今子青佳

2018年12月

六角橋での個展が終わって、クラウドファウンディングのお礼を少しずつお贈りしています。ご支援くださった皆様、本当にありがとうございました。
ゆっくり中澤系や、作品のことを思い返していますが、貴重な経験だったなと思うと共に、やりたいことと考えたいことが増えてきています。

その中のひとつ、パフォーマンス。
1月2日と19日に予定しています。

まずは1月2日。個展会場と同じ、六角橋のあるcafeにて。「ある展」というイベントです。お店の窓全面をお借りして、ある小説を書き上げます。今までは詩や短歌、俳句を書いてきましたが、小説全文は初めて。何の小説かはそのときのお楽しみに。

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実は、今回お世話になったあるcafeさんは、来年3月でcloseとなります。アーティストのスタッフの方が多い中で、外部の者の展示は、私が最後だったようです。

素敵な、独特な雰囲気を放つ、異種も受け入れてくれるこのお店は、素晴らしい空間でした。ここでしかできないことをさせてもらえて、オーナーさん、スタッフさんに受け入れてもらえたからこそ、個展を開催することができました。

そんな場所で、最初で最後の「ある展」に参加します。「ある」をテーマにしたこのイベントで、私は「存在する」ことを考えます。年明けに合うよう、色とりどりに鮮やかに書きます。

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底冷えがすごいかもしれない。それでも、ぜひお越しください。書く姿を見せるのは恥ずかしいですが、また違う所に行けるのではないかと思っています。

お出掛けの際には寄ってください!

ある展@あるcafe
神奈川県横浜市神奈川区六角橋1-10-11

個展が終わって、1週間ほど経って、壁画を再び白く塗りつぶしてきました。
書いた作品を、壊してきました。

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今回はクラウドファウンディングに始まり、短編映画のような映像作品の撮影、長いキャプションの展示、ただ一行に書くこと等、新しい試みをしてきました。

展示をする度に、知らない世界のドアを少し開けてしまって、「わぁこの世界無理だ、もう行けない」と思います。知らないことが怖い、とどんどん思うようになってきました。

その中でも、えいって開けて入りたくなるドアが今回もありました。

その内容のようなものは、もう説明しないことにします。今は、かもしれないけれど。

これからも書き続けていきます。
どうぞよろしくお願い致します。

Special Thanks
中澤系様

Thanks
あるcafeの皆様
六角橋商店街の皆様
ご支援くださった皆様
ご来場くださった皆様
応援してくださった皆様


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「うつくしく生きよ 見上げる青空を縦横無尽に走る電線」

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書くことがつらかったときに、中澤系の言葉を書けたのは、彼の言葉が好きだったから、という理由ひとつです。 私が書いても書かなくても、彼の言葉が存在していました。これからも、存在し続けます。 書かなかった歌もたくさんあります。 ぜひ、活字で読んでみてください。 http://www.libro-koseisha.co.jp/literature_criticism/nakazawakei-uta0001-txt/

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閉ざされし部屋出づるべきものは無し聖なる光より隔たれて

 

 私は大学で哲学科に所属し、卒論は宗教に関することをテーマにしました。哲学を勉強したいと思い始める前から、宗教的なことには関心があり、友人に話を聞いたり、実際に路上で勧誘された宗教団体の事務所へ入って行ったりしていました。記憶の中にはありませんが、オウム真理教の報道や、地下鉄サリン事件の記事を読んで、私もこの時代に生きていたら、加入していたんじゃないか、わからないまま、信じて、そのまま何が起きたのかわからないまま生きて行くんじゃないかと思うことがよくありました。その思いを知りたくて、宗教とは何なのか、信じることはどういうことなのか、大学時代に考えました。

