このブログは時間をかけて書いています。
タダで読んだ人は
この マーク をクリックして下さい。

書道ブログランキングへ
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
2013年5月27日は忙しいので書きませんでした。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
以下の文章は2014年5月27日に書いたものをコピーして掲載しています

ソメイヨシノになっているサクランボ
中国の展覧会にも受付がある。日本の芳名録に相当する画冊が置いてある。巻紙を置いてあることもある。私の個展の時も、中国の一般的な画冊を置いていた。大きさはA4版、開くとA3の大きさである。
日本と違うのは、太筆(4号位)で姓名を書くことである。中には祝辞や感想を書く人もいる。誰かの詩を書いていく人もいる。何でもありという感じである。見に来たという足跡を残すものなのだろう。
クリックで拡大します

















美濃版半紙(A3)くらいの大きさに書いているので、書く人はみな書の心得があるのだろう。日本の住所・姓名をこじんまりと書いているのに比べ、中国式は書く方も、後で見る私も署名録で愉しめる。
近所に咲いていた花



とりあえず『署名録』と書いたが、正式な呼び名があるのだろう。日本では『芳名録』が一般的だか、昔、芸子達の名前を書いた物を『芳名録』といった時代もあるらしい。だから私は芳名録という言い方をしない。
私は住所録の題字を『金蘭簿』か『舊雨新雨』と書く。「金契蘭結」の語からとり、つながりの強い人という意味である。また旧雨新雨は、古い友達の住所に新しい友達の住所を足していくからの命名である。ともに大学生の時、中国文学科主任教授の石川梅次郎先生から教えてもらった。
書や篆刻をやっている以上、事務的ではない、風雅な名前で呼びたいものだ・・・
中国で食べた天山梨 桑の実 (けっこう売っている)



以上の文章は2014年5月27日に書いたものをコピーして掲載しています。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
2023年5月27日
わたしが漢字書道や篆刻をやっている一番の理由は漢字が好きだからである。と言って学問として研究しているわけではない。ただ何となく接しているだけである。
大学一年生の6月から保多孝三先生が月一回4時間篆刻を教えている丁未印會に通うようになった。先ず1時間文字学の講義。テキストは白川静の【説文新義】(15冊本) 内容が難しく中国文学科1年生になったばかりの私にはチンプンカンブン・・また【印章備正】を使うこともあった。
保多先生は国学院大学で〚文字構造論〛と言う文字学の講義や書道実技演習を担当していたので、講義内容は大学並みだった。(難しかった)
2時間目が篆書の臨書、3・4時間目が篆刻の演習で30名位が来ていた。師範代?として一番弟子の鈴木知秋氏と山田正平先生の弟子の久保田大卿氏が来ていたが、二人が教える事はほとんどなかった。
二人とも毎日展審査員で篆刻家として知られていたが、何かを質問すると「保多先生に聞きなさい」と言う。 そこに優れた先生がいるのに助手如きが指導すべきではないという考え方はこの時についた。
先生が国学院大学教授を定年退職してしばらく主婦の友の篆刻教室に出講していた。助手として私がお供をしていたが、私が生徒に何かを指導することはなかった。(すでに篆刻を職業にしていた) 聞かれたら「保多先生に聞きなさい」と答えた。
私は助手が教えたり、先輩が後輩に教えたりすることを最も嫌っている。その場にいる最も優れた人に聞くのが最良の選択である。
漢字について講義を受けたのはこの〚丁未印會〛数年間と、大学4年生の時の加藤常賢博士の〚文字学〛の授業である。
加藤博士は白川静先生とともに日本を代表する文字学者で、80歳位だったがまだ二松学舎大学の学長をされていた。(この講義を最後にご勇退された。)
大学2年生の時親に諸橋徹次の【大漢和辭典】(前13冊)を買ってもらった。大学の年間授業料が6万円だったので本代13万円はかなりたかかった。
篆書を検索するための字書は20種類くらいあるが、漢字を引く時には〚字統〛や加藤博士の字書、【大漢和辭典】などは今もよく検索する。
齋 藤
朝のテレビで日本人の人名で80万人がいる〚サイトウ〛さんの〚サイ〛は戸籍には59種類あるという。なぜこんなにあるかと言うとサイトウさんが戸籍に登録する時〖書き間違えまくった〛のだというである。日本の漢字簡略化政策でできた【斎】も今は正しいと言えるかもしれない。
〖齊〗〖斉〗を使う人も多いが、これは音が〚セイ〛で本来別の字てある。日本人の80万人の【齋藤】さん以外の〚サイトウ〛さんはご先祖様が間違って書いてしまったことになるらしい・・
ちなみに〚藤〛も本来は藤の右下は〚水〛ではなく〚糸〛であったことが篆書までさかのぼるとわかる。〚クサカンムリ〛のない〚縢〛も存在する。
【大漢和辭典】には65000文字が載っている。私が在籍していた陝西師範大学副校長の黨懐興博士は〖中国漢字学会〗理事もしていた。黨博士が言うには漢字は約8万字あるという。
日本で作られた漢字【国字】もあり、それが中国に渡り漢字になったものもある。私は文字学者ではないのでいい加減な微々たる知識しかないが、印を刻る時興味のある文字が出てきたらいろいな本で調べている。
陝西師範大学の一般科目で【漢字の歴史】を2時間 X 18回講座で半年間づつ2回教えたのも、黨博士から篆刻をやっているなら文字学位教えられるだろうと依頼されたからである。
中国で〖篆刻家〗を名乗るには、大学で書道や文字学の講義が出来る位でないと・・・ ハンコ彫りが上手いだけでは・・・
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
一日一刻 彭不去 【篆刻】 も毎日掲載しています。見てください。
順 3cm x 3cm
一日一作 今城昭二 【書】も毎日掲載しています。見てください。
上の項目をクリックすると、それぞれが読めます。
タダで読んだ人は
この マーク をクリックして下さい。


