今子青佳

2018年07月

今回の個展は全然知らない場所だったのにも関わらず、
想像以上に、本当にたくさんの方にお会いする事が出来ました。
東京から来てくれた人もいました。 ありがとうございます。

新聞に記事を載せていただいたり、地元のテレビでも今後放送していただけるそうです。
有難いことばかりでした。

書道関係の方には、自由に書くことの激励を頂いたり、
会場でゲリラパフォーマンスが始まり、一緒に揮毫させていただいたり、
お越しいただけない方からお電話頂けたり。

書に普段触れない方からは、普通とは違う、と面白がって下さる方もいらっしゃいました。
嬉しいです。

伝統ある「書」と違う部分で、もっと別の道で「書」という芸術が発展していくことが私の目標です。だから、書に日頃触れない方が興味を持って下さることは、とてもとても嬉しいです。
その延長で、3会場回って下さった方に、コピーではないオリジナルでお好きな言葉をお贈りする企画を行いました。気に入って頂けていたら、この上ない幸せです。

最後に書いた言葉は、来月生まれてくるお子様のお名前でした。

「名前」は一番崇高な「言葉」だと思います。
名前があって初めて存在を認識できる。
ダークマターのように「何かがある」ということももちろんあると信じていますが、現実世界で生きていくうえでは、「名前」が世の中の全てだと感じています。

とても有難い、貴重な経験をさせて頂きました。
いつか、生まれたそのお子様にお会いしたいです。 

今回出会った方々のおかげで、無事、終えることができました。
心より感謝致します。そして、ここから始まります。

またいつか黒部に戻ってきます。
これからも、よろしくお願いします。

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Special Thanks

オカサトシ様







Thanks

シーラカンス毛利武士郎記念館様
YASUKOハウス様
北洋の館様
CAFE HAHAHA様
DMのデザインを手掛けて下さったオザワミカ様
北洋の館のBGMを担当して下さったzmi様
黒部市の皆様
お越し下さった皆様
応援して下さった遠方の皆様

2ヵ月程前、北洋の館の周辺で、地元のある方にとても良くして頂きました。お名前を聞き忘れ、こちらは名乗ったのですがインターネットをされない、とのことで、今回の展示をお伝えすることができませんでした。できることは北洋の館の設営が終わった後、見当のつく辺り一帯の郵便ポストに、DMを投函することくらいでした。かなり歩いて投函しましたが、ポストの無い家も多く、結局お知らせできたのかどうかもわかりません。もう一度お会いしてお礼を言いたかった。一番の心残りです。どこかでまたお会いできますように。

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3会場とも芳名帳を用意していました。
その一番最初のページにオカサトシさんへのメッセージを書きました。
会場ごとにちょっとずつちがうけれど、
網羅しているのはシーラカンスの芳名帳のメッセージ。

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オカサトシさんへ

この度はあなたの詩を書かせて頂き、ありがとうございました。
一昨年初めてこの詩集を手にした時、言葉を読んだ時に、一瞬で魅了されてしまいました。さびしげな、少しか弱そうな男の人が女々しい言葉を連ねているようで、でもそうでもなくて、おどけてみせているような、不思議な詩集でした。

鎌倉のテールベルトという小さなカフェで出会いました。そこでは詩集が1冊しか置いておらず、でもどうしても手元に欲しくて、店員さんに無理を言って購入させて頂きました。何度も読み返す度に違った顔や印象を見せるその言葉たちは生き物のようで、飽きることがありませんでした。今回、あなたの言葉だけで、またあなたのいらっしゃる黒部で個展を開催することになり、作品にする度新しい言葉の繋がりを発見したり、わけがわからなくなったり、ただ夢中になって書くことができました。私にとって作品を誰かに見てもらえる瞬間は、展示を行う上で一番幸せな時間ですが、あなたの言葉を書いているその時も、とても幸せな時間でした。

黒部であなたのことを知っていらっしゃる方はたくさんおられると思いますが、その皆さんに詩の別の見方を提示したく、黒部での展示を決意しました。また、ご存知ない方にも知って頂けるきっかけになれば、とも思っています。

