今子青佳

2017年08月

涙シリーズ。

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「誰かの思い出を消耗品のように見る」

ともだちの言葉です。

ともだちなんだけど、実際はちゃんと会って話したことはあまりなくて
(高校の同級生なんだけど笑)でもとっても好き。

独特な寂しさのある言葉でした。

言葉が目の前にあるから、もしその人の本心の言葉でなかったとしても、人間性を省いて、言葉だけを見たいなぁ。

この書体で、という要望でした。
最初は涙のイメージだったのだけど、だんだん虫が這っている感じになってしまった。

ま、いっか。

書の作品を書く時に、私は誰かの言葉を必要とするので
私と「誰か」の作品になります。ひとりの作品じゃない。
 
この「誰か」が不可欠なんですけれど、そんな芸術って他にあるでしょうか。

絵画は画家ひとり。彫刻、版画、陶芸、工芸、写真もひとり。
アシスタントを入れたら複数になるけれど。
でも基本一人で完結するんじゃないかな。

作家もひとり。

建築家と作曲家と映画・舞台監督は、他の人が必要。
でもスタートは自分かな。自分一人では完結しないもの。
大工さんが作る。演奏家が演奏する。俳優が演じる。ダンサーが踊る。
人によるけれど、演奏家兼作曲家だったりする。
俳優が映画監督になったりする。
ダンサーが踊れなくなったら指導したり監督になったりする。

やはり書道だけ異色な気がします。スタートが違う。
いろいろ抜け落ちている気がしますが。いまのところ。

言葉を作る人が、じゃあ書道をやってみよう、極めてみようとはなかなか思わない。
書道をする人が、言葉も作ってみよう、というのはたまに聞いたことはあるけれど。
でも、なぜか隠す傾向にあるんだよね・・・恥ずかしいのかな。

自分の言葉を書く書家なら、自分が言葉の発信者だから他の芸術家と似ているんだけれど、
「書家」って文字を書く人でしょう、と思ってしまう。

でもそれはもう書ではないのかも。
書は手段でしかないのかもしれない。

ふと思ったのは、翻訳と近いかも、ということ。
もとの言葉が無いと訳すものがない。
作家が翻訳しているのはよくみるけれど
翻訳家が作家に転身しているのはあまり知らない。
(私が知らないだけかも。たくさんいたらごめんなさい。)

だから、書は芸術じゃないのでは。という今日の結論。 

今、幸運なことに、ご依頼を受けていて
でも、
それがとっても難しい。 

テキストがすべてなのだけれど、
字数が少ないと、想像力の乏しい私は
より言葉に沿えなくて苦しい。 


頑張らなくては。



考えるしかないですね。




お酒の力でふっと何かが舞い降りてくれないかしら。 

ご購入くださった方への作品の発送も終わりました。これで一段落です。
無事届きますように…!!
配送のお兄さまたち、どうかよろしくお願いいたします。

ご来場くださった方によく聞かれた質問。
「自分で気に入ってる作品はどれですか?」
うーん…

うーん……


どれも好きだけど、これ。

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と、これ。

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ユートピアは、濃淡がうまくついたのと、言葉が色ごとによんでも意味が通じるな、と思って、成功かなと思った作品。

殺されたまんまでは、瀬戸さんの歌集を初めて読んだときに印象的だった歌。書くときにもたくさん失敗して、裏打ちも失敗して、全部いろいろやり直した作品。売れなかったけど笑


来てくださった方に、私の作品には「初読時の新鮮さ」がある、と言っていただきました。つまり、瀬戸さんの短歌を活字で読んで、読み返したときに、その度にどんどん早く読めるようになる。そのスピードは活字であるかぎり遅くなることはないけれど、今回の作品を目の前にすると、最初の頃の新鮮さと遅さを取り戻せる、ということ。

これは、私が狙っていたことだと思います。活字とは別の見方にしたい、という意味で、少し「読みづらく」している。言われてわかりました。言葉の作者が許してくれる限り、言葉をばらばらにして、組み立て直して、違うしかたで再現したいと思っています。

でも言葉を作れる人ってすごいな。
なんで湧いてくるんだろう。
頭の中どうなってるんだろう。
覗いてみたい。

みなさんの言葉を書かせてください。

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個展が昨日無事終わりました。

ご来場くださいました方、ありがとうございました。ほとんどの作品が売れていきました。ご購入くださった方、ありがとうございます。明日か明後日発送の予定です。

トークイベントでは金原瑞人先生と瀬戸夏子さんと40名のお客様とで盛り上がりました。
活字になることが歌人にとってはひとつの目標であるらしいけれど、私は活字にしておくのはもったいないと思う。
もし、意味を越えてもいい短歌ならば、何かが入り込む隙間にすっと、私なら書というもので入って、それを変形させたいと思う。

だから、自分の言葉は書けません。
誰かに言葉をもらわないと書けません。
誰か、私に言葉をください。

これからもいろいろ企画していますが、
きっとこの個展が原点になると思います。

言葉をくれた瀬戸夏子さん、
その機会をくれた金原瑞人先生、
場をくれた、見せ方を教えてくれたgift_labのみなさん、
DMをデザインしてくれたオザワミカさん、
作品を見に来てくれたみなさん
本当にありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。

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