書道ブログランキングへ
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
2013年5月27日は忙しいので書きませんでした。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
以下の文章は2014年5月27日に書いたものをコピーして掲載しています

ソメイヨシノになっているサクランボ
中国の展覧会にも受付がある。日本の芳名録に相当する画冊が置いてある。巻紙を置いてあることもある。私の個展の時も、中国の一般的な画冊を置いていた。大きさはA4版、開くとA3の大きさである。
日本と違うのは、太筆(4号位)で姓名を書くことである。中には祝辞や感想を書く人もいる。誰かの詩を書いていく人もいる。何でもありという感じである。見に来たという足跡を残すものなのだろう。
クリックで拡大します

















美濃版半紙(A3)くらいの大きさに書いているので、書く人はみな書の心得があるのだろう。日本の住所・姓名をこじんまりと書いているのに比べ、中国式は書く方も、後で見る私も署名録で愉しめる。
近所に咲いていた花



とりあえず『署名録』と書いたが、正式な呼び名があるのだろう。日本では『芳名録』が一般的だか、昔、芸子達の名前を書いた物を『芳名録』といった時代もあるらしい。だから私は芳名録という言い方をしない。
私は住所録の題字を『金蘭簿』か『舊雨新雨』と書く。「金契蘭結」の語からとり、つながりの強い人という意味である。また旧雨新雨は、古い友達の住所に新しい友達の住所を足していくからの命名である。ともに大学生の時、中国文学科主任教授の石川梅次郎先生から教えてもらった。
書や篆刻をやっている以上、事務的ではない、風雅な名前で呼びたいものだ・・・
中国で食べた天山梨 桑の実 (けっこう売っている)



