適当なブログ

何しろ適当に。

Yahoo!スポンサードサーチがバージョンアップして1ヶ月

11月8日からYahooのスポンサードサーチがバージョンアップしてるんですけど、なかなか素晴らしいです。
まずクソ重くてこの時点で相当萎えてしまいます。
ちょっと前までは、Googleの方が重くて嫌になってたけど、Yahooスポンサードサーチ触った後にGoogle Adwords触ったら軽くてビックリします。というぐらいクソ重い。
これだとオフラインで出来るGoogleのAdwordsEditorみたいなのがないと相当辛いです。まぁそれ作ったら作ったでどうせまたバグだらけで使えないんだろうけど。
インポート機能もないので、あの画面上でやるしかありません。
キーワードやら広告やらは俺はまだ移行前の登録でそれの丸々移行だからいいけど、これから登録しようかって人なんてどんだけ時間かかるんだろうな。

しかもバグ多発。
「データの取得に失敗しました」とか「変更に失敗しました」とか、何のエラーかも一つもわからないという不親切さ。おまけにヘルプもマニュアルも情報不足で超不親切ときました。
今日はアカウント残高がやたら増えててビックリしました。半日ほどして見てみると戻ってました。何だそれ。増えてた表示だから「これバグだよね?」(表示だけの問題だよね?)で1日様子見てみようで済むけど、減ってたら、おいこれどういうことやねんてブチ切れてるでしょう。そして多分、即電話→全然繋がらない、メール→1週間以上返事来ない とかなるだろうから尚更。勿論何のアナウンスもありませんよ。
ターゲティング設定とかの機能が増えたけど、Adwordsのように使えるのかなと思わせといて時間設定しようとしたら「失敗しました」連発で諦めました。
Adwordsのエンジン使ってるんなら色とかデザインだけ変えてやりゃいいのに。今のところ、このスポンサードサーチVer.3が勝ってるとこ1つもないよ。キャンペーンクリックしたら広告グループの表示でなくいきなり全キーワードが出る(そして待たされる)、広告グループ内のキーワード見た後に広告グループ一覧やキャンペーン一覧にワンクリックで戻れない(クソ重いから煩わしさ8倍増)、広告やキーワードが編集出来ない(削除して新規作成しろ)などなど使い勝手もかなり悪い。

リスティングに関しては、Yahooとの相対評価でGoogleはクソ重い、Google不親切(というよりGoogleは基本的に本国Verの翻訳版だから、言語の壁って厚いよねえ)とか思ってたけど、Google凄いなに変わってしまいましたよ。いや、凄いのは知ってたけどそれはそれとして。Googleのアレが目茶苦茶軽くてとても使いやすいと感じてしまうぐらいです。人間の感覚(というより俺の感覚)って適当だなぁ。

機能もバグフィックスもテストも全然追い付いてないけど取り敢えずいっとけ、どうせ何やっても苦情来るんだから後からそれから苦情の多いのから直していけばいいんだよという、Yahooという会社の姿勢が丸出しです。
無料のものならまだしも。
この会社はどれだけ俺の時間を奪えば気が済むんだろう。

普通はベータ版公開とかで同意を得たユーザーにバグフィックスして貰うとかするけどそれが出来なかったという同情するところはないことはないんですけどね。Yahooさんのことだから出来てもやらなかった気はしないでもないけど。

・・・
『現在、お問い合わせ窓口が混雑しているため、お電話がつながりにくくなっております。また、メールでの回答にもお時間を頂戴する場合がございます』
という表示は1ヶ月出っぱなしです。

いや、前から繋がりにくかったけどな、電話。音声ガイダンスの「暫くお待ちください」流れっぱなしで30分待ちとかザラ。今あれより酷いのか。酷いんだろうな。

ナベツネII

『原監督が大物OBの招へい計画を初めて認めた。(略) 原監督は11日に江川氏の人事について聞いていたかと問われた際には「全くありません」と否定した。だが、その時点では「非公式」の話だったため』(デイリー)

まぁね、そら原は全部飲みますよ。だってそういう人だもの。
何故かデイリーが、頼まれもしない話すらしていないのに何故原監督が前言を翻したかの説明をしてる訳ですが。

一応、『「非公式」の話だったため』だとすると一見話の筋は通っていますが、そうなると今度は、あの人達つまり親会社のトップと子会社の現場監督は、子会社トップの頭を越えてそういう話をする人達であるという、とても美しくない光景になってしまいます。
それで清武は原とも対立していて孤立しているってことにしたいみたいだけど、その話だと、原と対立してるのは清武だけでなく桃井とかフロント全員もそうであるみたいなことになります。
だとすると、それはそれで原的には色々マズいよねえと思ったら、ちゃんと

『非公式というか、チームを高めるためにたくさん(渡辺球団会長と)会話をしている。そのうちの1つ。固有名詞が挙がった』(原)
などと原も微妙に自分を守っていて、いまいち男らしさが足りません。
ちゃんと「ですねー、最初に提案したの僕なんですよねーアハハ」とか言えばいいのに。


『オーナーは我が侭なものだ』とか清武のアホぶりを諭すような論調もどっかの新聞か雑誌か何か(忘れた)に書いてあって、それは確かにあくまで現状認識としてはそうと言えたりもするんだろうけど、でも、だからそれええ加減にせえよとそれの是非を問うてる形なのであって、「だからそれで良いのだ」とはなりませんよ。

『あのお客さん、店員が冷たいお茶と温かいお茶を間違ったぐらいで責任者を呼ぶよう強要したり、わざわざ料理が出そうになるまで待ってから注文変更してその後遅いとクレーム付けたり、いくら何でも我が侭過ぎます。殆ど営業妨害です』
『お客様とは我が侭なものだ』

そういう話なんじゃないんですかね。清武的には。
だから、この場合、「いくら何でも我が侭過ぎます」を否定するには、それぐらいは社会通念上もそんなに酷い話ではないとするか、またはそうではない理由を説明しなければいけません。『オーナーは我が侭なものだ』では答えになってないんですよね。
なのに、その現状を黙って是とせよ、みたいな、ナベツネそのものよりもナベツネを擁護するような論調の方がこの国の腐りっぷりをよく表していて胸が熱くなります。ジャーナリズム万歳。

まぁね、権力者相手には、注目されるネタであること、明確に法に触れること、この2つが揃わないと大体負けますわ。全部じゃないよ。たまーに社内クーデターみたいなのが成功してる例もあるみたいだしね。
でも、多くは、どっちか片方では殆ど駄目なんですよねえ。現実問題として。
あくまでアンタとこの社内での出来事でそれで人事でのコンプラ何とかがどうたらでは弱過ぎるんだよ。>清武

『強い者が勝つんじゃない、勝った者が強いんだ』(ドカベン by水島新司)
そして強い方が正義と呼ばれるのはいつの時代も一緒。

ナベツネがアツい

ナベツネがアツいなー

清武が突然ブチ切れた理由:
そんなもんあれだろ、いいトシした大人があんな風にブチ切れる時ってのは、大体において理由は1つや2つや3つやそこいらじゃないよ。随分溜まってたか相当追い詰められたか何か色々ヤバそうだから先手を打ったかそんなとこだろ。


というのは置いといて、

『渡邉氏はそれを覆し、江川氏をヘッドコーチにするというのです』(キヨ)
『江川君の起用構想は、最近原君と会談しているとき、原君から提案されました。(略)名案だと思いました。しかし、岡崎ヘッドコーチとの関係もあるので、「助監督」として原監督のご意見番役になってくれればとも考えました』(ナベ)