 日本には無宗教の人が多いと言われますが、神頼みをしている人、パワースポットめぐりのようなことが好きな人は多くいます。宗教組織・団体による商業戦略に、社会的なプラスの効果として参加する人もいます。つまり、個人と「神(=絶対なるもの)」の関係性は、時代は関係なく、現代でも変わらずあります。それが組織立っていないというところが、以前とは異なる部分です。また、その関係性が日常生活の一部として取り入れられているだけであって、それがないと生きていけないわけではありません。だから、あくまでも現実世界に身を置いている人、別の世界は在るかもしれないけれど、特に「信じる」までではない人が、今の日本にいます。

 私は、勉強をして、考えて、結局、「信じる」ことが難しい人間だということが分かりました。自分でない誰かを、何かを信じることは、純粋な行為であると思うし、尊いのかもしれないけれど、同時に怖い。自分が無くなってしまうような気さえします。考えたり、疑う余地を失くしてしまう気がします。

 私たちの生きている世界が「閉ざされている」世界だとしても、「聖なる光」が部屋越しに見えているのだとしても、そこは私が生きる場所ではありません。そしてそれは言葉で説明することでもありません。

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なつかしき地球最後の日をぼくはあしたにはもう去らねばならぬ

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残り24時間で人類がふたつの世界に分けられる。ひとつは、この制限時間内に誰か一人にお酒を渡し、なおかつ、もらったら死ぬことができる。もうひとつは、それが達成されなかった場合。永遠にこの世界で生きなくてはならない。

 

朝、目が覚めて、最初に歯磨きをする。そうしてから食パンを食べて、お化粧をして、仕事に向かう。いつもの日。ひとつ違うのは、全人類の今日の所持品に、アルコールを含む何かしらのものがある。私はお気に入りの香露という日本酒を持っている。自分で飲みたいくらいだけれど、今日は用途が違うから、ただ、持っている。

 電車に乗る人たちの表情はいつもと変わらない。はず、なのに、人が明らかに少ない。いつかの、昨日までの満員電車を懐かしみながら、同じ車両にいる人たちが、同じ選択をして、別々の行き先に行くことを一瞬尊く感じた。でも、それを口にすべきではない。

 

一日の授業を普段と変わりなく終えた放課後、職員室にいたたまれなかった教員たちが、保健室に集まる。窓から陸上部員の走る姿を見る社会の教諭、SNSで世の中の行動を見ている美術の教諭、私は人体の模型を見ながら、生卵をゆっくりと飲み込む。

もう少しで、働くという行為が終わる。その時間を、贅沢に、存分に持て余している。これから、何事もなく家に帰って、明日から、眠るようにして生き続ける。かばんの中の日本酒は、瓶という容器に守られて、地球消滅という起こり得ないその時まで、徐々に黄ばむことのできなかった色を保持して、在り続けるだろう。

 

窓越しに見える外の景色が、夕陽に包まれていてよかった、と思った。影が長くのびていて、よかった、と思った。何かが動いたことが、よりわかるから。だから、あの人が現れたことに、いち早く気付けたのだ。

昔、好きだった人。この人のために死んでもいいと、思うことができた人。でも、今はその人のために死のうなんて思わないし、いや、私は今日意味もわからず死にたいんだから、そんなこと考えなくていいんだけれど。

その人は私に味醂を差し出す。それなら本当は、ほんのり黄色いんだろうな、と思った。でも黒いお椀に入っているから、水にしか見えない。私は騙されているのかもしれない。「お酒だよ」と言う言葉に騙されて、ずうっと、この世界にとどまらなくちゃいけないのかもしれない。私はあなたを信用していないけど、信じているふりをしてあげる。飲めばいいんでしょう。嘲笑ってくれればいい。最後の笑顔を見せてほしい。

 

甘かった。一回沸騰させたんじゃないかと思うくらいの、微量のアルコールを感じて、焦って、そのせいで、汗が目から出てしまった。

 

私は、この世界ではない世界で生まれて、それが「誰か一人を殺さなくてはいけない世界」だったら、間違いなくあなたを殺す。あなたが私を殺す前に、殺してあげる。

 

今日の残りの時間に、と、その人はカポーティの本を私にくれる。私は、これから、職員室に戻って、かばんから、香露を取りだして、渡さなくてはいけない。

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