や会社の人と親しくなり、その上で少し譲ってもらうのである。行ってすぐ材料だけ売ってくれる人はいないので、先ずいろいろ世間話をして打ち解けてからならだいたい譲ってくれる。
端渓や壽山だと材料と雖も半端な値段ではない。私が30年前壽山村で1万円買った印材の原石(8分角長さ3寸のレイシ凍)は今50万円出しても買えない。15年前端渓で10万円で買った老坑石は今300万円位する。
何でも値上がりしているわけではないが、見る眼があれば、運が良ければ原石と雖も貴重なものが手に入る。先週山梨の旅でも、雨畑硯の原石、河口湖畔に落ちていた石、富士山裾野に落ちていた火山噴火時の石などを持ち帰った。(富士山では石の持ち帰りは禁止されている)
石はいろいろな形状や色合いがあるので、見ているだけでも楽しい。
東梨房 端渓石でつくった池 緑端渓石(100kg) 鍾乳石(中国産)
木の化石(チベット産) 富士山付近の石 雨畑石
近所に咲いている花
週一日教えに行っているある学校の事務室の前に印刷物が積んであり、その上にオモシとして黒い石がおいてあった。そこには「自由にお持ち帰り下さい」と書いてあったので、私は印刷物ではなく、そのオモシの石を持ち帰った。(もちろん事務室にいただいていきますとことわった)
以上の文章は2014年1月27日に書いたものをコピーして掲載しています。
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2023年1月27日
退職して7年になるがある都立高校の卒業証書を書いている。名前・生年月日・卒業証書番号などを手書きで細筆で書く。学校印や校長印は印刷されているが、学校によっては一枚づつ捺している学校もあるらしい。
捺しているという学校の職員に〚複製のゴム印を何個か作って数人で捺せば・・・〛とアドバイスしたら、5万円くらいで捺す器械が売っているので、学校の事務室職員でも簡単にできると言っていた。
【天皇御璽】や【日本国璽】は三寸(9cm)もあるので、勲章の賞状や書類に捺すのも大変である。署名は天皇陛下や総理大臣がするのだろうが、捺印は専門の〚技官〛がいるらしい。
私が毎日書道展に出していた頃、入選の賞状や展示時の名票は各部から1-2名の揮毫係の役員が出て直接筆で書いていた。
私が30年前の毎日書道展に初出品で〚毎日賞〛をもらった時は全文筆で書かれていた。印も直接捺してあった。2年後また〚毎日賞〛をもらったがこの時は名前以外みな印刷だった。
3年で会員になり、展覧会の手伝いに行くようになった。最初は〚審査部〛で審査員が審査する時の雑用係である。(この時のことはとても書けない・・)
次の年から〚揮毫部〛になった。漢字は人材がたくさんいるが篆刻や墨象部門で賞状をかける人は少ない。私は数年間手伝いにかりだされた。
2-3年〖待機〗といる係がきて、展示日に受付に2人揮毫部役員が待機し、展示中の各部屋から訳文や名票に誤字のあるものが持ち込まれる。それをその場で待っている役員の前で訂正手書きするのである。
当時係を決める幹部には字の上手い篆刻家と思われていたのカモしれない・・
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一日一刻 彭不去 【篆刻】
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