小説から本文を抜粋した作品。


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ことば: 

満月が桶の水面みなも揺蕩たゆとうた
 

平野啓一郎著「一月物語」(『日蝕・一月物語』所収/新潮文庫刊)
 

 

私が今まで読んだ中で一番好きな本の一文です。

話が素晴らしくて、日本語の美しさを感じる圧巻の本。
短いお話ですが、ぎゅっと凝縮された洗練された美しい本です。

ですが、だからこそ、この一文のように、言葉が難しい。
漢字がたくさん出て来ます。
つまり、読みづらいです笑

ぜひこの一文を見つけて頂きたいのですが。

 

「の」を満月に見立てています。
たゆたっている感じ、水面が妖艶に輝いている感じを指で書きました。

目の前の出来事が、人物が、自分が今ここにあるのかわからなくなっていく感じ。
輪郭がぼやけていく感じを書いています。

今回の二人展で一番納得がいった作品です。
 

また、余白をとても広くしました。
これは小説なので、この一文以外の部分を周辺に残したかったから。

見方も読み方も人それぞれなので、
満月の光に照らされる周辺部分はみなさんに委ねようと思い、残しておきました。
その分大きな作品になってしまいましたが。
 

下弦の月が好きですが、この一文の満月は特別美しいと感じます。

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虹色の映像との共同作品の反対側に置きました。

虹と月は相容れないけれど、このふたつがもし出会ったら、
惹かれあうかもしれないと思って。あえて正反対のもの、位置にしました。

 



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ことば: 

 

何年かに一度ずつ、判で捺したように同じ気持で水を眺める自分が繰り返され、

それからいつか、存在しなくなってしまう。
 

古井由吉著「水」(『古井由吉自撰作品二』所収/株式会社河出書房新社刊 P25下段20行目~)
 
 

こちらも小説からの抜粋です。
短編ですが、何度も読み返すごとに新たな発見や美しさ・苦しさを感じます。
それでもこの一文は、いつ読んでもはっ、とする。
自分の存在が危うくなって、いつか死ぬんだということが現前に感じる。
今生きていることが稀有だと思う文章です。

こちらも指で書きました。


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小さい頃、自分の手のひらを見た時に、
ふっと「あ、わたし、死ぬんだ。」って気付いた瞬間がありました。
その時から自分の手が嫌いです。
だからなのかわかりませんが、墨を手に塗りたくってぐちゃぐちゃにしてしまいたかった。
その指でたまたま文字を書いたのがきっかけです。
案外うまくいったので、作品にしてみようかなと思い、それから指でも書き続けています。

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実はこの『古井由吉自撰作品二』の解説は先ほどの平野さんが書かれています。
以前対談もされていたそうです。


最後。

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ことば:
 

母上は血の涙を泣きながら、死んでもお前たちに会わない決心を翻さなかった
 

有島武郎著「小さき者へ」

 

父から子への思いを淡々と、しかし情熱的に綴った手記のような物語。

この時代の父親像や、現代ほど進んでいない医療ゆえの悲劇、母の覚悟。

熱がこもっている言葉だからこそ、あまり熱を入れずに書きたいと思っていました。

 


この小説の最後の部分が好きです。

 

小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。
前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。

行け。勇んで。小さき者よ。

 
 

不幸であっても、そうでなくても、きっと彼には「暗さ」があっただろうし、
子どもたちにもその部分を見ていた。
悲観していて、でも生きていくための応援歌として、
この言葉を自分にも向けて書き残したのではないかと感じました。
 

だから、絶望的に暗い。
でも半分は明るい。
 

書いていて、私も励まされる瞬間がありました。



小説は長くて全文書くことができないので、悔しい反面、切り取りの難しさ・面白さがあります。
平野さんからも古井さんからも、出版社の方々のおかげでご本人から書くお許しを頂きました。
心から有難いことだと感じています。

できれば、短編小説の全文を書いてみたいのですが、
やっぱり長くて、許可も頂けなくて、難しそうです。

まだあまりブレイクしてなくて
でもその道で生きて行こうと本気で思っている方の
小さくて壮大な物語をいつか書きたいなと思っています。

おこがましいですかね。