私は自分で作品となるような言葉を作ることができません。試みましたが、うまく言葉にすることができず、そもそも表現したいものが私の中にないようです。それでも言葉や印象が好きです。受けたそれ自体を手書きで書く、という一瞬の中で変換して、虚構を作り上げることが私の夢です。「書道」は「道」が付くことから、やはり継続的な力が必要だと感じます。でも私の作りたい虚の世界は、そことは別の場所にあるように感じています。字体や線の美しさや文字の配置ではなく、言葉から生まれる印象を「書」くことを通して、現実世界とは違う、別の世界を作り上げることが、私の目指す場所です。それを今回、あなたのとらえきれない言葉で引っ張ってもらい、またひとつ新しい世界を創り出すことを試みました。対極的ではなく、どこかでベン図のように重なる部分があるような世界でいて、まったく根本が別なような世界。
これが3会場であることの理由です。

考えて考えて世に出された言葉を、好きなように書かせて頂けたこと、心から感謝しています。ありがとうございました。これからもあなたの言葉を、印象を楽しみにしています。

2018.7.12 今子青佳

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全ての会場にあったガラスの容器は何ですか、とよく聞かれました。

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曖昧にしか答えられませんが、これは私自身でもあり、「オカサトシ」でもあります。

オカサトシさんの詩を書くときに、私自身が出ないように作品を作っていました。
言葉自体が素敵なので、私が何か特別思いを馳せなくても、引っ張ってくれると信じていたからです。

また「オカサトシ」でもあるというのは、読むたびに言葉の真意を捉えきれなかったから。

私たちは普段、人と会話をするときに、いくつもある返答の仕方の中からひとつを選びだして会話をしています。だから、言葉にならなかった言葉の源泉のようなものや感情のようなものは空虚になっています。

その言葉の周辺を感じ取ることで相手を思いやったり、その人の後ろ側を想像することができます。

でも、この詩集の言葉は何を考えながらその言葉を紡ぎ出したのか、あまりにも揺らぎが大きくて、もしかしたらこの人は核をあえて持たせていないのではないかと考えました。

だから、私と同じように「何も無い瞬間がある」のではないか。

私と「オカサトシ」との共通点の象徴として現れたのが、ガラスの容器です。
 

3会場で一番具体的な作品が集まっています。


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この作品の下にガラスの容器。

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この壁面はこれだけ。

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その反対側にはたくさん配置しました。

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だんだん少なくなっていきます。

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写真では真っ白になって映らないんですが、書いてあるんです。
オカサトシさんの素敵な詩が。


この作品の反対側にはこの作品。

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トイレにも飾りました。
私の展示会はトイレシリーズにもなっているので、
今後見に来て下さる方はトイレを見忘れないようお気を付け下さい笑

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中も。失礼します。

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窓にも。気付いた人いるでしょうか。

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この北洋の館のコンセプト。

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「そらける」をモノクロで現しました。

筆で書いている作品がほとんどですが、指で書いた作品もあります。

 

書道は基本的に、紙の上に墨で書きます。

一般的に「渋い」というイメージを持たれる理由がこの部分だと感じています。

そのイメージを変えようと色を使ったり、紙でない物に書いてきました。

 

しかし、今回作品を書きためていく中で、ふと今どのくらい作品を書いたんだろう、と点数を数えてみたところ、気付かぬうちに紙と墨で書いた作品が、ゆうに50作品以上になっていました。もちろん展示できるはずもなく、

その中で北洋の館のお店に合う作品を展示しています。

 

その時に気付いたのは、私はやはり「渋い書」も好きなんだ、ということでした。

現在、音楽家、映像作家、美容師、俳優や料理人等とコラボ企画がありますが、

このような企画はオーソドックスな書が私の根本にあるからこそだと感じています。

 

