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以下の文章は2013年3月23日に書いたものをコピーして掲載しています
書道や篆刻を教えていると、自分が学習しているように錯覚するが、学習と指導は別である。私は高校一年の夏に柔道部合宿中の頭部打撲により医師から激しい運動を禁止された。そして2ヵ月後突然書道を始めてしまった。
一年後には将来篆刻家になりたいと思うようになっていた。高校時代は書道の先生になりたいとは思っていなかった。それは子どもの頃お習字を習った経験もなく、興味もまったくなかったからである。
高校の先生の勧めで大学に進学したが、その折 『書道で身を立てたいなら書道の教師にはなるな・・・』 と言われた。また大学で書道を教わった金子清超教授からも 『君は書道の教師にはなるな。私の教え子で教師になって伸びた人はいない・・・』 と言われた。
両師の教えに反し、30余年学校で書道を教えてきたが、それは18歳で師事した保多先生が大学で書道の教授をしていたからだろう。週5日教えているといっても、講師が学校に行くのは年間120日位である。残りの日を書や篆刻の学習や制作の時間に当てればよいと考えたからである。
保多先生は私のやることには何も言わずただ見守るだけだったが、先の両師は 「指導経験を積んでも芸は進歩しない。自身の学習経験を積め・・」 と私に教えてくれたのだと理解している。
大学で書道を専攻すると、かなりの時間書道を学習する。ところが学校に勤めると、日々の授業や生徒の生活指導に追われ、自身の学習をしなくなる人が多いようである。しなくても定年まで勤まるのが教員である。それは指導経験を積むことにより優れた教師になっていくからで、書の面から見れば大学卒業時と大差ない人もいる。
これは書道教室をやっている人にも当てはまる構図である。公募展に参加している人は、公募展用の制作はするが、そのほかの学習をしない人が多いようである。詳しくはわかからないが、昨今の専門書の売れ行きや内容、書道をやっている人のレベルを見ると、とても学習しているようには見えない人が多い。
指導経験を積んでも書や篆刻ののレベルは上がらないが、自分が学習経験を積めば指導内容は自ずと上がると私は考える。
指導する中でいつも未熟な書や篆刻を見続けることは却ってマイナス要素である。そのマイナス分を上回るかなりの自身の学習をしなければプラスにはならない。他人を教えなければマイナス分はないので少しの学習でも簡単にプラスになる計算になる。
他人を指導することは自分の勉強になると言う人もあるが、私は今までそう思ったことは一度もない。自分が優越感を持ち慢心するだけである。
近所の矢那川に咲く桜
(数年前に撮影)
川面に映る桜
私はあまり花見には行かない。酒宴も好きではないし、何より桜があまり好きではない。それは遠めに見れば綺麗だが、近くで一輪一輪を見ると・・・ 何か大きな書道団体のようである。私がこの時期一番好きなのは、一輪一輪しっかり自己を主張し、凛として咲いているボケの花である。
世に旭日旗(旧海軍旗)や日の丸を見ると戦時中を連想する人がいる。私も桜を見ると、国の為に散った英霊が眠る靖国神社に咲く花のイメージが強く、その下でドンチャン騒ぎなどする気にはならない。桜は遠くから静かに眺めたい・・・
戦時歌謡 『皇国の母』 の歌詞 に 「今度逢うのは来年4月 靖国神社の桜 (はな) の下・・・」 というのがある。戦地に赴く夫に、赤ん坊を負ぶった妻が 「無事のお帰りを待ちます」 と言ったことへの回答である。
『散る桜 残る桜も 散る桜』 70年前 日本の将来を考えながら若者が次々南の空に散っていった・・・
神奈川に沈む夕日 鷗
木更津駐屯地沖にはカモメがたくさんいる。ここは昔 海軍航空隊基地のあった所なので
きっと 【鷗の水兵さん】 の子ども達かも・・・
南房総市に咲いていた花
文章書くのをやめて写真ブログにしようかなー と思うこの頃
以上の文章は2013年3月23日に書いたものをコピーして掲載しています。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
以下の文章は2014年3月23日に書いたものをコピーして掲載しています
詩 箋
40年前の日展の篆刻は、印を詩箋に捺したものがあった。日本人で漢詩をつくれる人は少ないので、日本製はなく、中国でも北京の栄寶齋と上海の朶雲軒くらいしか作っていなかった。昔は何ヵ所かあったのであろうが、木版水印で刷れるのは限られた店だけである。
今もべ北京や上海の書道用具店に行けば売ってはいるが、詩を書いたり信箋として使う人は少ないようである。日本で筆で手紙を書く人はごく希で、今の中国では要件を伝えるのは殆ど電話やメールである。
40年前の詩箋はまだ木版で刷っていた。油性インクを使って印刷したものは墨を弾いてしまうが、木版水印で顔料を用いて刷った詩箋は墨を弾かない。だから画(模様)の上に文字を書くことができる。
この頃の新しくつくった詩箋を見ると、木版をレーザーで掘った彫ったと思われる様なものや、彩色がイマイチである。価格も新しいものは1000円位だが、40年前のものは10000円位するので、骨董的価値だけではなく、製品の違いもあるのだろう。
