適当なブログ

適当に。

2011年02月

最近流行りの何ですか

俺:
> いつの時かに新しい「考え方」や「見方」を自分の頭の中に取り
> 入れることを諦めて、頭の中がいつの時代かで止まっています。
> その代わり時代に置いていかれてるような気だけはするらしく、
> 新しい「モノ」にだけは時々興味を示します。

これ、何でなんだろうな、と思ってたんですよ。
新しいモノ好きなくせに自分は新しいモノや未知(数)なモノはやらないやりたがらない。チャレンジって言葉に置き換えてもいいカモ。
何でも一貫して保守的ならまだわからないでもないけど、そうじゃなくて、何か知らんけど新しいモノはやたら気になるらしいんですよ。

・・これって、多分恐らく、興味や好奇心はいつもある一定程度は持ってるってことなんですよね。
でも同時に、新しいことを体験しようとするとそれに伴うしんどさやメンド臭さもある程度勝手に想像してる。
と、考えると、

興味 > 想像的メンド臭さ → やる
興味 < 想像的メンド臭さ → やらない

というとっても単純な式になりました。
そんでこの式をそれよりも若干具体的な例を挙げると、

新しいサービスを受ける: 歓迎
新しいことを自分がする: 嫌

ってことになるんですかね。
あと誰かがレールを敷いといてくれないと何も出来ない、やらない、とか。酷い場合は敷いてくれてもまだやらないとか。それ、どんだけ坊ちゃん嬢ちゃんなのか。

俺?俺はいつもいつも「世間的に」新しいモノなんか全くと言っていいほど興味がありません。殆ど好奇心もゼロ。どうでもいいです。ツイッターもFacebookもiPadもクラウドもえーとあと何だ、まぁええわ。何しろ興味がありません。そこにそういうツールがある、便利だったり楽しかったりしたらそらまぁ俺も使うと思いますよってだけの話。
そんな流行り廃りみたいなものにいちいち興味はないけど、結果として色々やってることはあります。「自分にとって」知らないこと新しいことは普通に日常的にやってるから、時々結果的に勝手にそうなってます。
でもねえ、動き続けて何かしら得続ける人間と、それをしない(興味はあるけど受け身でしかない)人間、10年も経ったらえらい違いになってますよね・・多分。

古くても新しくても誰かがやっててもやってなくてもそれとは関係なくイイものはイイ。必要だったり良いと思えることはやる。そうでないものはそうでない。そんだけの話なんだけど。

ある手紙

ブログネタ
介護 に参加中!
何が言いたいってことはないです。
こんなの、書いたから何って訳でもないです。
ただ、こういう手紙が来ました。何となく、誰かに伝えたいと思いました。誰でも良いです。それだけです。

自分のところが特別だとは全く思っていません。
むしろ普通なんじゃないかと思っています。
これからはもっと普通に、或いは「恵まれている方」になっていくのかも知れないと思っています。
関係各所の公的なサービスや、色々な方のご厚情には感謝ばかりです。
でも、状況が悪くなることはあっても、良くなることはないのでしょうね。


この手紙の宛名の「お姉ちゃん」というのは66歳、京都在住です。
その旦那は69歳で、元々色んな持病があり、数年前に脳梗塞をやらかしてからはほぼ寝たきりです。性格は超我が侭です。苦笑
家族との、(少なくとも家族にとっては)長い長い我慢比べの後、このところは余り無茶は言わないようになってきました。
糖尿も持っていて、週3回の透析と同じく週3回のデイサービスに行って過ごしています。
認知症などではないですが、反応は薄くて、新聞を毎日見ていますがわかってるのかわかってないのかよくわかりません。
脳梗塞の回復後暫く経ってからはベッド脇のポータブルトイレには自力で行けるようにはなっていましたが、最近では体力の衰えから、自力で行けなくなってきました。
私の両親です。
この状況で、今後、母が身体を壊しでもしたらと思うとぞっとしますが、同時に、覚悟もしています。せざるを得ません。