ここに注目してみました。微妙に話が違います。
仮にどちらも正しいとすると、清武さんが聞いた江川ヘッド案は、ナベツネ本人からではなく誰かからの又聞きだった可能性。周りがナベツネの意図を忖度してる内に話が勝手にそういう方向に、というパターン。
でも清武の「99.9%」とナベツネから聞かされたという話があるからどちらも正しい可能性は却下。確実にどちらかが嘘をついてる。

清武のが本当だとすると、ナベツネが嘘ばっかり言ってることに。まぁあの人の場合普通に有り得る。
ついでに言うと、ナベツネが清武に「99.9%」と言ったというのが本当だとしたら、それも多分嘘や誇張で、あの手の人は、自分の中で勝手に「99.9%」になってるだけのことをよくそういう風に言うんだけども、これ多分清武もそれをある程度わかってて言ってるよね。小ズルイ。

で、ナベツネの言ってることが本当だとすると、江川ヘッドは原監督の発案だそうで。助監督とかは後からナベツネが取って付けたようだし、だとすると原が岡崎ヘッドを降格か解任させようとしたということに。
しかも原は球団首脳を飛び越えてナベツネと直接そういうことを話す仲であり、一旦内定している人事に口を挟めるほどとっても仲がイイ。ってことに。
・・信長に対する森蘭丸みたいな想像しか出来ません。それ以外の想像がとても難しいです。

『そもそも、「GMをおいたほうが良い」と私に提案したのは原君でした』(ナベツネ)
『原君は何人か人物をあげましたが(略)、最後に(原が)「清武さんでもいいですよ」と言ったので、清武君をGMにした』(ナベツネ)
ここで意外な暴露。このくだりは話の本筋とは余り関係なくいかに清武がダメな奴であるかの一エピソードという感じですが、何と清武GM誕生を裏で糸を引いていたのは原監督だった!GMという役職を置くことから具体的な人選まで、完全に原主導です。しかも「清武さんでもいいですよ」て。何その言い草。
何かもう清武GMで球団代表で専務取締役より現場監督の原の方が明らかにエラい訳です。完全に見下してる訳です。どうなってんだ。
いやわかります。わかりますとも。そこには、清武、お前みたいな原より下な分際であんまり調子に乗ってんじゃないよ、ということが言いたいだけの意図以外に何もないということはよくわかります。かつての「たかが選手が」「星野みたいな小僧が」と完全に同義です。しかも今度はそれを原が言ったことにするという手法を使いました。つまりここは、清武がどれだけ取るに足りない人間であるかを皆さんに訴えかける為だけに(多分平気で)原を犠牲にしてるんですね。さすがナベツネ、性格が腐ってます。

原にしても、こんなとこで全部俺に被せてキタ!!!とか涙目だろうけどもう慣れっこか。話が出た時点で「これは俺とこに来るカモ」とある程度は悟っていたであろう。多分恐らく。そして男の子らしく且つ愛人らしく潔く将来の地位を約束されたりしつつ全てを被るのであろう。
大丈夫、原君はそれでまた泣いてしまいますけどそれでもけなげに付いていきますよ。愛人だもの。しかもドMだもの。知らんけど。

原のそれは、ジャイアンツ愛じゃなくてナベツネ愛でした、というオチ。ジャイアンツ=ナベツネだから仕方ないのか。そういうものなのか。
ナベツネはナベツネで、原にだったら何をしてもいいと思ってる風。


どうでもいいけどデイリー(スポーツ)のヘタレっぷりが泣けてきます。何あれ。あくまで清武が勝手に1人で発狂しました、解任でしょ。本当にアホですね。ねー解任マダァ?(・∀・ )っ/凵☆ みたいなの。
サンケイはスポーツ紙・普通紙ともに完全に面白がってるのに。
読売は・・・・・「新聞よりも報道よりも大事なことがある!」というところですね。



まぁね、お2人のあれ、要約すると、

『ナベツネのやり方は無茶苦茶だ。あんなものは社会的にも許されない。悔い改めて反省するべき今すぐ反省するべき』(キヨ)
『清武は無能だ。アホだ。むしろ犯罪者だ。それでも飼ってやってるんだよ今回だけは許してやるからお前はおとなしく俺の靴でも舐めとけ』(ナベ)

ということのみであって、もう本当にそれ以外何もなくて、しかも両者とも、具体的に何らかの処分なり措置なりを取ったり求めたりするのではなく求めるのはただただ「謝罪と反省」。口汚く罵り合いながらも、それでも最後のところでは相手を気遣い合う2人の仁義に心を打たれます。二言目には解任解任と騒ぐどこぞの外人元社長も是非見習って欲しいと思います。


うん、まぁ、それなら家でやれ。

スマホとか最近の「新しいモノ」

以前から、最近の「新しいモノ」には醒めた目で見てるから余計そう思うのかも知れないんですけど。

1) 何かと何か(既にあるもの)がくっ付く。
2) 小型化、軽量化。

3) 各ライフスタイルや生活シーンに合わせたサイズや機能になりそれぞれのシーンで使いやすくなる。

4) とても簡単になる。
5) 何か特定の用途・機能に特化する。

これってどちらかというとバージョンアップの類であって、発明の類じゃないですよね。だから「革命的」みたいな言い草とかってのは、俺の受ける印象では言い過ぎ感。

プレステや何やのゲーム機にネットがくっ付いて対戦や協力が可能になったとか言われても、それとっくの昔からパソコンで出来とるやん、みたいな感じ。
パソコンという入り口からゲーム機をくっ付けたのよりも、ゲーム機という入り口からパソコンのある機能をくっ付けた方が、入り口は広かったし「お金をかけて当然」な文化もあって良質なコンテンツが作れやすいという、ただそれだけのことでした。結局のところソフトは人間が1つ1つのパーツからゴリゴリ人力で作ってる訳で、ハードだけこれ以上進化しても追い付かないって事情もあって。
せいぜい、Wiiとかでコントローラーがあんな風になる程度。それでもゲーム機そのものの進化という意味では、あれは凄いことだと思うけど。それでもイマイチヒットしない。
PSPとかでもゲーム機がポータブルにコンパクトになりました、片や携帯ゲームが充実しました。で、その違いは?というと、単にソフト(コンテンツ)が違うだけ。気付いたら違う業界が同じようなもん目指してる。

AにBがくっ付いてABになるかBにAがくっ付いてBAになるかという、違うもん同士がくっ付いて、それぞれのサイズや使い勝手やコンテンツ(という名の利権)によって機能が多少異なりますよ、というだけのことになっていってます。

更に小さくて性能が良くなったぐらいでは、それは多分恐らく誰にでも予想出来たことで、スマホだって、別にジョブズさんがいなくても5年も経ったらそうなってたでしょ。それがオサレかどうかはさて置き。
想像は出来ても誰もやらなかったまたは出来なかったのは、結局のところ利権とか採算とかコストとかそういう問題だったから。
そういう意味では、それでもやり切られたのは俺なんか彼の足指の先の垢にも遥か遠く及ばないぐらい勿論大変まことに凄いことであるとは思いますよ。
でも偉大とまで言うとちょっと違うんじゃないの、かな、と思います。


思えば、パソコンが各職場各個人や各家庭に常備されて、その全部が繋がるようになった、というのは革命的でした。地球の裏側の情報まで誰にも瞬時に伝わり、伝えることもリアルタイムに可能になり、速報性を売りにしていたメディアは路線の切り替えを余儀なくされ、職場では如何にデジタルデータとして社内にノウハウや情報を蓄積していくかという合理化が推し進められ、さまざまなモノが形を変えていきました。
それから考えると、今はもう行くところまで行ってしまって、色々絡み合い過ぎて、これ以上は何するにも難し過ぎるのかも知れません。

