今子青佳

2017年11月

今生きていらっしゃる
若い言葉の作り手さんたちより頂いたことば。

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ことば:
それぞれのすべての瞳は、アメリカ映画のなかの撃たれた

頭部から飛びちった血液と脳漿のように世界を万華鏡にしてみせる

瀬戸夏子「国境の初恋」より抜粋

 

前回の個展で短歌を書かせて頂いた瀬戸夏子さんの詩です。
全文はもっと長いですが、その抜粋を書きました。
意味は相変わらずよくわかりませんが、ことばが本当に素敵。
誰がなんて言ったって大好きなことばです。
もう、たまらないです。
 

「飛びちった血液と脳漿のように」の部分は激しく滲ませています。
重ね書きしたわけではなく、一回書いただけで、じわじわとこのようになりました。
絵は重ねることがあるけれど、書は二度書きをあまり良しとしません。
これも違いでしょうか。

このことばだけでは、凄惨な感じですが
それが「世界を万華鏡にしてみせ」ている、という美しさが残っている。
だから直接的に「血液」「脳漿」を読めないように、またこの抜粋文の最後まで書きませんでした。

タイトルが「国境の初恋」なので、何かの境目が曖昧な気がします。

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次は初めての俳句。 

 

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ことば:
水鱧を食べてハートのハートのための

佐藤智子

 

初めて俳句を書きました。
短歌と同様に、俳句は全くわかりません。5・7・5だったよね。くらいの知識です。
でも佐藤さんの俳句はことばがかっこいいんです。おおっ!ってなる。
もちろん、意味はわかりません。佐藤さんすみません。

調べたところ「水鱧」というのは梅雨時の季語のようですね。
それを食べて、「ハート」に向かう。
読み手の心を鷲掴みにします。 
 

その、ぐっ、と掴まれた感じを最初の「水」の字に表わしました。
これは、管楽器を洗うときに管体内側の汚れを掃除する、
折り曲げ自在のブラシを使って叩きつけて書きました。
だから「水」という字とは程遠い字になっています。

 
佐藤さんは展覧会に来て下さり、そこが初めまして、でした。
見て頂けるのは嬉しい反面、恥ずかしさがあります。

また佐藤さんの俳句を書かせて頂けるお許しももらえました。
本当に有難いです。
言葉を作ってらっしゃる方はなんてお優しい方が多いんでしょう。
また書かせて頂けるのが本当に楽しみです。


最後は歌詞から。

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ことば:

人よ島よ 温かな島よ故郷

海よ山よ 美しき島よ故郷

島の土を踏みしめながら 歩いてきた道のり

汗も涙も夢も全部 この大地に染まって行く

人の温もりを知り 世間の厳しさを知り

自然の素晴らしさを感じ

島の人たちは強く生きてゆく
 

人よ島よ 温かな島よ故郷

空よ大地よ 美しき島よ故郷

勝詩「ふるさと」より

勝詩さんという小豆島出身のミュージシャンの方の「ふるさと」という曲から頂きました。
以前東京で活動しておられて、今は小豆島を中心に西日本で歌われています。
この間24時間テレビにも出演されていました。

東京でお会いして、ライブにもお邪魔して
たまにしか行けなかったのに私のことを覚えていて下さる素晴らしい記憶力の方です。
声がとても明るくて、元気をいつももらっていました。

特に好きなこの曲の歌詞を今回書かせてほしいとご連絡すると
ご快諾と以前私が差し上げた書の作品を好きだと仰って下さいました。

小豆島から東京に出られて、再び小豆島で変わらず歌われている
その勝詩さんの強さと奥の奥にある繊細さを書きました。

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これからも勝詩さんを応援しつつ
私も負けないように頑張らないと、といつも思います。 


言葉を書く、というのは著作権の問題があり、最終的には作者ご本人の許諾が必要になります。
それを快くお許し頂けることは、言葉を書く人間にとって大変有り難いことであり、
スタートラインに立つことのできる「全て」です。

