霜月がおわる。
秋晴の最後の日。

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『受像機に映る裸体の少女への距離あまりにも遠し 霜月』

触れたいけど触れられない少女と、たまたまその気持ちを知ってしまった少女の、二人のお話の短編映画を流しています。

その内容と私の思いを、近くの壁に、手書きで書いています。


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受像機に映る裸体の少女への距離あまりにも遠し 霜月

 

 

映像作品の解釈は、私一人の解釈です。中澤系が込めた思いとは、かけ離れていると思います。

 

初めてこの短歌を読んだ時、まず「受像機」の意味がわからない、と思って調べました。そうしたら、どうも「テレビ」のことらしい。つまり、テレビに映っている裸の女の子がいる。その女の子と自分の間には距離がある。じゃあ、その理由はなんだろう、と考えました。

一番気になったのは「裸体」です。直接的な意味に取れば、性的な映像の話にも聞こえますが、なんとなく、彼はその意味で使わない気がしました。「肌」を示しているのではないか。肌に触れることすらもできない。きっとそこには「触れたい」という思いが含まれている。今やテレビに映るようになってしまった、自分の大切な大切な女の子。幼馴染という愛着以上の、恋とも言い切れない、何か私にとって特別な思いをくれる、たった一人の女の子。誰よりも大事だから、変なことを言って、困らせてはいけない。この自分にもよくわからない感情を口に出すべきではない。その声にならなかった、言葉にならなかった「言葉になるはずの何か」は、涙になって、溢れてくる。

 

 書は、静止した作品です。だから、動いている映像を作ることで、書が時間を伴うことができるか、というテーマを持って制作してきました。そのテーマに対して、「出来なかった」というのが、今の私の答えです。

 静止した作品と、動く作品は、根本的に最終地点が違うように考えています。静止した作品、例えば書や絵は、ひとつの紙の上、あるいは空間で、書く・描くというある手段を使って表現し、「完成形」を示します。それに対して動く作品は、刻々と完成形がありません。結末が完成形なのかというと、それも違うような気がします。受け取り手の見え方に幅があるように感じます。それは、時間を伴うから、ただ単純に、作品と接している時間が長いからそう感じるだけなのかもしれません。

 また、その正反対の考え方もあります。作品に対して、受け取り手が自分自身で考えなくてはいけないのは、静止した作品の方だと思います。動く作品は、そこに思考が無くても、ぼうっと見ていられる。終わった時に、ああ、(何らかの感情を感じて)おもしろかった、という感想を述べることができる。でも静止した作品は、一瞬で突きつけられてしまって、これは一体何なのか、自分で、自分と、考えなくてはいけません。親切じゃないんです。だれも助けてくれないんです。わからないものはわからないんです。そう感じるから、静止した作品作りが面白いんだと思います。だから、これは私の映像作品への反発です。映像の方が、面白いもの。音楽の方が、楽しいもの。何より、身近にあるから。日常生活で、じっと何かを見つめる時間なんてない。こんなにも音は身軽になったのに、絵画やイラストはアクセサリーにもなるのに、言葉はならない。悔しい。

 

そこで仕掛けを作りたいし、作ること自体が私の楽しみでもあります。完成形が違うからこそ、静止した作品と、動く作品のその違いを押し出したら、ぶつかったら、どちらでもない何かになるのではないかと考えて、このような展示の仕方にしました。書がないと、この作品は在り得ません。同様に、映像がないと、この作品は在り得ません。

 

これは、何でしょうか。

 

「あやまたず写せ世界を コンタクトレンズを填める受苦のごとくに」

 

その仕掛けは、作り手の意図ではなくて、受け取り手が勝手に考えてくれればいいことで、だから、今私がこうして書いていることは、何の意味も持ちません。読んでくれているあなたも、ここに囚われないでください。これは、無意味な時間です。

という言葉にも、囚われないでください。

 

その私の思いを、理解できないでしょうと思って、どの作品も作っています。



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今回は、こんなようなおおがかりなキャプションがいくつもいくつもあります。
読んでくれたら、とっても嬉しいですが、くたびれてほしいとも思っています。

言葉にすることは苦手ですが、迷ったとき、言葉で整理したほうが、俯瞰できるような気もしています。言葉で考えることは私にとって、とても重要です。
 

この言葉を読んで、作品を見て下さった方が、爆笑した後、泣かれておられたそうです。
救われた気分になったと言って下さいました。そう伝えて頂いた私の方が、救われたように感じます。

きっと、今回は「書道展」とも言えないし、「作品展示」とも言えないようなものになっています。

それでも、手段ではなく、「やりたい事」を誰かに何かに向けたものだと思っています。
だから、伝えたいものではなくて、伝わらないものなんだと思います。 

ここからまた再スタートできたらいいなと思っています。



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今子青佳書道展「3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって」
(中澤系歌集『uta0001.txt』より)

11月18日(日)~12月16日(日)
13:00~18:00
水曜・木曜定休

場所:あるcafe(神奈川県横浜市神奈川区六角橋1-10-11)
https://aru-cafe.localinfo.jp/

・お1人様1drinkご注文ください。
・入場無料

・作品を販売しております。ご希望の方は店員までお問い合わせください。