でも、新しいモノらしきモノを必要以上に祭り上げるのも、結局のところビジネスの要請に過ぎないんだろうな、という感じがします。いつものように。
ビジネスな世界は、皆さんいっつも「新しいモノ」に飢えてられる。単にその方が話題になり売れるから。


という訳でここから妄想。 ※但し俺の妄想は当たりません。

テレビとスマホとパソコン、ですかね。
Windowsさんがそれに近いことをもうやってるみたいだけど。
スマホを家の居間で何かカチっと嵌めて大きいディスプレイで操作閲覧、みたいなやつ。あれの延長。
あれが、スマホ1台に、スマホとして使う用と大ディスプレイで使う用の切替自動で簡単デュアルOS搭載になってね。手元のスマホとディスプレイが同じ画面/別々の画面も切替可能。

そうなったら最早パソコンは人とのインターフェイス的なだけの役割となって、スマホはスマホとしての使用と、家ではそれをまるでカセット式のソフトのようにガチャリと嵌めて使うモノ、という認識に。パソコンは殆どディスプレイと周辺機器接続用途。
そうなるとMacはさて置きデスクトップPC用のOSはAndoroidというかLinuxベースになるだろうからMicrosoftさんとしてはこれは死活問題ですね。
となると、Microsoft vs Linux の第○次大戦争かなー。(第何次かはよくわからない)
今度はGoogleさんが付いてるからMicrosoftさんも相当しんどそう。

で、タブレットの方は持ち運びがもっと楽になり、薄くて軽くて風呂場にぺたりと貼り付けて風呂入りながら視聴やゲームも可能、なんてことになるんですかね。ならないんですかね。でもタブレットはそういう方向性以外の方向が見当たらないな。

この先は多分そんなとこじゃないですかね。今現在からの延長線上だとすると。何年かかるか知らんけど。
勿論こんなもの発明でも革命でもなくて、上の1)~3)の延長なだけだから俺にも妄想が可能なだけです。
勿論俺としては別にそうならなくてもいいです。正直もう十分です。むしろ略
いや勿論俺がそれらに付いていけなくなるなんて事態になることは全く想像していません。むしろ有り得ません。(付いていかなくなることは有り得ますが)

ついでに:
そんでテレビ見ながら操作したいから空間に画面を映す技術がこれからは注目を浴びるのではないかと妄想。これからっていつからやねんてそんなもん知るか。
いやまぁこれは人間と情報端末やゲームその他とのインターフェイスがもうだいぶ長いことディスプレイのみであったという観点から見たら革命的と言っていいです。と言ってもこれ技術としてはもうそれなりにあるみたいだから、結局のところ問題はソフトですか。採算ですか。これもいつも通り。
でもそこが変わればもの凄い色々広がるよねー妄想終わり


結果は後から勝手に・・・・・付いてこない時はあるけど。

結果は後から勝手に付いてくるというか別に付いてこなくてもいいよ、それで。と思ってる訳ですが、これはなかなか理解され難いですね。まぁそれ自体口にする機会なんて殆どないんだけども。

だから今この目の前のこれが失敗することは別に構わない・・と言ったら語弊がありますが。
自分のマネージャー的視点で見るとそうなるってことです。今目の前のそれに取り組むプレイヤーとしては勿論うまくいくことしか考えてません。
何をどうするのがいいのか考える時、短中長と色々な長さのスパンや立場で考えるのですが、単純にその3種類というのではなく時間単位だけでもなく、いくつもの何種類ものスパンや立場でモノを考え動きます。だから例えば短いスパンやプレイヤー的視点と長いスパンやマネージャー的視点でのモノの考え方や見方が矛盾してるように見えることは有り得ます。

だから何で「結果は後から勝手に付いてくるというか別に付いてこなくてもいいよ」なのかというと、それは実は自分のマネージャー的視点で、短中期の場合です。もう少し長い目、何年スパンでなくそれこそ人生スパンですね、そういう目で見たら、その考え方でやってたら必ず付いてくると思ってるからです。10回トライして2回もうまくいったらOK。そんな感じ。
死ぬまでに1回だけ、運よくとても目茶苦茶ものすごいうまくいったらいいんだろ?
それまで他は全部失敗でもいいんだろ?
ぐらいな感じです。自分の人生っていう自分にとって最長のスパンで見ると。
人間は、死ぬまで失敗出来るんだから。
死ぬまでやり直せるんだから。
だったら今の内に失敗しとけなぐらい。
いつまで「今の内」かって?そんなもん死ぬまでに決まってますよ。

そら勿論俺も取り敢えずと言えども生きていかなあかんのでお金は必要だけど、最低限のお金も支払われないとしたらそれは相手にとって俺の価値がそれぐらいってことであって、利用すらする気がないってことです。だったらそんなとこ要らないでしょ。これはお互い。

経験上、俺は余りにもノーガード過ぎて最初は大体警戒されるんだけど、ある人はその内勝手に理解してくれ、ある人はそれが何故か言える機会でもあれば理解してくれ、でもある種類の人には多分どうやっても理解されません。本当に理解不能でしょうね。そういう人は、あれはきっとこういう魂胆があるからだとか、何か企んでるに違いないとか、ありもしないことを考えられます。そんなの何もないんですけど。皆さんの役に立てればそれでいいしそうでなかったらそれまでなだけで。わからない人っていうのは、自分の想像を根拠にほんの一部の動きを捉えては後はまた妄想全開な感じでしょうか。
でも稀に、最初から、もしかしたらそうじゃないかと思ってくれる人はいます。稀に。

・・・
過去、利用するだけして使い捨ててやろうと思って近付いてきた人は何人かいました。
俺は、多分そういうことだろうなと思っても大体乗ってきました。嫌々仕方なく乗ったのではなく、進んで乗りました。そういう印象なんてのは自分も時々間違うことがあるし、そしてそれよりも、自分にとってはこれを外す訳にはいかない、という考え方が殆どないから。
外したところでその間がもったいないとか全く思わないですね。いい経験したとしか。まぁ、いい経験出来そうな仕事を優先にというのはあるかな。でもそういうような人が言ってくるのって大体ヤバそうなところだから、いい経験出来そうな仕事には困りません。この辺は自分のスキルアップ的な考え方と、もう1つそれより大きいのがゴニョゴニョ(長いので略

でも、出来ることなら、色んなことを今の内に経験しておきたいでしょ。

いつまで「今の内」かって?死ぬまでに決まってるだろ。



そう言えば、最近流行りのジョブズさん的名言「今日が最期だとしたら」みたいなのとは正反対な考え方ですよ。
人生あと80年はあると思ってやってますから。もし明日死ぬことがわかってたとしてもそうありたいと思うぐらいですから。
あんなエラい人と並べるようで申し訳ないけど、勿論殆どの場合どちらも正しくはないとは思う。



職人と商人(プレゼン)

技術屋的人間、というより俺は、そもそもプレゼンってものに大した価値を見出すことが出来ないんですよね。やるとしても仕方なくやってる。
あるモノの説明やらを凄く上手にやってそのモノが皆さんの高評価を得ることが出来たところで、モノ自体が変わる訳ではないから。
だから基本的にそういうものには余り興味がない。
モノをどうにかするとモノ自体が良くなったり悪くなったり完成度が高くなったり色々するんだから、そっちに力を使いたい。これが先にあって、その為に・・という仕方なさ。