生きている人の、生きている言葉を書くことが、一番好きです。
目の前にいることができて、対等になれるから。
亡くなった人を超えることはできない。

だから、私にとってことばを書くことは一種の格闘です。
負けたくない、という一心で書いています。

後だしジャンケンみたいだけれど。

だからこそ、より超えたい、と思います。
それと同時にことばに力をいただいています。


つまり、ことばを作る人を心から尊敬しているのです。 

先日の今子青佳冨岡夏海二人展での共同作品の動画を
冨岡のblogにて公開しました。

冨岡夏海blog

youtubeからでもご覧いただけます。

虹色の書×雨の映像


「暗涙」のプラキシノスコープ


最初、プラキシノスコープではなくてゾートロープにしようか、と話していたんです。
でも冨岡からプラキシノスコープの案をもらって、こっちになった。
どちらでも面白いな、と思ったけれど、
今となっては、「反射」の方が断然面白い。
裏返った書なんて基本的にあり得ないから。
だって読めないし。

書が映像と触れる貴重な仕組みです。
絵だったらもっといろんな映像を作れるんでしょうが、
書は限られてくる。
そのなかでどれだけ「書」のままで映像にできるか、考える段階がとっても新鮮でした。 

哲学者の言葉を頂きました。

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ことば:

何故ここまで生きてきたのか

それは身体が、あるいは全身の細胞が生きようとしたからではないか

ちなみに哲学による延命というのは聞いたことがないね(笑)

天野衛

 

 

『引き裂かれた自己―狂気の現象学』R.D.レイン著 天野衛訳(筑摩書房刊2017)という本を読みました。

これは統合失調症に関する書籍で、レインという精神科医の書籍を天野先生が訳された再版。

私にとって一つの生き方と肯定の仕方を教えてくれた本でした。

訳して下さった天野先生に感謝のお手紙をお送りすると、すぐに返事を頂きました。

この作品は、その手紙の言葉の一部です。

天野先生は以前からご病気で2017710日に亡くなりました。

お会いすることはありませんでした。

8月の私の個展を楽しみにして下さっていたと、会場にお越し頂いた奥さまからお聞きしました。

後日奥さまにお会いし、お手紙の言葉を書かせて頂けることとなりました。

 

天野先生、どこかで見ていらっしゃいますか。

お会いしたかった。

いつか、どこかで、誰かわからずお会いする時が、先生だと気付く時がありますように。

安らかにお眠りください。

 

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この作品と合わせて展示したかったのがこの二つ。

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ことば: 

絶対無なるがゆえに

山はこれ山

水はこれ水

あるものはあるがままにあるのである

西田幾多郎

 

大学生の時、哲学を専攻していました。
西田幾多郎を勉強しましたが、全然わかりませんでした。
でも、ことばは大好きでした。これも、なんだか生きることを肯定できる気がして。
「哲学」は自分がなぜ生まれたか、とか、死んだらどうなるのか、ということを教えてくれません。
結局自分の苦悩の内に含まれてしまって、底なしの世界に引きずりこまれ(そうにな)る。それでも苦悩のもとを考えるきっかけをたまに示してくれます。
 

そのぼやけたような、でもことば自体ははっきりしているような、輪郭のぶれた感じを書きました。


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もうひとつ。
 
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ことば:
chaos

to hen

 

2つのギリシャ語の英訳を合わせた作品です。
 

chaos…コスモスの対立語

to hen…一者 万物・世界の最初にして最高の原理
 

定義はこうですが、定義が意味の全てを含んでいるわけではないので、不十分ですが表記しました。
to hen」は「自分」の方が当てはまる気がしています。その中に「chaos」がある。
自分の輪郭はぐるぐる回っている気がして、おたまじゃくしのような何かがくるくる回っている感じにしました。だから、chaosもコスモスと対立しないと私は考えています。

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天野先生の言葉を書かせて頂けることが決まった時、
この3つを一角に展示したいと一番最初に決めました。

天野先生からも西田幾多郎からも、「意味全然違うよ!!」と言われそうですが
私は、こうです。と、言いたい。


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意味が違っても、わからなくても、いいんじゃないかな。
でもそれが、一番不安です。