差出人は、その妹さん63歳、富山在住。私から見ると叔母にあたります。
その両親、私から見ると母方の祖父母にあたります、祖父96歳、祖母93歳で年の割には元気ですが、やはり色々としんどくなってきたようです。
祖母は肺の機能が弱くなってきていて、呼吸を助けるチューブを24時間付けています。認知症の症状が少し出てきています。
数年前まで、祖父は畑仕事をライフワークのようにしていて、畑まで自転車で通っていて、その年までちゃんと自転車に乗れていたのが驚きとも言えますが、それが危険過ぎる為、畑仕事はやめ(させられ)、今は絵を描いたり、彫刻のようなものを作ったりして過ごしています。認知症はありませんが、もともと耳が遠かったのがこのところ酷くなってきていて、コミュニケーションを取ることが難しいことも多くなってきました。
色んな意味で男前の祖母と、素朴で実直で、バカ正直を地で行く祖父です。戦争経験者で、戦場で自分が死ぬようなギリギリの瞬間、実弾が飛び交っているさ中の光景を面白おかしく話してくれたことがあります。目茶苦茶優しいです。私はこの2人が大好きです。

もう7~8年前ぐらいになりますか、
祖父母は長男(私から見ると叔父にあたります)夫婦と住んでいたのですが、祖父母とその長男の嫁との折り合いが悪くて、最終的に大喧嘩して家を追い出され、今は公団住宅のようなところでの2人での生活となっています。その長男夫婦とは完全に絶縁状態で、今はその孫が何をしているかも知りません。

差出人の妹さんは、自分のお子さん(私から見ると従兄弟にあたります)はもう大きくなって完全に手が離れているので、ずっと泊まり込み、というより、殆ど普通に住んでいる状態ですが、何とかやれているようです。


(改行や句読点なども原文のままです)

お姉ちゃんへ

毎日、まだまだ寒い日が続いていますね。
富山の方も、又雪でいやになります。

先日は誕生日、間違えてしまいました。
(ごめんなさい)

相変わらず、父母の所に泊っています。
二人共、なんとか元気にすごしていますが、
やはり大変です。

特に母は、酸素をしているため、チューブ
がはずれたりするので気がぬけません。

先日もヘルパーさんが来ているからと、安心して
大和へ久しぶりに買いものをしていたら、
TELがヘルパーさんから、かかり、母のチューブ
の電源が切れてしまい、電気入らない!
と、言われて、、慌ててもどりました。

何か電気のつかいすぎか?
コタツ、クーラーなど電気が
切れてしまっていて、2人共、
寒い寒い~と言っていました。
主人にも来てもらい、ブレーカが落ちていたの
です。

私も一日中、父母の所にはいないのですが、
一つの電源から、コタツ、アンカ、トイレ
など使いすぎてたらしいです。

この頃は、電気も消すことも忘れてるし
で大変です。

父も、しっかりしていると思っても、年は年・・・
もう、自分の事だけと、お酒のむことだけ
です。

先月から、ショートステイに行く様に
しましたが、お酒を小ビンに入れていく
と言うので、大ゲンカになりました。
大好きなお酒で、楽しみにしてるのは
分りますが、困ります。

時々、ストレスが溜まり、どうし
ようもない時もあります。

先日、私の家の近くに、介護施設が
建つらしいので、話しを聞きに行きました。
しかし、介護3~4,5でないと入所
はムリだと言われました。

父と母は、食欲もあるし、なんとか歩いて
るし、、ちょっと無理なみたいです。

もう一つ、父の方は尿モレがひどくて、
オムツをする様に言っても、聞かないのです。
尿モレパットだけ、あててるので、下着は
汚れるし、ディーにいっても、ズボンも
取り替えて借りてくるのです。
本当に、頑固で困ります。

母はパンツをぬいでは、オフロ場に
ポイポイ。

これが毎日のくりかえしてです。
この先...どうなるかわかりませんけど、
正直、一人は病院に入院していた
方が楽です。

「ホームページが営業の代わりをやってくれたら」て。

あるところで、
「ホームページでウチの製品売りたいんやけど」
とか言われて、一瞬で色んなものを悟ってすこぶる気が重くなったけど一応話は聞いてみました。
で、
「ホームページが営業の代わりをやってくれたらウチは営業要らんようなる」
などと真顔で言われてしまう訳です。

まぁね、そーらウィンウィンの関係だ!なんて言ってね、素晴らしい未来と妄想をプレゼンして煽って、ってやる人はやるのかも知れないけど、あいにく俺はそういうことはしてません。