片や商売人はプレゼンが全て。
どんなに凄いモノでも誰にも知られず誰の役にも立たなかったらそれは無価値と一緒で、だから良いモノを多くの人に理解して貰ったり周知したりそういうことはとても重要、ということはとても理解します。
けど、それがちょっと行き過ぎると、極端な話、うまいこと騙したもん勝ちみたいな話になったりもします。
基本的に、多少程度の低いモノでも高く売ってきてしかもそれで満足を得ていたりしたらとても優秀な営業マン。
営業の世界では、良いモノなら誰でも売れる、そうでないモノをいかに上手く売るかが実力、なんてことも言われたり言われなかったりします。
でもそれって買わされる方にしてみたら迷惑な話でしかないんですけども。

まぁ、知らずに満足してるんだったらそれはそれでいいのかも知れないとは思います。
これは20年ぐらい俺の中で未だはっきりした答えは出てない。
家が貧乏でインスタントラーメンをご馳走だと思って満足してる子供に、この子が可哀相だとか思ってもっと美味しいものを教えてあげる行為は良い行いなのか。
それをやって成績が上がるんだとしたら、年間500万円のVIP塾でも、中身はありきたりだけど一冊500万円する超ボッタクリ教材でも、親にとって子にとって他の誰それにとって価値は同じなのか。
みたいな話。


まぁ、両輪と言えば両輪なんだけども。
でも、技術屋しかいなくてもゆっくりながらも社会はそれなりに成立して進歩もしていくだろうけど、商売人しかいなかったらどうもならんよねと自称技術屋としては言っておきたいと思う。
どうでもいいけど「士農工商」の順番凄いな。

拡散と収束 (話の進め方)

こんばんは。
最近弟に諸刃の剣というか危険物扱いされて心外ないま岡です。
うん、まぁ、それでも触れない訳にはいかないらしい。
心外だなぁ。

という訳で、最近、「拡散と収束」的な考え方がわからない人が時々いるので困ってしまいます。いや、数学の話ではないですよ。話の進め方とかの話。
単純な話で、

・まず出す。たくさん出す。全部出す。(拡散)
・次に、絞る(収束)
・良いのが残る
・優先順位とか付ける

というような進め方です。色んなところで基本です。が・・

エラい人「何か良いアイデア募集ー」
社員A「コレどうですか」
エラい人「そんな予算ないから却下」
社員A「アレはどうですか」
エラい人「リスク高いから却下」
社員B「コレどうですか」
エラい人「前やったことあるから却下」

未だに時々こういうような場面に遭遇することがあって、えーーとか思います。
駄目な理由を探すのなんて超簡単なのに。そんな役目なら誰でも出来るからバイトのC君にでもやらせとけばいいのに。
本来はこうあるべきな感じ。

社員A「コレどうですか」
エラい人「お、それイイね。それ系で他何かある?」
社員A「アレとかコレとか・・」
エラい人「他は?」
社員B「アレとか。アレとか。あんなのとか・・」
エラい人「ほうほう。じゃあソッチ系だと何かある?」
社員B「アレとかアレとかもソッチ系になるかな・・」
・・・
エラい人「大体出たか。さて。これらの案を見ながら詰めていこうか」

出来るだけ制約を設けず出すだけ出して捻り出して後は消去法、みたいな感じか。
ついでに言うと、何かいいアイデアがあって、でも駄目っぽい理由が何かあったら、それは止める理由としてではなく「クリアすべき課題」という認識の仕方をする。
そして「妥協」は「やらない」より100倍マシ。

色んな場面で応用可能というか俺の場合は普通に染み着いてるのでこれでデフォ。
(勿論当たり前のことだからそんなん何の自慢にもならない)

ただ、関係ない話に「拡散」していくのとは意味が全く異なるのでそこは注意してください・・

年が上の人に多い気がするのはやっぱり仕様なんだろうか。
俺の兄とか。苦笑


ルーチン

以下は特に根拠のない俺の感覚に過ぎないからどこまで合ってるのかは知らないけど。
でも、最近は、どこに行ってもこれを感じるようになりました。


どうも、皆がルーチンワークを求めてる気がします。
ほんの15年20年前まで、毎日同じことの繰り返しが嫌だだのつまらないだの何だのを巷でも言われてたような気がするのですが、今は正反対で、皆さんで「変わらない日常」を死守しようと必死な感じです。
俺の年齢的世代的なものもあるのかも知れんとも思ったけどそうでもないですよね。就職戦線では公務員がバカみたいに大人気とか。

安定が危なくなってきたら安定を望み、
それがある程度ある内は違うものを望む、

という、簡単に言うと単にないものねだりか、みたいな話なんですけど。


何かをする時、ちょっとでも異論があると「おとなしくしといた方が正解」「そんなことしても自分には何の得もないからしない」「メンド臭いからやめとこ」になってしまいます。何故って面倒だから。
結果、前例踏襲が基本の当たり障りのないことしか誰もやらなくなる。そして自分の責任と仕事の範囲を限定することにやたら力を注ぐ。
そういうのを、悪い意味での「お役所仕事」って言うんですけどね。
そんなだから、ちょっとした変化どころか道なき道を行く気概なんて皆無。ゼロ。

既に誰かがやってることならやる、横並びで安心、人と同じでないと不安になる。物事の本質を見ようとせず、今流行ってるもの、今現在うまくいって目立ってるモノ・人、そういうものにばかり目を奪われる。・・・何のことはない、それって友達が持ってたらそれを理由に同じものを欲しがる小学生と同じ精神構造じゃないですか。
俺達大人なんですけど。ヨソはヨソ、ウチはウチ、でしょ?

このままじゃ危ないことになるかも知れないねーみたいな危機感だけは微妙ーーにちょっとだけ頭の片隅に持ってたりするけど、でも現実には、取り敢えず今何とかなってたら変化を拒む。何となく、これでうまくいくんじゃないだろうか。多分何とかなるだろう。あちこちに軋みが出てきても個別の問題としか捉えず、またはあえて無視。この生温い予定調和を崩すなよ、みたいな。
俺には、みんなでゆっくりドツボに落ちようぜーとしか聞こえない。


・・・
そんなところに、俺のせいじゃないなんて言い訳しながら皆さんと仲良く行く気は俺にはサラサラありませんから。
誰かとの衝突は出来れば起こらない方がいいに違いないけど、それの優先順位はそんなに高くない。違う人間同士である以上はそれもある程度は許容しないとそれこそ仕方がない。

今の時代、社内でイノベーションが全く起こらなくなった会社がどうなっていくかなんて、火を見るより明らかでしょ。好景気で放っておいても何とでもなるご時世ならいざ知らず。

試行錯誤、トライアンドエラー、模索、挑戦、etc・・とてもポジティブな言葉です。
そういうことを念頭に置いてたら、勝手に人は寛容になります。試行錯誤ってそのまんまそういう意味だから。
実際、ポジティブな考え方の人で心の狭い人って余り見たことがありません。

反対に、100%成功しないとやりません、うまくいく保証がないと出来ません、1つもリスクを取りません、って人ほど、どんどん人に対しても狭量になっていきます。面白いもので。もちろん視線はいつも後ろ向き。
しょーもないことにいちいち目くじら立てて、みんなで委縮して、ますます誰も変わったことはやらなくなり・・幅を利かすのは精神論と人のミスを挙げ連ねて仕事した気になってる人たち。そんなの、そういう目で見てたらアホでも出来るんですけどね。というかアホだからそれしか出来ない説もあるな。