以上の文章は2014年5月27日に書いたものをコピーして掲載しています。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
2023年5月27日
わたしが漢字書道や篆刻をやっている一番の理由は漢字が好きだからである。と言って学問として研究しているわけではない。ただ何となく接しているだけである。
大学一年生の6月から保多孝三先生が月一回4時間篆刻を教えている丁未印會に通うようになった。先ず1時間文字学の講義。テキストは白川静の【説文新義】(15冊本) 内容が難しく中国文学科1年生になったばかりの私にはチンプンカンブン・・また【印章備正】を使うこともあった。
保多先生は国学院大学で〚文字構造論〛と言う文字学の講義や書道実技演習を担当していたので、講義内容は大学並みだった。(難しかった)
2時間目が篆書の臨書、3・4時間目が篆刻の演習で30名位が来ていた。師範代?として一番弟子の鈴木知秋氏と山田正平先生の弟子の久保田大卿氏が来ていたが、二人が教える事はほとんどなかった。
二人とも毎日展審査員で篆刻家として知られていたが、何かを質問すると「保多先生に聞きなさい」と言う。 そこに優れた先生がいるのに助手如きが指導すべきではないという考え方はこの時についた。
先生が国学院大学教授を定年退職してしばらく主婦の友の篆刻教室に出講していた。助手として私がお供をしていたが、私が生徒に何かを指導することはなかった。(すでに篆刻を職業にしていた) 聞かれたら「保多先生に聞きなさい」と答えた。
私は助手が教えたり、先輩が後輩に教えたりすることを最も嫌っている。その場にいる最も優れた人に聞くのが最良の選択である。
漢字について講義を受けたのはこの〚丁未印會〛数年間と、大学4年生の時の加藤常賢博士の〚文字学〛の授業である。
加藤博士は白川静先生とともに日本を代表する文字学者で、80歳位だったがまだ二松学舎大学の学長をされていた。(この講義を最後にご勇退された。)
大学2年生の時親に諸橋徹次の【大漢和辭典】(前13冊)を買ってもらった。大学の年間授業料が6万円だったので本代13万円はかなりたかかった。
篆書を検索するための字書は20種類くらいあるが、漢字を引く時には〚字統〛や加藤博士の字書、【大漢和辭典】などは今もよく検索する。
齋 藤
朝のテレビで日本人の人名で80万人がいる〚サイトウ〛さんの〚サイ〛は戸籍には59種類あるという。なぜこんなにあるかと言うとサイトウさんが戸籍に登録する時〖書き間違えまくった〛のだというである。日本の漢字簡略化政策でできた【斎】も今は正しいと言えるかもしれない。
〖齊〗〖斉〗を使う人も多いが、これは音が〚セイ〛で本来別の字てある。日本人の80万人の【齋藤】さん以外の〚サイトウ〛さんはご先祖様が間違って書いてしまったことになるらしい・・
ちなみに〚藤〛も本来は藤の右下は〚水〛ではなく〚糸〛であったことが篆書までさかのぼるとわかる。〚クサカンムリ〛のない〚縢〛も存在する。
【大漢和辭典】には65000文字が載っている。私が在籍していた陝西師範大学副校長の黨懐興博士は〖中国漢字学会〗理事もしていた。黨博士が言うには漢字は約8万字あるという。
日本で作られた漢字【国字】もあり、それが中国に渡り漢字になったものもある。私は文字学者ではないのでいい加減な微々たる知識しかないが、印を刻る時興味のある文字が出てきたらいろいな本で調べている。
陝西師範大学の一般科目で【漢字の歴史】を2時間 X 18回講座で半年間づつ2回教えたのも、黨博士から篆刻をやっているなら文字学位教えられるだろうと依頼されたからである。
中国で〖篆刻家〗を名乗るには、大学で書道や文字学の講義が出来る位でないと・・・ ハンコ彫りが上手いだけでは・・・
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
一日一刻 彭不去 【篆刻】 も毎日掲載しています。見てください。

一日一作 今城昭二 【書】も毎日掲載しています。見てください。

上の項目をクリックすると、それぞれが読めます。
篆刻は常時受け付けています。 ▼ 下をクリックして下さい
http://blog.livedoor.jp/imakishoji/archives/2154505.html このブログは時間をかけて書いています。
タダで読んだ人は下の
この マーク をクリックして下さい。

書道ブログランキングへ
http://blog.livedoor.jp/imakishoji/archives/2154505.html このブログは時間をかけて書いています。
タダで読んだ人は下の
この マーク をクリックして下さい。


書道ブログランキングへ