北洋の館のお店の奥にある、海や船に関する機材や説明の空間を見た時、

歴史があるということの重さと説得力の強さを感じました。

誰かが守ってきたものがあり、それを伝えた人がいて

そして今自分がその一部のどこかにいる。

それが奇跡を示してくれるものであり、支えになる気がします。

私なりの今までの生きてきた、注いできた時間を、

モノクロというシンプルな形で現しました。

 

お店で流れている曲はzmiさんというピアニストの音楽です。

優しいけれど、甘ったるい優しさでなく、揺らぐ音の繋がりが、

「音」としてすっと入って来る曲を作っていらっしゃいます。

 

波のように揺れ動く時間を感じて頂ければと思います。



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この会場では詩の言葉をそのままに書きました。
ここで詩を初めて知った方は、私の解釈のまま今後も読まれてしまうかもしれません。
ぜひ、活字の詩も何度も何度も読んでください。全然違う印象だと思います。

「本」は活字のものが多いです。
それがもったいなくて、手書きの一瞬を作りたくて私は作品を作っています。
書く言葉も小説や詩、短歌や俳句が多いです。

それは活字のままにしておきたくないから。
もっと動き出してほしいという思いがあります。

だから、極論は朗読のように宙に浮いた言葉を「書」作品にし直すことの方が、イメージとして近い場合があります。

言葉が言葉自体で生き物のように動き出すと、それはそれは面白いんじゃないかと考えています。





 

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今回珍しく楷書で書いた唯一の作品。これがYASUKOハウスの展示の看板です。


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「ナスを焼いたりネギを切ったり」のリフレイン。

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「ゆだねるよ
らくになるために
いたいたしさもあげるよ
わかってくれる?
孤独も
うけとってくれたらいい 
はずかしいもの・・
不安も
恐怖していることも
必死さも
全て
あげてしまいたいよ

(きみを好きになり
ぼくを嫌いになる)

何も知らない
きみを前に
自分の汚れを
恥じるけれど
もっともっと
汚れたい 

ぼくの中で
きみを許し
社会の中で
きみを
守る

そのために 」

のリフレイン。

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リフレインの作品は視覚要素を大きく見せました。
途中で読む気が失せるようにしています。途中まで何回「ナス」を焼いて「ネギ」を切ったか数えてくれた人もいましたが、心が折れたそうです。
やった。勝った。

それは、文字が書いてあっても読めなくてもいいと思っているからです。

なんとなく文字が書いてあるかもしれない、というくらいで。でも書き手は書く毎に、変化していきます。もちろん心が折れそうになります。でもその先に何かがあると思って、書いています。

それが「そらける」を読む度に違った印象を受けることと似ていると感じました。

だから書いても書いても飽きなくて、乱暴な気持ちになったり、悲しくなったり、淋しくなったり、元気をもらえたりしました。これは書き手の特権です。般若心経や千字文も似たような部分があるんでしょうね。

そうやって書いている自分がなくなっていく感覚が面白くて、赤色のリフレインの横には、印だけ押した作品を並べました。書いている自分を一歩引いた自分のつもりです。この2枚の作品の関係性は薄いかもしれないけれど、「私」が中心にあることに変わりはありません。



こちらの会場にもガラスの容器があります。



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トイレにも硬筆の作品。
 
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ここではこのようなコンセプトです。

 
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「そらける」をカラーで現しました。

 

書道は基本的に墨で書かれますが、

それによって「渋い」というイメージが出来ているように感じています。

 

YASUKOハウスに初めてお邪魔した時に、お店自体が宝箱のように感じました。

小さなものがたくさんありますが、すべてが居場所を持って、

そこにそれ自体が「在る」ということを知っているような印象です。

また、お店を取り囲むバラ園がこの空間を包み込んでいるようで、

ここはまさに別世界のように感じました。

 

その空間をそのままに作品を展示できないかと思い、

柔らかいイメージを作りたく、色を使いました。

 

光の三原色を基調に壁面に紙の作品を置き、

お店の中心に光が集まるような容器があります。

この場所はお店の中心のようで、

でも実はたまたま中心になったかのような印象もあります。

 