そうして世の中はどんどん閉塞感に満ち溢れていきます。
そんな人達が、時代は閉塞感を打ち破るリーダーを求めてまーすって、チャンチャラおかしいわ。
そんならまず自分がやれや。どんどん出してこいや。
少なくとも俺はそういうの、全力で応援しますけどね。
これがなかなか。

ストⅡ

ええ、ストレス話Ⅱです。スマン。

かつて、ちょっと掻い摘んで話を聞くだけでクソ軟弱な俺なんかよりハナシにならんぐらい圧倒的に壮絶に苦労してきていて、その時でもどっから見ても人の何倍も働いていて、ガキの俺の目から見ても色々良くないことが次々に起こったりもしていて、それでも困った顔をするぐらいで、泣き言の一つも言ったことがない超絶強い人がいました。
俺が10代の頃に亡くなった叔母です。俺も相当色々迷惑をかけたりお世話になったりしました。
あの人のあの強さは一体何だったんだろう、とぼんやりと思ってました。

今俺にそれをやれって言われても、出来る筈がない。
自信過剰を自覚してる俺でもそう思うぐらい。

頑張ったら、一時の力としては出せないことはありません。時々、自分でもビックリするぐらいもの凄い力が出ることもあります。
でも、そんなものは絶対に続かない。
一体、あんなものをどうやったら延々ずっと何年も何十年も続けられるのか。


幸福度って何?って思いました。
モノが溢れて満たされてるのに幸せに感じる人が少ない国、片や食べるのも困ってるのに幸福感を感じてる人が多い国、この差は何。


一流どころを指してすぐ「彼は人の何倍も練習してる」って言うけど、その「人」とやらもプロなんでしょ?何でそんなことがずっと続くのか?

同様の話で「人の何倍も努力してる」ってのがあるけど、あれは凡人から見たらそう見えるだけであって、本当のことを言うと間違いですよね、多分。
彼らにとってはそれらは「努力」なんかではない筈。


「普通のこと」の筈。


結局、自分の周囲や環境や自分の中の価値観との、相対的なギャップ、そういうものが精神的に「しんどいこと」でありそれがいわゆるストレスなんだろうと思う。
これまたあくまで何かと比較しての相対的なものだから、同じ環境で同じことをしても人によってストレスを感じるところ・その度合いは全然違う。

所詮、絶対値ではなく相対値。


ということは、今までの俺今の俺の価値観が間違ってる、これで普通、と心から認めることが出来ればそれだけで殆どのことは解決するんじゃないか。
これはある部分で過去の自己否定でもあるから、もしかしたら、人によったら、難しいことなのかも知れない。


その叔母が亡くなった時、彼女の人生を思った時、余りの理不尽さに、何か色々本当に腹が立ちました。神がいるのならと、神を恨みました。
何故彼女はあれほどまでに一生苦労し通して最後までそんな人生を歩まなければならなかったのか。少しぐらい、もっと楽しい、幸せな生活を送ることが出来なかったのか、と。ああいう人ほど、報われるべきなのに。それなのに、何で俺は、何も出来なかったのか。



そうか、彼女にとってはあれが「普通」だったんだ。
きっと、俺が思うほど、不幸せではなかったんだ。


俺もまだまだ全然甘ちゃんなんだな。


ストレスフリーになる為に必要なたった2つのこと。

こんばんは。ライフハック系記事のタイトルを真似てみました。
そういう自分はお陰様でストレスフリーです。もう長いこと全然ありません。

どんなに良いことをしていても、どんなに頑張っていても、それについて「自分はよく頑張った!」なんて自分を褒めてあげてたり、そう思ってる内は色々としんどいと思います。
自然体が一番ですよ。
その為の自己コントロールというか、暗示というか、そういうものを意識することはあります。
但し・・

「これはとても良いことである」
「明日(今日)はいいことがある」
「今日も自分はよく頑張った」
「自分はよく頑張ってる」
「いずれ理解して貰える」
「自分は間違ってない」
etc

まー若干胡散臭い自己啓発系の何やかやではおすすめっぽく色々言われますけれども、俺は見事にどれも意識してやったことがありません。
だっていくら気を付けてようが時々良くないこともやってしまいますし良くないことも時々起こりますししょうもない間違いなんかしょっちゅうやらかしますもの。というか、誰にでも普通にあるんじゃないんですかね。
それらを正当化するのは間違ってるし、かと言って一生どんなミスもしないなんて絶対に無理です。それは仕事をすればするほど、ね。
いえ、それを目指すっていうのは若干別問題です。それをする為にもまずは現実は現実として認めて受け入れることが大事です。
そうしたら、何かを強引にひっくり返そうとしたり、今すぐ何とかしようとしてみたり、そういう、ともすると子供じみた発想ではなく例えば「少しずつでもそういう方向に持っていく」とか「ちょっとでもマシにする」とかの現実的で大人な対応も選択肢に入ってきたりしますがそれは別の話になるので取り敢えず横に置いといて、


俺が時々、気を付けようとすることは、たった2つ。

1) それが自分にとって普通であると思うこと。
2) それが普通である自分になること。


何か気になることがあって、それが自分にとって普通でないと思ったら(ストレスを感じたら)、それは、それが普通でないと感じる自分を何とかしよう、という考え方です。
人の考え方や状況はちょっとやそっとでは変わらないけど、自分なら大抵何とかなりますから、そのストレスな状況を解消するには、自分の感じ方や見方を変えてみる方が圧倒的に簡単です。その上で、こっちの方が良いと判断するならば、目指すべき方向や目標などを見据えて状況をその方向に持っていけるようにしたり改善していったりする、ということです。
何が正しい正しくない良い良くないじゃなくて、ある現実があるとしたら、自分はその現実を受け入れられるかどうか、ということです。というか、現実がそうなんだからそれは現実として一旦は受け入れるしかないやん?という話でもあります。
その状況が自分にとって「普通」(プラスマイナスゼロ)だとしたら、その上で改善していったら後はプラスしかありません。これは精神衛生上とても楽です。
大抵の人は、直情的に人や環境を変えようとしたり何とかしようとするから話はよりややこしくなってしまいます。そういう場合は、自分は正しいから、自分を変えるつもりが全くない。あのね、正しいとか正しくないとかはこの際どうでも良いのですよ。

例えば、
毎日10キロ走ってる人が2人います、Aさんはそれが普通、いつもの事、当たり前の事、と思って続けていて、Bさんは毎日しんどいけどそれを「頑張って」必死になって続けてます。
仮に2人の体力的な差を全く考慮しないとして、どちらが長続きすると思いますか?