それでその人の話を聞いてみて、とても熱心だったり何か問題意識を持たれてたり自分なりに勉強されてたり、或いはどちらにしろその内必要なんだろうなとか俺が思えたり、それとこれ大事なんですが素直に説明や話を聞いてくれたり、だったら俺もそれなりに真面目にそれなら大体こういうことになって大体これぐらいかかるのが一般的今後は大体こういう方向性などと説明したりお勧めしたりはしてみるんですけど、この方の何となくのイメージ・想像と現実に乖離があり過ぎて、最低限の説明をするだけで結構な時間と労力がかかってそれでいて俺の力では理解されるかどうかもかなり怪しいというか多分恐らく表面的にはわかったと言ってくれたとしても概ね大体こういう人に限ってその実さっぱりやる気も理解する気もないので、こっちも懇切丁寧に説明するだけアホらしい訳です。
普通に考えたらそんなウマイ話なんかある筈がないのに、ことパソコンやネットのこととなると、何か知らんけどもの凄い便利な魔法のツールみたいに思われてる訳です。

この場合の「やる気がない」とは、1つはお金を出す(投資する)気がないということで、もう1つ大きいのが完全受け身でサービスを受けるだけで自分も知恵を絞ったり具体的な提案や希望を言ったり協力したり参加したりする気もサラサラないということです。
「要するにナンボかかるんや?」という事と、金さえ払ったら後は何とかしろや、みたいな認識でしかありません。(そしてナンボぐらいかかりますと言ったら、いくら安い金額を提示したとしても、こっちの説明を理解されてないから取り敢えず値切り倒してこられる・・ことが多い)
そういうものは「売って終わりのモノ」ではないので、良いサービスをしようと思ったら依頼者の協力は不可欠ですが、協力を求めても、或いは説明をしようとしても、そんなもん金払ってるんやからお前らで何とかしろ、みたいな感じですかね。
その方の協力がない・説明も聞かない、のだったら少なくともその方以外の責任者・担当者を置いて貰わないといけないし、それも置けないのならその担当者の代わりをやる分の料金もいただかないと、時間や労力だけでなく責任やリスクも大きなものとなってしまう為、到底無理な話です。そうなると更に料金が跳ね上がってしまうのは自明、でしょ。

言われた通り作って売って終わり、後は知らん、ってことでいいんなら、まぁいいかと言えばいいんですけど、実際そういう訳にもいきません。それだけでは、確実に、100パー、望まれる結果にはならないことがわかってるからです。それがわかってるから、やっぱりそんなことはしたくありません。
システム的なものを入れようと思えばそういう意味でコンサルは必須で、尚且つ継続的なコンサルでなければかなり苦しいものがあるのですけれども、理解のない人は特にそこに理解がなくて、「言われた通り作って売って終わり」形式に思っていて、そのツールさえあれば後はそれで何とかなるとか思ってる訳です。
適当に自動販売機みたいなの買って、後はちょこちょこ補充するだけみたいなことするだけでほっといたらいいみたいに思ってる訳です。

この溝は簡単には埋まりません。
やんわりと、簡単ではない旨をお伝えすると、
しまいには30万ぐらいは出してもいいよ、みたいなことを言われて、何というか、いくら何でもそれはない。
その効果を人1人雇うことと同列かそれ以上にすら期待してるのに30万て。
法人だったら「静的なサイトで作り切り後知らん」でも普通のとこでそれぐらいかかる訳ですが・・そこの会社のサイトは知り合いにやって貰ったらしく数万て言ってましたが・・だからその数倍出したら何とかなるやろ、とか考えてるのかなぁ。
普通に考えたらそんなウマイ話なんかある筈がないのに、ことパソコンやネットのことになると以下略。

まぁね、どのレベルを求められるかにもよりますけれども、まともにやろうとすれば確実に桁変わります。ちょっと頑張ったら2つぐらい変わります。そしてそれで普通です。
それでもうまくいけば人員やら営業所やら増やしたりすることなんかに比べればコストパフォーマンスとしては圧倒的なものがあるので導入するとこはどんどん導入してる訳です。

この乖離っぷりは俄かには信じ難いかも知れませんが、こういう町工場みたいなところではまだまだそんな認識の方も結構おられて、まぁ俺もそういう方達、の中から説明すればそれなりに理解していただける方達を対象とする仕事になるんですけれどもね、世間一般レベルとこういう方達の乖離ってのはどんどん広く酷くなっていってるなぁと思わずにはいられません。というより、俺らと世間一般レベルがまだまだ絶賛乖離中、なのかも知れません。こういう人達って、中小な会社の社長さんや役員クラスでも俺の知り合いでも何人もいます。年代で言ったら、大体概ね俺ら世代がボーダーになってるっぽい感じがしますね。