「泡になり損ねたことば」

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「堰塞」

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「音になれなかったことば」

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「ことばよりも伝わるものたとえば精液までの時間」

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言葉になれなかった「ことば」シリーズです。
 

「書」とは何か、と考え続けています。
今の私の答えは「ことばを書くもの」です。
 

一文字一文字を書くのではない。だからただの記録の機能ではない。
前衛書のようなものは「絵」ではない。絵は時間をかけて描き込んだり重ねたりできますが、書はどちらかというと一発勝負です。
「かく」という言葉は、書く、掻く、描く、画く・・・
いろいろありますが「書く」は文字に係ります。
でもタイポグラフィーとも違う。
 

それならば「ことば」ではないか。
私はことばが決まってからどのように書こうか考えるので、ことば全体を捉えています。だから、作者の背景や重ね合わせる私の思いを考えているのです。

「習字を習う人は最終的には何のために書いているのか」
小学生が書道教室に行くことはよくありますが、たいてい受験や部活で辞めます。続ける人は本当に少ない。また続けている人は、基本的にずっと学び続けます。教室を開いたとしても師弟関係は続く。その中で所属団体の展覧会に出品したりします。
作品は大抵部門に分かれていて、「漢字」「仮名」「近代詩」「前衛」等に分かれます。近代詩はここ最近(それでも数十年)発展しましたが、書く言葉は昔の詩や、師匠の関係の人の詩、人によっては自分の作った言葉もあります。 その言葉を所属団体のカラーに沿って書き上げる。

あぁ面白くない。 
どうして言葉に寄らないんだろう。どの言葉でも同じじゃないか、と思っていました。
だから私はその言葉でしか書けない作品にしたかった。 

 

それを含めて、この言葉になれなかった「ことば」シリーズができました。
一足飛びのようですけれど。

書が「ことば」を書くものならば、ことばになる直前も書になる、と思ったのです。

「この人にこの話をしよう」と思っていたけれど、結局言わなかった、
その「ことばになるはずだったもの」です。
ことばになる可能性はあったはずだけれど、
ことばになれなかった以上、ことばではない。
見た夢が思い出せないような感じ。
実体はないんだけれど、でも確かにあったように感じるもの。

 

もうひとつ、印(落款)のお話。
 

作品は全体的に裏打ちだけしてあり、その裏打ちを表装屋さんにお願いしに行ったときのこと。二人展はモノクロにしようと冨岡と話していたので、通常印は朱色になるため、印はなくていいかと考えていました。でも表装屋の方に「なんで印を捺してないの?」と聞かれ、理由を話すと「印はあなたの位置なんだから、必ず捺しなさい。」と言われました。そうなんだ。知らなかった。

基本的には名前の近くに捺すことが多いですが、たまに作品の中心に捺す人もいます。
その理由がやっとわかりました。

だからこの作品たちも、私の位置を示しました。

今回の展覧会が映像とのコラボだったので書に時間の要素を加えられないかと考えていました。
それで思いついたのが
「ことばよりも伝わるものたとえば精液までの時間」です。
時間が流れた先に「私」がいます。
これはこだわってトイレに置きたかった。

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以前私はトロンボーンを演奏していたことがあって、その掃除用具で書きました。
管楽器を洗うときに管の内側の汚れを掃除する、あの長い、くねくねするブラシです。
分かる人は分るやつ。
先が穂先みたいになってるから、いけるかな、と思って。

 


遺言( I go N )

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言葉になれなかった「ことば」シリーズを集約した作品です。
 

私は他人のことばを書きますので、自分の「ことば」は書きません。
でも、自分が在ることを表わしてみたくて、これを作りました。
自分の中にうごめいていたり揺らめいている、感情やことばのもとを、墨で書きました。
布のシワや墨のひとつひとつは偶然にできたもの。
ここで書いている説明自体がナンセンスになってしまいますが、
意図は意図にならなくなっていくと感じています。
それがいいんだと信じています。


タイトルは「遺言」で「いごん」と読みます。
( )内はそれをアルファベット表記したもの。「Nに行く」という意味です。
Nの意味は、みなさんに委ねます。なんでもいいです。
ニュートラルとか。N極とか。Nを作っている3本線とか。


これには印はありません。
この布全体の画面が、私だからです。 

 

 