というお話です。答えは、圧倒的にAさんです。

Aさんにとってはそれは当たり前のことだから、それが全く苦じゃない。つまりストレスゼロ。
Bさんにとっては、それはしんどいことであり、つまりストレス。

多分ですけど、こういう場合、世間も、「しんどいこと」を頑張ってるBさんの方をAさんよりも評価する、なんてことはしないと思います。同じことを当たり前にやっているAさんの方が何かといいでしょう。

そしてそういうようなことが人間のキャパなんだろうし、何でも頑張ればいいってもんじゃないですよ、ということです。

上記の場合、Bさん的目線の持ち方としては、毎日10キロ走ることを目標にするんじゃなく、それが普通であること、当たり前であること、と思える自分になることを目標に持った方がいいでしょう。
俺が、「自己コントロールというか、暗示というか、そういうものを意識することはある」のは、そういう時で、そういうようなことです。
他、ストレスには、例えば「あの人のあれは我慢出来ない」とかってのもありますけど、それも、そもそも我慢するのが間違ってるとも言えます。

私事ですが、自分の親の介護とかやったりしますけども、一時は多分世間的には結構シャレにならん状況になったりもしましたけども、たまーに誰かに話すことがあると社交辞令だろうけども「大変だねー」とか言われたりしますけども、俺は「大変だと思ったら負け」「俺は頑張ってると思ったら負け」ぐらいに思ってました。先は相当長いことも覚悟すると、そう思わざるを得ません。今でも大変だなんて少しも思ってません。ええ、全然楽勝です。

ついでに言うと、我慢も苦労も限界も同じようなことなんじゃないのかなぁと思います。
我慢なんてのも大抵いつか爆発します。そうでなくてもどこかに捌け口が必要だったりします。
どうしても我慢しなければならない状況があるのだったら、自分がそれを受け入れられる人間になれればそれで解決します。我慢なんてしなくて良いのですよ。
身体的痛みなど以外のでの「我慢」という状態は、物理的には受け入れていても精神的には受け入れていない状態のことです。その状態を解消するには、精神的にも受け入れてしまえばいいんですよ。許してしまえばいいんですよ。
これも、人を変えるか、自分を変えるか、より簡単な方を選びましょうってことなだけです。
たとえどんなに評価されなくても、バカにされても、罵倒されても、「うん、まぁ、(あの人にそう思われるのは)しょうがねえな」とアッサリ言えればそれでいいんですよ。その時は、ね。
その上で、何かをやろうとする時にはもの凄い内なるエネルギーが必要だったりします。これは、マイナスを何とかしようとする力でなく、少しでもプラスにしようとする、とてもポジティブな力です。力はその時に取っておきましょうよ。
くだらない感情や意地や自尊心や何やかんやなんか捨てて良し。そんなもの無理矢理通そうとしたって誰も幸せにならないですよ。
何も頑張らなくていいんですよ。普通にやれればそれで。



勿論、法令に違反してたり他の解釈の余地がないぐらい絶対悪であったり許されざるものの場合は話は別ですよ。
でも、ストレス要因の9割以上は人間対人間の精神的な軋轢、解釈の違い/価値観の違い、不安、変化、等々によって起こるものなので、大体これで何とかなります。



Twitterやってみた

Twitterは販促ツールになり得るのかって話。殆どただの感想。
えーと、物販や飲食のお店でのお話です。


普通、宣伝ってのは、基本的に余り積極的には見たくないもので、テレビ見てても、CMになるとその時だけチャンネルをあちこち変えてみたりする人も多いですよね。

それはネットでもTwitterでも同じで、明らかに宣伝とわかってるものは基本的に余り積極的に見たいものではないし、よっぽど好きな会社や気になるお店なんかでないとフォローもしてくれないでしょう。
やたらとフォロワー数多いお店とかもありますけど、あれって作ろうと思えば何ぼでも作れますよね。そんで大体が作られたそれだし。作ったそれに余り意味はないでしょう。やらないよりかは何ぼかマシとは言えるかも知れないけど。
フォロー数よりフォロワー数が格段に多いところは数少ない成功例だと思いますが、それとて何か別のことで有名になっていたりする場合が殆どでしょう。
無名なところがそれをやろうとするには無理があり過ぎます。

実際、そーれTwitterだFacebookだ、て何だかやらなければならないみたいな言い草で煽られて多くのお店や会社がやってはみたものの、宣伝効果としては殆ど感じられてないんじゃないですかね。
事実、フォローもフォロワーもそこそこいるのにもう何ヶ月も放置してるみたい、なんてお店はいくらでもありました。そしてそれで普通だと思います。

興味本位で楽しくやってる分にはそうなったところで何も問題ないと思いますが、普通のお店とかが普通にやってもそれが販促ツールにはなるのはたいへんとても難しそう。

じゃあ無名個人のツイートはどうかというと、普通の一般市民ではこれまたどうでもいいのはなかなか誰もまともに取り合ってくれなくて、タメになるノウハウや情報であったり、単純に面白かったり、或いは共通の趣味がある、何かしらの共感がある、など、フォローすることによる何らかのインセンティブが働かないとなかなかフォローしてくれない。
逆に言えば、それがあればフォローしてくれる。筈。多分。きっと。

それを更に逆に言えば、それがあってもお店や会社の公式アカウントでやると、どうせ宣伝ですよね、と醒めた目で見られる率がどうしても高くなってしまいます。何かもう最初からマイナス、みたいな。
実際、何とかフェアだの何とか祭りだのサービスだのリンク貼られて毎日流されても見る気しないっすよ・・すみません!



そこで内山さんは考えた!


例えば、
ソニーの開発の松本さん、
日本コカ・コーラの販売ドライバー山田さん、
ホンダの社内SEの鈴木さん、
近所のデパートの店員の西村さん、
生協の白石さん、

の実名アカウントだったらどうなのか。

ソニーやコカコーラやホンダやデパートの公式アカウントではなく、そこに勤めてるあくまで個人、勿論名前出しで。
ポイントは、経営者やトップクラスではなく、アルバイトや新入社員ほど浅い人でなく、それなりにそこそこの人であること。立ち位置としてはあくまで個人であって、会社としての公式な見解や発表とは、少し異なる、ということ。

そうすると、宣伝目的である、という色が、少しだけ薄くなる筈です。
そして好感持ってる企業ならちょっとは気になる筈です。
そしてツイートを見てみたら宣伝めいたことは殆どなく(たまにはある)、
そして何か時々タメになったり、キャラが立ってたり、内幕的なネタや、微妙にオモロいことを言ってる、としたら。
たまの宣伝をしてみたところで、個人的に本当におすすめのものやコメントを添えたりしてね。
余談ですが、「生協の白石さん」というのはこの観点から言ってもお見事だったのですね。どこまで意図してか知らないけど。それを読んだ人は、発言の向こうどころかそれそのものに人の姿を見ます。そしてそれこそが、商売というか営業活動のごく基本的事項。あれが「生協公式」(名前なし)としての発言集だったら、そこまで話題にならなかったでしょう。

これでどうか。

試してみました。
例えば、○○肉のお店の人が近所で商売が被ってる○○肉のお店のことをつぶやいてみるとか、ちょっとぐらい興味惹かないかな、とか。まぁ色々。
いやお前一つもオモロないとか言わないでください。わざとじゃないんです。ごめんなさい。


最初は、主に大体ローカルネタにしようと思いました。その方がローカル的には一定のシンパシーを感じられることがある筈だし、何より地名属性でフォロワーは集めやすいのかな、と。最初はローカルな繋がりから。

1~2週間、ですかね。
地元で有名な○○ネタに反応してくれた人は複数いました。
フォロワー数は少ーーしずつゆるゆる増えていく感じでした。
たまに反応もいただきました。

面倒だから3日で1ツイートぐらいでいいや、と思ってたのが何か楽しくてつい1日2~3ツイートぐらいしてしまいました。

このまま、超スローペースで超ボチボチゆるーくやっていければいいな、と思ってました。
いつの日にか、フォロワー数1000人とかいったら嬉しいなぁ、とか。
勿論、リアルなフォロワーだけで、ね。
それで1000人とかそれ以上とかいったら、宣伝効果としてもそこそこ期待してもいいツールになるんじゃないかなー。
もっと手っ取り早い方法はあるのかも知れないけど、時間をかけて自社で作って育てたモノってのは長い目で見て最強だと思います。これは、そういうツールになり得ると思いました。
時間はかかるかも知れないけど、実際問題手間としても殆どかからない。


