今子青佳

2018年01月

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ご依頼を頂いて書いた作品です。

「あいだ」

という言葉。


木村敏さんの著書を大事にされている方で
写真立てのサイズに、というご依頼でした。
どんな作品にするかは任せて下さり、この作品をお渡ししました。

二面が開く写真立ての左側に「あいだ」
右側には白い紙と枠を入れています。

出来上がった作品を見て頂く瞬間が一番緊張して、
幸せな時間だなあと感じます。

作品のお渡しは「自分の子どもが旅立っていくよう」と言う方もいますが
どちらかというと私は自分の一部がどこか遠くへ広がって
点在していくイメージです。

以前より作品に対して思い入れが強くなりました。
大切にされるといいなあ。 

もしかしたらアウトかもしれないけれど
大好きな歌手の歌詞を。

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Zedd,Alessia Cara Stay


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Hailee Steinfeld,Alesso Let Me Go ft.Florida Georgia Line,WATT


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Hailee Steinfeld,Grey Staeving ft.Zedd

アウトだったら、ごめんなさい。


熟語とか、単語よりも
感情が伴うような、現実に近いような
文章の方が好きです。

それは日本語でなくても、知らない言語でも。

だから、文脈を、文章を書きたい。

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言語学・哲学における言語の側面についての用語。用いる人によって意味が異なる。

 

「ラング」との対比における「パロール」
 

ソシュールは、言語(language ランガージ)には、ラング(langue)とパロール(parole)という二つの側面があると考えた。ラングとは、ある言語社会の成員が共有する音声・語彙・文法の規則の総体(記号体系)である。それに対して、パロールは、ラングが具体的に個人によって使用された実体である。そして、パロールは、個人・場面によって異なり、言いよどみ、言い誤りなども含むことから、ソシュールは、言語学の研究はラングを対象とすべきであるとした。

ソシュールによれば、パロールとは、個人がラングの規則と条件に従ってその意志を表現するために行う具体的な発話行為である。また、ラングが社会的な側面に立つのに対して、パロールは個人的な側面に立つが、必ずしもこの概念は対立しているわけではなく、むしろ相互依存的な形を取っている。


(Wikipediaより)

言葉が詩的ではない芸術になり得ないかと考えています。 

2018年始まりましたね。

筆を持たない人も1年に1回は書くかもしれない書き初め。
みなさん書きました?

私も、書きました。

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何事も怖れずに。
知らない事だらけだからこそ、わからない世界にどんどん進んで行きます。 

でも着実に。古典ももちろん大事です。

それともうひとつ。

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年末、岡山の祖父母のところで過ごそうと思っていたのですが
新幹線から体調が悪くなって、結局会えず、東京に帰ってきました。
高齢だから、あんまり会えないから、会いたかったのに…

発熱もしてしまって、1日寝込んだら
ぐっとお酒に弱くなってしまいました。
梅酒一杯でぐわんぐわんします。
今年は飲みすぎないようにしよう。

みなさんも体は大事に大事にしてください。
体が元気じゃないと何もできませんからね。

書き初め、ぜひみなさんも書いてみてください。
久しぶりに筆を持つと、子どもの頃の記憶が蘇ってきたり
気持ちが引き締まったりしますよ。筆ペンもおススメです。
 
今年もよろしくお願い致します。

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