近所に咲いていた花
以上の文章は2014年3月23日に書いたものをコピーして掲載しています。
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2023年3月23日
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一日一刻 彭不去 【篆刻】
一日一作 今城昭二 【書】も毎日掲載しています。見てください。
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一年後には将来篆刻家になりたいと思うようになっていた。高校時代は書道の先生になりたいとは思っていなかった。それは子どもの頃お習字を習った経験もなく、興味もまったくなかったからである。
高校の先生の勧めで大学に進学したが、その折 『書道で身を立てたいなら書道の教師にはなるな・・・』 と言われた。また大学で書道を教わった金子清超教授からも 『君は書道の教師にはなるな。私の教え子で教師になって伸びた人はいない・・・』 と言われた。
両師の教えに反し、30余年学校で書道を教えてきたが、それは18歳で師事した保多先生が大学で書道の教授をしていたからだろう。週5日教えているといっても、講師が学校に行くのは年間120日位である。残りの日を書や篆刻の学習や制作の時間に当てればよいと考えたからである。
保多先生は私のやることには何も言わずただ見守るだけだったが、先の両師は 「指導経験を積んでも芸は進歩しない。自身の学習経験を積め・・」 と私に教えてくれたのだと理解している。
大学で書道を専攻すると、かなりの時間書道を学習する。ところが学校に勤めると、日々の授業や生徒の生活指導に追われ、自身の学習をしなくなる人が多いようである。しなくても定年まで勤まるのが教員である。それは指導経験を積むことにより優れた教師になっていくからで、書の面から見れば大学卒業時と大差ない人もいる。
これは書道教室をやっている人にも当てはまる構図である。公募展に参加している人は、公募展用の制作はするが、そのほかの学習をしない人が多いようである。詳しくはわかからないが、昨今の専門書の売れ行きや内容、書道をやっている人のレベルを見ると、とても学習しているようには見えない人が多い。
指導経験を積んでも書や篆刻ののレベルは上がらないが、自分が学習経験を積めば指導内容は自ずと上がると私は考える。
指導する中でいつも未熟な書や篆刻を見続けることは却ってマイナス要素である。そのマイナス分を上回るかなりの自身の学習をしなければプラスにはならない。他人を教えなければマイナス分はないので少しの学習でも簡単にプラスになる計算になる。
他人を指導することは自分の勉強になると言う人もあるが、私は今までそう思ったことは一度もない。自分が優越感を持ち慢心するだけである。
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川面に映る桜
私はあまり花見には行かない。酒宴も好きではないし、何より桜があまり好きではない。それは遠めに見れば綺麗だが、近くで一輪一輪を見ると・・・ 何か大きな書道団体のようである。私がこの時期一番好きなのは、一輪一輪しっかり自己を主張し、凛として咲いているボケの花である。
世に旭日旗(旧海軍旗)や日の丸を見ると戦時中を連想する人がいる。私も桜を見ると、国の為に散った英霊が眠る靖国神社に咲く花のイメージが強く、その下でドンチャン騒ぎなどする気にはならない。桜は遠くから静かに眺めたい・・・
戦時歌謡 『皇国の母』 の歌詞 に 「今度逢うのは来年4月 靖国神社の桜 (はな) の下・・・」 というのがある。戦地に赴く夫に、赤ん坊を負ぶった妻が 「無事のお帰りを待ちます」 と言ったことへの回答である。
『散る桜 残る桜も 散る桜』 70年前 日本の将来を考えながら若者が次々南の空に散っていった・・・
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詩 箋
40年前の日展の篆刻は、印を詩箋に捺したものがあった。日本人で漢詩をつくれる人は少ないので、日本製はなく、中国でも北京の栄寶齋と上海の朶雲軒くらいしか作っていなかった。昔は何ヵ所かあったのであろうが、木版水印で刷れるのは限られた店だけである。
今もべ北京や上海の書道用具店に行けば売ってはいるが、詩を書いたり信箋として使う人は少ないようである。日本で筆で手紙を書く人はごく希で、今の中国では要件を伝えるのは殆ど電話やメールである。
40年前の詩箋はまだ木版で刷っていた。油性インクを使って印刷したものは墨を弾いてしまうが、木版水印で顔料を用いて刷った詩箋は墨を弾かない。だから画(模様)の上に文字を書くことができる。
この頃の新しくつくった詩箋を見ると、木版をレーザーで掘った彫ったと思われる様なものや、彩色がイマイチである。価格も新しいものは1000円位だが、40年前のものは10000円位するので、骨董的価値だけではなく、製品の違いもあるのだろう。
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