継続的で地道ーな作業と努力と小さな閃きと、新しいことや知らないことへも平気で踏み出し倒せる小さな(時には大きな)勇気と、そういうものの地味な積み重ねでしかないんですけども、錬金術師か魔術師のようにさっと杖を一振りでほーらこの通り、みたいな。
別に自分のやってることを理解して欲しいとかそういうことではなくて、何というか、普通に考えましょうよっていうか。
大体ね、そんな楽でカッコ良くてお金もたくさん貰えるような仕事だったらみんなやってますよ。俺らの仕事なんて新3Kとか学生に超不人気とか言われ出したのって何年前の話だ。もうだいぶなるよな?

彼らは、いつの時かに新しい「考え方」や「見方」を自分の頭の中に取り入れることを諦めて、頭の中がいつの時代かで止まっています。その代わり時代に置いていかれてるような気だけはするらしく新しい「モノ」にだけは時々興味を示します。
結果、彼らはもうとっくに古くなってる考え方にすら理解が追い付いてないんですよね。そしてそれだけなら仕方ない面があるとしても、説明しても理解しようとすらしない人は俺の手で何とかしようとするには俺は余りにも力が足りません。

ちょっと阿漕な業者から見るとそれっていいカモみたいですけどね。
依頼した方はそれでも「やってる」気になって、自己満足だけして何の役にも立たずにその内終わるか、その後怪しい売り込みな人にあれが悪いこれが悪い言われて結果的に金ばっかりかかって大した効果はなく引くに引けなくなって・・てパターンが最も多いですかね。
まぁね、そういうバラ色の未来をプレゼンしてくる業者さんには勝てませんわ。勝つ気もないけど。

関係ないけど、デフレの真っ最中に異常にインフレを恐れてる人達もそういう人達なんだろうな。
多分、思考がインフレな時代で止まってる。

やれやれですわ。

コミュニケーション(能力)とか

1)それほど難しくない
・冷静客観にデータを見る。統計を取り、分析する。(→ そして次の施策に生かす)

これは自分的にはそれほど難しいとは思っていません。
世間には変な統計やら意図的な分析が溢れていますが、ということは、相対的に言うとこれは俺の得意分野ってことになるんかなと思っています。
あるデータがあったとして、それに対する分析とか結論とかは新聞や雑誌やネットやどっかに載ってるようなの(勿論人にもよりますが)より自分でやった方が100倍信用に値します。今のところ。

2)それなりに難しい
・聞くこと
・伝えること
・ある人の言っていることを、その人の意図通りに理解すること(たとえそれが間違いであったとしても)

いつもいつも自分には言葉が足りず、いつも何らかの誤解を伴って伝わっています。
それに対する好意/悪意、肯定/否定に関わらず、俺が伝えたいことを理解しようとしてくれる人に対して俺は好感を持つようです。誤解だらけで理解しようとすらしてくれない人は好きにはなれません。理解してくれた上での批判なり反論なりは全然OKどころかむしろ大歓迎なんですが、最初から理解しようという姿勢もなく揚げ足取ることばかり必死になって誰にも何のメリットもない批判だけするような人は本当に勘弁して欲しいです・・。
でも、コミュニケーションってのはそういう人に対しても誤解なく伝えなければいけない。難しいなー
「聞くこと」の方でも、理解しようとしてはいるけど、時々、あるところで「理解したつもり」になってしまう自分がいます。実はわかってないことの方が多いことを肝に銘じたい。

3)もっと難しい
・自分のどこのどの辺に自分のポジショントークが入っているかの認識
・いわゆる「バイアス」のことでもある

自分がいかに自分に都合のいいデータを信じ、採用しているか。
自分がいかに自分に都合のいい論理を信じ、採用しているか。

実はこれは1)と矛盾するんですけども、それでも、何年前だろ、少し前に、何度か痛切に感じました。
「AだからBである」という論理なのに、本当は、「Bという結論が自分に都合がいいからその理由となるAに着目」し、そして「AだからBである」と言う。
ありていの言葉で言うと、「結論ありきの」ってことです。
時々、意図せずこれをやらかしてることがあります。

なかなか難しいです。
プロフィール

imaoka2

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