今子青佳

2019年02月

サービス介助士合格しました!

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通知がなかなか来なかったので、落ちたかと思いましたが、落ちても通知は来るだろうと思って待っていたらなんとか合格していました。よかった…

講習を受けて、試験勉強を経て今思うのは、コミュニケーションの方法は予想以上に多くある、ということです。言語を使わずに意志疎通はできるかもしれない。目から得られる情報は多いけれど、なくても伝える・伝わることは違う次元であるかもしれない。言葉ではない些細なしぐさ一つで、受け取り方が変わって来るなら、しぐさの方がより「言語」に近いのかもしれない。

これまでの自分の態度やしぐさを今後まるっきり変えることはできませんが、人前に立つ時だけでも、知っているだけでも、丁寧に生きられる気がしています。普段の図書館の仕事でも、少しずつ活用できればと思います。

この「サービス介助士」の合格率は高いかもしれないですが、大切な勉強になりました。今年の目標のひとつでもあったので、本当に嬉しいです。もうひとつの目標は書道の8段合格。こちらは、たぶん一発では難しそうなので、再来年ぐらいまでには、という長い目で勉強していきたいなと思っています。

そして来年度は書道の勉強を一つ増やしました。今までは楷書・行書・草書・篆書等の「漢字」を勉強していたのですが、「仮名」も加えることにしました。師匠からの薦めもあり、頑張ってみます。知らない世界を知ることが出来るのは、やっぱり楽しいです。新しいことをもし私自身も生むことが出来たなら、それはもっと楽しい瞬間だと思います。

来月に控えている個展で、その「新しいこと」の末端が見えたらいいなと思っています。
それは、また改めて。 

私の祖父は俳句を詠む人です。
今日、その祖父からもらった句集に私の事が詠んでありました。

「若菜集書にする娘初硯」

一昨年の冬に、「水」というテーマで冨岡夏海と二人展を開催しました。
その時に書いた島崎藤村の若菜集を、祖父は気に入ってくれました。

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書いたのは若菜集の「草枕」という詩。
文語というか、古語は好きではないけれど、薄い淡いピンクを感じる、好きな詩です。と同時に、血の滲んだ薄い薄い赤色のような気もしました。

私の書よりも、書いた言葉を気に入ってくれる方が、私にとって嬉しいことだと最近切々と感じています。

近々、個展の予定があります。たくさんの人に来てもらいたいですが、書にする前に、それ自体として存在している作品を、改めて変換したいと思っています。

だから、
つまり、
もとの作品が本当に素晴らしいのです。

もとの作品を愛する気持ちを込めて、また新たに私の作品を作れたらいいなぁ。

 

サービス介助士の講習を受けて来ました。

「サービス介助士」って何、というところから勉強を始めましたが、この資格を取るにあたっての事前課題に向けての勉強、2日間の講習の時間は貴重な、大切な時間になりました。
※まだ「サービス介助士」の資格はありません。筆記試験が受かっていればいいなぁ。再試験かもしれません。
 
一番印象に残った、困っているかもしれない人に「声をかける」ということ。
声を発したり、挨拶をしたりすることだけではなくて、相手に何かしらのアプローチをすることが「声かけ」だと感じました。それはアイコンタクトでもあり、対面することでもあり、口話でもあり、様々な方法があります。

どの手段だとしても、何らかの形で相手に伝わる行動である、ということ。
それがひとつの「ことば」になり得るということ。

この「サービス介助士」の資格のテキストにも書いてある、講習でも出てくる、誰かの「手伝いをさせて頂く」という言い回しにひっかかっていた部分がありました。

「手伝い」は、必要なのだろうか。必要としていない人もいるはずなのに、「手伝い」なんて偽善の塊なんじゃないかと心から思っていました。

でも、講習の最後にインストラクターの先生から受けた言葉は

「共生」

でした。


サービス介助士であろうとなかろうと、この言葉は大事な言葉だと思います。もし誰かの手伝いをしても手伝いをしなくても、誰かと私が同じ世界に生きているということ。
その世界の中で、共に生きるために手伝いが必要な人もいて、もちろんいらない人もいて、手伝われたくない人もいて、誰かと一緒に居たい人もいて、その人数だけの数ある生き方を一緒に生きる「共生」という言葉は重く、美しい言葉だと思いました。

この言葉を教えてくれ、講習者の十数人の士気を高め続けてくれ、厳しいまなざしも送って下さった講師の方に心から感謝しています。

リンクつけていいのでしょうか…
いいかな。笑

公益財団法人 日本ケアフィット共育機構

そして、一緒に講座を受けた方々の意識が高く、公共という場が彼らの意識によってどんどん多くの人に生きやすい場になるのではと感じました。

小さいころから障がいを持つ人たちと過ごしてきましたが、社会が変わって、世の中が変わって、生きた年月が増えて、高齢者ももちろん増えて、私たちが変わって行く中で、一緒に生きる世界が多くの事象を受け入れる世の中であればと思います。

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