で、やってみた感想としては、
一応自分名だけでなく会社名を出してるから、言ってもイイことと悪いことの区別が意外に難しかったですね。
社内的に、自分的には問題ないと思ってたのが、人によってアウトだったり、そういう価値観の違いはある程度は仕方ないとしても、これがどういうツールで何をやってるか理解はされてないけど何かそれマズいと思われたりすることがあるようなのはちょっと心外だったかなー。


・・ということで、色んな人に不快に思われてまでやりたいとも全く思わないので、社名出すのはやめました。一応アカウントはID変更して生きてるけど、過去ツイートも固有名詞があるのはほぼ削除。

結局、会社名を出す以上、社内的にほぼ全員のコンセンサスを得なきゃならん、という、考えてみれば当たり前の結果でした。
そんなことを言ってたら結局のところ当たり前の当たり障りのないことしかやれないんですけどね。
そんな当たり障りのないTwitterでの広告宣伝なんか、例えば新人にやらせて社内教育に利用する、とか以外に利用価値が見出せません。そしてそれこそ公式アカウントでやるべき。

ちょっと本質的なことを言うと、社内の(勿論社外もですが)コンセンサスを得るのは、本当に必要なのは信頼とか信用とかの類なんだろう、とも思います。そういう意味でも時期尚早だったのかも知れません。
時期尚早って言っても、そんなことをチンタラやってたら、機が熟した頃にはもうなくなってたりするかも知れないですけどね。それは仕方ないな。
そこをうまいこと何とか出来なかった俺の実力不足とも言えます。

まぁ何だ。
会社人というのは何をやるにもなかなかメンド臭いよねーというお話でした。

また次頑張ります。


・・末筆ですが、お相手してくださった皆様、ありがとうございました。いきなり消えるのも失礼にあたるかと思い、IDを変更してアカウントは残しております。せっかくなので、この後は普通にお遊びで使おうかと思います。よろしくお願いします。


割引セールとか。

○月×日から割引セールをやります。
原則、割引セールの公表は当日または前日です。

でも、それまで、例えばその直前に買いに来られるお客様には何か申し訳ないから、事前告知したいんだけど・・
でも、生鮮食品だから、それをやってみんなに買い控えられても困るよねえ・・

というご意見が。

・・・
そこで内山さんは考えた!

セールと割引率が同じようになる(且つ、対象商品としては異なる)セットものの販売を期間限定で売り出しましょう。期間はそのセール前日まで。
それと同時に割引セールの告知をやりましょう。

あくまでセットものとしてのものだから店としては割引セールとは若干意味合いが違い、情報の受け手としては同じような割引セールであって対象商品が違うだけ、にも見えて、つまりどちらが欲しいかをその時点で選択が出来る。
割引セールってのは店としては滅多にやらないけど、セットもの販売は今後もその内出来ればやっていきたいと思ってる(但し俺が)ので、その試金石にもなる。

そしてその情報は会員さんへのメールでしか流さない。セットものも会員限定。
少なくとも多少は好感を持っていただいてるお客様へのちょっとしたインセンティブ、と考えても良い。筈。



更に、割引セール公表時、対象品目を追加して発表。
これは「その直前に買いに来られるお客様には何か申し訳ない」には完全に反する訳ですが・・・事前告知そのままじゃつまらないです。告知した以上、小さくてもいいから、何らかのインパクトやサプライズは必要、とまでは言わないけど、あった方がいい。何かにご期待いただけるのなら、その期待以上のことをやろうという姿勢を見せましょう。小さくても良いです。今後のことも考えるとむしろ小さい方が良いです。まずはそれをやることが大事。
戦略とかマーケティングとかブランディングとか小難しいことは言わないけど、こういう小さな工夫はどんどんやっていきたい。そういうものの積み重ねでしょう。もう何ていうか俺がそう思うんだったら俺が率先してやるべき。いや、俺がっていうか、実際問題は各部長さんや皆さんにお願いするだけなんですけど。つーか俺がやれるんなら俺がやりたいわというのはさて置き。超アッサリ採用してくれた部長さんブラボー。多謝。
今は「今思い付きました」みたいに思われて良いんですよ。その方が都合がいいぐらい。事前に計画すると必ず反対や疑問が出てまたその調査や説得や調整がメンドいから。それで結果何もしないなんてことになったら俺がしんどいだけで終わり。そうなるとさすがにアホらしくてやってられん・・となる日が多少なりとも近付いてしまうというか、そういうの俺はソートー耐性ある方だと思うけど俺だってキャパはある訳で。
「ウチはこれでいい」「俺はこれでいい」が最大の敵。全てにおいて。かと言っていきなりゴッソリ変える必要まではなく、少しずつ、一歩ずつでOK。

それで取り敢えずやって、それでうまくいかなくても別に誰も損しないし、うまくいったら次からは計画してこれが出来るようになる。筈。というより計画してやりましょうという提案が非常にし易くなる。結果、説明説得コストは激減。俺の。いや今回も俺は一人で勝手に計画してたけど。それもそれとして。



何かうまくいった!(多分)


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カップヌードルのCM

すみません、何しろテレビ見ないもんで、そんなCMがあるなんて知らなかったんですけど。
カップヌードルCM バガボンド編)



強い者などいない
強くあろうとする者、いるのはそれだけ
ひとりひとりが強くあろうとする日
日本が少し、前に進む



この国には、底力がある。



・・・
感動した!
しかも井上雄彦のナレーションて



・・・
ガンダム編のも激しく感動した!
クロマニヨンズも最高
ないない。これはない。



どんだけカッコええねんアンタら

以上!

東海テレビの「セシウムさん」検証番組

「セシウムさん」問題で、報告というか何か検証、みたいなそういう番組っぽいのを見ました。暇かとか言うな。
ちらっと見てしまうとこれが意外にもちょっと勉強になる内容だなと思ってつい見てしまったんですよと何故か言い訳。

当選者
怪しいお米
セシウムさん
怪しいお米
セシウムさん
汚染されたお米
セシウムさん

東海テレビさんによると、テスト用ダミーデータとして作成されたCGが放送されてしまったとの事。
「出る筈のないものが出てしまった」ミスに関しては、単なる技術的なミスだから割とどうでも良くて、もうちょっと管理出来る体制にしたら?ぐらいの感想しかありません。
もしもそこで出された名前が「山田太郎さん」やら「ホゲ山権三さん」やら「郷ひろみさん」やらだったら視聴者の皆さんと郷ひろみさんにごめんなさいしてその時放送中だった通販の稲庭うどんさんに土下座して終了でしょ。だからそこは大した問題じゃないです。
問題は、その文字が「怪しいお米 セシウムさん」だったこと、でしょ。

で、これ、その時に作られたCGが例えば

薄給激務の放送局下請け
人間扱いしてさん

韓流激推しの
フジテレビさん

何でこいつらに
ナベツネも日枝ももうイラネさん

とか、更には

濡れた人妻
ま○こさん

SM王
思い切りぶってさん

とか、

だったらどうだったか。
そんなものがもし作られてたとしても、放送までは至らなかったでしょうね。多分恐らく。どこかで止まってた筈。
普通に考えれば、最初にタイムキーパーさんがそれを見た時点で必ず直せ今すぐ直せこんなものが万に一つでもまかり間違って放送されでもしてしまったらどうするんだよボケが!!!とかブチ切れて、その上で内々に、何らかの処分なり或いはその下請け会社ごと切られたり、とか、なってたかも知れない。
それでも見逃されてしまったとしても、「リハ用に何か出して」と言われてもそんなもの出さなかったでしょう。
この場合、「リハ用だし、放送されないんだからいいんじゃね?」は通用しません。多分恐らく。