お店に来られた方々を誰でも暖かく受け入れて下さる、

マスターと恭子さんの優しさがこのお店の光そのものです。

 

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にぎやかさをそのままに、でも東京では絶対に感じられない清々しさを書きました。



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「そらける」今子青佳書道展 in黒部市

とっても幸せな時間でした。
作品をこちらで一会場ずつ紹介します。

最初はシーラカンス毛利武士郎記念館。

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入口を入って左側は毛利武士郎の常設展。
右側の通路から私の作品です。

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オカサトシさんの詩の言葉を書いています。

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通って

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広い空間へ。






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主たる作品は、この布です。窓に向かうように垂らしています。
その窓や置いた扇風機から風が吹いて布が不規則に動くように長い布を重ねてあります。



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その反対側には毛利さんがデザインした4枚の扉があります。
ここをそのまま使いたくて思案しました。

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それぞれの扉に

one open
two open

four open

と書きました。

まずone open


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two open

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three open 
と書かれるはずの扉。

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four open 

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この4枚の扉は、扉のようでもあるし、本のようでもあるなと初めて見た時思いました。
「そらける」の本の中に人のイラストがあります。これもオカサトシさんが描かれた絵です。
その人になりきったような、詩集に入り込んだような場所にもしたいと考えていました。

扉は全て中身が違うので、別世界なのかもしれません。どこでもドア的なものかもしれません。

会場に来られた一人の方が、one openの扉を開けた後、実像と虚像の話を熱く話してくださいました。
普段からそのことを考えて生きていらっしゃるらしい。

でも私たちが生きている世界は現実世界だから、もしそれが本当は実像でも、いや虚像でもどちらでもいいことで、存在していることがわかればいいから、考えすぎると生きていけなくなってしまう気がする。怖くなります。
だから、いいんです、どちらでも。もちろん、どちらもがあっても。

three open

は書きませんでした。でも中はびっしり墨に染まった紙が貼られています。これはオカサトシさんの詩集の言葉だけではなくて、今まで書いてきた書き損じや、墨が滲みすぎないように吸わせる紙、つまりゴミ同然の紙です。そこに重ねてさらに墨を乗せました。

今まで「書いてきた」時間も示しています。こんなに書いてきたんだ、と時間を紙から見ることができます。その時間軸は今立っている場所とかけ離れているのではなくて、延長であり、重ねることもできるのではないかと考えています。むしろ時間軸がばらばらになってもいいんじゃないか。

それと、ゴミになって消えてしまう可能性のあった言葉や字を照らしたかった。すべてがいつかは消えてしまうけれど。



ここの扉を振り返ると、最初の写真の布があります。

4枚の扉の中央にはこのガラスの容器。

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この容器の説明はすべての最後に。


窓の方を覗くとこうなります。

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この場所は3会場で一番抽象的な場所になりました。

会場にこのコンセプトを掲示していました。


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「そらける」の印象を言葉や文字でないもので現しました。

 

「書」は基本的に文字を書きます。

前衛書道のような絵にも見える書もありますが、だいたい「書」といえば、書き初めのような綺麗な字だったり、教科書でみるような仮名という、みみずが這ったような字、漢字だらけのかっちりした字など、「字」が書いてあります。

 

そうすると、作品を見てやはり先立つのは「なんて書いてあるか」です。

 

つまり、読めて初めて意味がわかります。

むしろ文字が書いてあるのに読めないことで、人は不安になります。

それが私にとって悔しく、読めなくても、何が書いてあるかわからなくても

「目の前にある作品」として絵画的に見てもらいたい思いがあります。

文字を無くしたら、あるいは文字がかすかに見えても

その機能性をなくしたら何が起きるのか

ということをテーマに作品を作りました。

 

ここは私の感じる「そらける」という言葉の空間です。


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言葉や文字を考えてきた中で、それを使わない、ということが一番やりたかったことです。
こうなると書家でもなんでもありませんが、だからこそやってみたいと思っていました。

誰にもわかってもらえなくてもいいやと思っていたし、
面白いはずだと、間違いではないと信じて作品にしました。

 

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