小説から本文を抜粋した作品。


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ことば: 

満月が桶の水面みなも揺蕩たゆとうた
 

平野啓一郎著「一月物語」(『日蝕・一月物語』所収/新潮文庫刊)
 

 

私が今まで読んだ中で一番好きな本の一文です。

話が素晴らしくて、日本語の美しさを感じる圧巻の本。
短いお話ですが、ぎゅっと凝縮された洗練された美しい本です。

ですが、だからこそ、この一文のように、言葉が難しい。
漢字がたくさん出て来ます。
つまり、読みづらいです笑

ぜひこの一文を見つけて頂きたいのですが。

 

「の」を満月に見立てています。
たゆたっている感じ、水面が妖艶に輝いている感じを指で書きました。

目の前の出来事が、人物が、自分が今ここにあるのかわからなくなっていく感じ。
輪郭がぼやけていく感じを書いています。

今回の二人展で一番納得がいった作品です。
 

また、余白をとても広くしました。
これは小説なので、この一文以外の部分を周辺に残したかったから。

見方も読み方も人それぞれなので、
満月の光に照らされる周辺部分はみなさんに委ねようと思い、残しておきました。
その分大きな作品になってしまいましたが。
 

下弦の月が好きですが、この一文の満月は特別美しいと感じます。

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虹色の映像との共同作品の反対側に置きました。

虹と月は相容れないけれど、このふたつがもし出会ったら、
惹かれあうかもしれないと思って。あえて正反対のもの、位置にしました。

 



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ことば: 

 

何年かに一度ずつ、判で捺したように同じ気持で水を眺める自分が繰り返され、

それからいつか、存在しなくなってしまう。
 

古井由吉著「水」(『古井由吉自撰作品二』所収/株式会社河出書房新社刊 P25下段20行目~)
 
 

こちらも小説からの抜粋です。
短編ですが、何度も読み返すごとに新たな発見や美しさ・苦しさを感じます。
それでもこの一文は、いつ読んでもはっ、とする。
自分の存在が危うくなって、いつか死ぬんだということが現前に感じる。
今生きていることが稀有だと思う文章です。

こちらも指で書きました。


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小さい頃、自分の手のひらを見た時に、
ふっと「あ、わたし、死ぬんだ。」って気付いた瞬間がありました。
その時から自分の手が嫌いです。
だからなのかわかりませんが、墨を手に塗りたくってぐちゃぐちゃにしてしまいたかった。
その指でたまたま文字を書いたのがきっかけです。
案外うまくいったので、作品にしてみようかなと思い、それから指でも書き続けています。

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実はこの『古井由吉自撰作品二』の解説は先ほどの平野さんが書かれています。
以前対談もされていたそうです。


最後。

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ことば:
 

母上は血の涙を泣きながら、死んでもお前たちに会わない決心を翻さなかった
 

有島武郎著「小さき者へ」

 

父から子への思いを淡々と、しかし情熱的に綴った手記のような物語。

この時代の父親像や、現代ほど進んでいない医療ゆえの悲劇、母の覚悟。

熱がこもっている言葉だからこそ、あまり熱を入れずに書きたいと思っていました。

 


この小説の最後の部分が好きです。

 

小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。
前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。

行け。勇んで。小さき者よ。

 
 

不幸であっても、そうでなくても、きっと彼には「暗さ」があっただろうし、
子どもたちにもその部分を見ていた。
悲観していて、でも生きていくための応援歌として、
この言葉を自分にも向けて書き残したのではないかと感じました。
 

だから、絶望的に暗い。
でも半分は明るい。
 

書いていて、私も励まされる瞬間がありました。



小説は長くて全文書くことができないので、悔しい反面、切り取りの難しさ・面白さがあります。
平野さんからも古井さんからも、出版社の方々のおかげでご本人から書くお許しを頂きました。
心から有難いことだと感じています。

できれば、短編小説の全文を書いてみたいのですが、
やっぱり長くて、許可も頂けなくて、難しそうです。

まだあまりブレイクしてなくて
でもその道で生きて行こうと本気で思っている方の
小さくて壮大な物語をいつか書きたいなと思っています。

おこがましいですかね。 

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