でも、「セシウムさん」は放送されてしまいました。

つまり、アレに携わった皆さんにそこまでの意識はなかったってことです。
そこが最も大きな病根。

なのに、検証番組では、その最も大事なところ、「よくそういうことやってんの?」という質問も報告もありませんでした。

これは精神論でありコンプラ何とかの問題。



大した問題じゃない方の、技術的なミス、体制、ということで言えば、本当は、放送されてしまったことが問題なのではなく、放送される前段階まで行ったことが問題なのであって、やろうと思ったら少人数で簡単にそれが出来てしまう、ことが問題。
今回だったら、東海テレビや何やに恨みや悪意を持つ人間やちょっと頭のおかしい人がタイムキーパーと製作者の、たった2人いたら、それが可能だった訳ですよ。
どんなに頑張ってもイカれた人ってのは一定確率で存在するもので、だからそれをどう抑止・防止するかっていうのは、非常にシステマティックでロジカルな問題。重過失でも同。
こっちは精神論では一生解決しない。
問題が起こっても、「気を付けろ」「必死にやれ」「ミスをするな」「何回も確認しろ」で、携わった個人個人の責任にして終わらせるその辺のオヤジと一緒。
この点で、「気が緩んでた」「油断してた」みたいな関係者の反省みたいな話があったけど、そうじゃない。そこは精神論じゃない。そこはシステムの問題。
それが絶対にあってはならないことなら、絶対にそれが不可能なシステムにしなければいけない。それが簡単に可能であるということが問題なんですよ。


何かそれら(精神論とシステムの話)が混同されてた印象。

最後に下請けさん達のアンケートを紹介されてたけど、皆さんここぞとばかりに、下請けの扱いが酷過ぎるんだよ!ボケ!!それが最も悪いんだよ!!!みたいな回答が多かったらしくそれはちょっと気の毒に思えました。酷いらしいという話は聞いたことはあるけど。テレビ局はテレビ番組を作らなくなった、下請けに丸投げ中抜き何故ならそれが最も利益率が高いからとか、そういう話で。

どこまででも前向きな理由

何で俺はどこまででも前向きなのかとふと考えてみたらとても簡単でした。

答え:120歳ぐらいまで生きる気まんまんだから。


いやね、実際は70歳とか80歳とかそれより下とかで死んでもいいんですよ。というか多分そうなるんでしょう。
でもそこは敢えてわざとらしく目を背けてですね。あくまで希望ですから。希望するぐらいタダですから。誰にも迷惑かけてませんし。
ただ出来ることなら、死ぬその日まで、明日のこと来年のこと何年も後のことを考えて生きてたい、といいますか。
よく老醜とか老害とか言うけども、それは多分、過去の栄光とか地位とかどこかにしがみついてるような状態のことを言うんじゃないかな。それがより誰かの何かの為になったりするんなら何歳でもいいんじゃないの。

例えば、ある仕事を辞めることが決まった時、会社のシステムとしては重要なポストや仕事から外れるのはいい、むしろその方が良いですよ。
でも、例えば、与えられた仕事をそれだけやってればいいよって言われたとしても、その「それだけ」をやってても、色々なミスやら懸念やら展望やら何やらに気付いてしまうことは多いです。実際。
そういうある日、明日で辞めることになってたとして、来月リリースするシステムの仕様書を何となく眺めてたら、今は見逃されていてすぐには気付かなくても本番稼動し始めて推定数ヶ月もしたら多分恐らく殆ど確実に気付かされますよこれ、みたいなことを発見してしまったとします。
それを誰かに説明するのも何か色々メンド臭いです。要らんことを言うと、お前明日には辞めるんやから関係ないやろみたいな視線も無きにしも非ずです。そんな時どうしますか。

自分は明日で辞めるから知りませんか。関係ありませんか。
そんなことしても自分には何の得もないからやるだけ無意味ですか。そうですか。
そういう種類の人もいることは承知していますが、少なくとも自分はそうではありません。
それをしても多分誰も損しないし、それが誰かの為になるのならそれでいいじゃないですか。メンド臭かったら、誰かそれなりな人間にぼそっと言って、その人が気付いたことにしといてもいい。何の問題もない。


それで120歳まで生きると仮定したらですね。

自分の位置を、生まれてから何年、ではなく、死ぬまで何年、と考えるとですね。

何と、人生あと80年もありますよ、奥さん!

これは今の20歳の若者にも勝ってしまいます。

例えば、人を採用する時に考慮することの一つに、「伸びしろ」ってのがあります。今は経験ないからアレだけど若くて伸びしろがあるからこっちの方がいい、とかね。

その伸びしろ。ええ、負けませんよ。いつだって。
10年前の俺は本当にアホだったな何も知らなかったな、などと思うことがあります。しかも10年前も同じことを思いました。これはとても恥ずかしい迷惑かけたごめんなさいなどの思いがあると同時に、10年後も20年後も同じことを思える人間でいたいです。幸い、生きてる限り、多分、「知らないこと」には困りません。
未だに、自分の知らない領域にも平気でしれっと踏み込めます。自分にはこれは不可能である、みたいな領域は自分から作ったりしません。むしろ一生作りません。いやこれは若さゆえの無鉄砲さではなく実を言うと経験がそうさせるのだけど。大概のことは目茶目茶恐ろしいし気が重いけどやってみたら大概のことは何とかなります。時々何ともなりませんがそれは若気の至りってことで。まぁね、その「時々起こること」が怖くて怖くて仕方がないのですけど。
更には、何かを得てしまうと、失うことの怖さとかあるそうですけども、俺の場合、大体のことは、失ったらまた取り戻せばいいじゃない、ぐらいのノリでいます。
それでいて経験もあります。今までも結構濃密だったんじゃないかなと自分では勝手に思ってます。
・・こ、これは最強じゃないのか。


・・・
人生○年だから、有限だから、そこから逆算してー今の位置はこうでー何歳でどれぐらいでー

とか、そういう人生設計してる人から見たらとんでもなく馬鹿な話なんですけどね。
特に、怪しいビジネス系や自己啓発系の、俺から見るとちょっと目が吊り上がり気味な人達には理解出来ないだろうなぁ。


でもね、俺なんていつだって道半ば、死ぬまで道半ばですよ、きっと。
むしろ道半ばでいたいぐらい。何でって、楽しいからですよ。それ以外何もありません。
苦しんだり泣きそうになったりもがいたり足掻いたり嫌われたり重圧に潰されそうになったり土下座したり、躊躇いも限界も孤独も((c)LINDBERG)、ね。
そういうのも全部ひっくるめて楽しいからですよ。これ本当。


人は、歩みを止めた時に、挑戦を諦めた時に、年老いていくのです(アントニオ猪木)よ。


問題があるとすれば、人様世間様はそうは見てくれないってこと。
例えば70歳で全部失って、ふむ、また一から始めるか、ってなっても、そういう俺以外要因によって実際問題なかなか難しい場合はあるんだろうと思います。
でも、経験と知識もやたらとあるだろうから、俺のことだから、そういうハンデがあってちょうどええわ、ぐらいに思うんだろうとも思います。

自分がどんな70歳になってるか楽しみでもあります。
それまで生きてるかな

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とても面白い。

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というより殆ど師匠。
まずは「My Trading Life」を読み
ましょう。但しこの人の真似をす
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