今子青佳

2018年02月

先日、祖母が亡くなりました。生まれ故郷の岡山の祖母。

厳しい女性でした。私の想像を超えるほどの厳しさと激しさのなかで母と叔母は育ちました。 
今となっては「虐待」と一言で言われるような育て方でしたが、もともと言い方がキツいと言われる岡山弁と、祖母の気性とで、孫の私からでもちょっとした雰囲気で、それを伺えるような場面を子どもながらに感じ取っていました。 

世の中ではよく「孫は可愛い」と言われますが、孫である私は祖母に「可愛がってもらった」とは感じることがあまりありませんでした。だから、会いに行きたくない時期もありました。

祖母は「母の母」だから、孫よりも子どもである母をとてもとても大事にしていました。それが私には居心地が悪くて、いつも緊張していました。祖母と何を話せばいいのかわからなかったし、話したいとも思わなかった。怖かった。そのうち殴られるんじゃないかって、物わかりの悪い子どもは放り出されるんじゃないかって、びくびくして、夜眠れない時もありました。(よく「祖父母の家」って、ちょっと怖い人形もあるし…)
高校生くらいで、やっとその関係性を冷静に考えられるようになってから、祖母を祖母として、一人の人として、祖母と孫として接することができるようになりました。「ここは私が甘える場所ではないんだ」と。祖母が娘である母と、久しぶりに出会える貴重な時間なんだと。

そう考えるようになると、祖母のこれまでの厳しさは、ただひたすらに「愛情」でした。それが、なかなかわからなかった。そして、それがわかったとしても、「愛」という言葉を口にすることは許されない雰囲気があった。これが、彼女の優しさであり、大事に思う気持ちだということの、その祖母の偉大さを感じました。

気丈な、お嬢様でした。1つ相手に何かを話したら、その言葉の背景をくみ取らないと会話について行けないような、言葉とその言葉の使い方を大事にしている女性でした。

書道が「言葉を書くもの」と考えている私にとって、この考え方・生き方が中心にあります。
発した言葉は、最終的に選ばれた言葉だけれど、発するまでに何通りもの言葉が隠れている。だから、もしかしたら選ばれなかった言葉に真意があるのかもしれない。相手に向けるべき言葉、言わないでおいた方がいい言葉を選択した、その結果が、やはり全てなのかもしれない。

それは空気を読むことかもしれないし、言葉の「音」 だけの問題かもしれない。

死期に向かうにつれて、話すことが苦しいから「お話ししたいけれど、苦しくてできません」と言っていました。だからこそ、より祖母の言葉の重みを感じ、心の中の葛藤や悔しさが大きかっただろうと思います。

祖母が亡くなって、想像以上にダメージがありました。でも、そんな時に、私には書道という表現方法があってよかったと、心から感じました。書けなくなってしまうかも、と思っていましたが、祖母が亡くなる前に、知人にとりとめのないメールを打ったところ 

何かを作れるとしたなら、作った方がいいかもです。
たぶん直接発表できるものじゃないと思いますが、原型を作れると思います。 

と返してくれました。これが、私の背中を押し続けてくれています。

それでも、まだまだ重苦しさと沈鬱さからは抜け出せません。祖母のためにも、ゆっくりと考え続けなければと思っています。 


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3月の個展のDMができました。
オザワミカさんにお願いして、素敵に作って頂きました。

テーマは「桜」。
表参道のカフェにて、1カ月間展示しています。
日本の桜、桜から受けるものごと・出来ごと、桜にまつわるいろんな言葉を書いています。

少し早いけれど、皆様に春をお届けします。
お茶しにお越しください。


「桜」今子青佳個展
2018年3月1日(木)~3月31日(土)11:00~23:00
76CAFE OMOTESANDO(東京都渋谷区神宮前4-9-2神宮前MMビル1F)
http://www.number76.com/
入場無料

※貸切営業の場合がありますので、事前にご確認ください



1カ月間のため、在廊出来る日が限られますので
お越し下さる時にはご連絡頂ければ、出来る限り合わせて伺います。
皆様のお越しをお待ちしております。

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