『いつかアイスマンへ・・』

親父の墓の霊園を下見に行った。

初夏を5月を思わせる春らしい陽気だった。市内にこんな霊園があるんだな~と。

まだ新しく、こじまりしていて、今風のこぎれいな賃貸住宅のような感じで、好感が持てた。

墓も仏壇も母と弟が決めてきた。弟は昔からマメな性分で、今のそのようだ。


私は、昔のパソコンを引っ張り出し、初期化して廃棄する準備をした。

1台はスムースに言ったが、もう1台は専用ソフトを捨ててしまったか失くしてしまったかで。

それがなくて、苦戦したが、ダメそうだ、叩き壊すとか別の方法を探らねばならない。

人が死ぬと葬儀やお墓であれこれお金がかかるようだ。

自分なら、そんなものいらない、とかつて残したエンディングノートにはあったが、そんなに

簡単にはいくまい。

年金ではお金の不安は解消できない。


同僚がスキーに行くと聞いた。

いいな~と思った。スキーは自分の中ではドライブと似ていて、音楽に乗って、別の世界に行けるそんな感じがするのだ。

アルプスでは、5000年くらい前のミイラが見つかった。凍死ではなくいざこざで死んだようだ。

山ではそんなロマンもあるようです。

筋肉痛だけでなく、慢性的な人生疲労の蓄積が癒えない寿命も枯れ果てようとしているのだろう・・・

『超回復』

ここひと月ほど、働き方改革とは真逆のように労働に集中した。

ようやく、一息ついた。

日本社会も会社も、WBCの日本代表のように、プレッシャーの中すれすれを歩いている、そんな風に見える。

企業は明日倒産するかのような危機感を煽り、従業員は会社を辞めれば、死刑宣告か村八分が待っているかの

ごとく、恐れおののき、それこそ正気か正義を失ってしまっている。


久しぶりに、激しい筋肉痛になった。マシンの握り方を変えただけで、稼働する筋肉が違ったようだ。

マシンを使うとき、腕が震えたくらいで、肩が上がらぬほど筋肉にダメージを与えたようだ。

私は詳しくないが、筋トレはプレッシャーを与え、それを修復することで筋線維が強くなるという。

しかし、その為に超回復期間と言って、休ませることが必須だという。


町に唐揚げ専門店がオープンし、それを頂いた。

町の大きなショッピング店が、閉店すると聞いた、

最近、オープンするのは、決まってパン屋か動物病院、あるいは眼鏡屋か食の専門店ばかり・・・

チェーン店ではないカフェの前を歩いていると、そのオーナーかその息子と出くわした。

同級生だったが、同じクラスにならず、会話したことがなかった。

また、父へお線香をあげに来てくれた自転車さんは、彼の母親をのせてきた。

みんな30年来ぶりだったろう、同じクラスにはならなかった。

きっとお互いの存在は知っているだろう。

地元に入れば、そんなことに出くわすこともある。


ここは超回復する場所なのかもしれない。


『次へ・・・』

肉体的疲労は消えてようだが、お腹の調子が崩れた。

5日続けて、過敏性腸症候群の薬を飲んだのははじめてのことだった。

そのことがより症状を悪化させていったのか、副作用なのか腹痛が激しかった。

本来、飲んではいけないときに撮ってしまったと考えたが、精神安定の為に、連投を指示した。

薬の効力のあるときは、腹痛を鈍痛を起こし、それが治まると安定期はやってくる。

薬の効力が切れた頃に、下痢になる、そんなことを繰り返した。

体は、体内のものを排出したかったようで、それをあがない、拮抗がこんなことになったのだろうと・・・


親父の兄さんから手紙が届いた。長男で一族を代表している。

私が会社を辞め、異国に向かうときに長男の長男とたままた出くわし、泊めてもらったことがあった。

そんなとき自分自身の考え方のようなものをビール、ワインを飲みながら喋ったようで、そのことで、

一族にもこんな素晴らしい考えの持ち主だと期待していた。あるいは、葬儀のときに私が、2度の手術などで

病気で苦心していることを聞いて、勝手な意見としてアドバイスしていただいた。また今は爺さんの家を守り、

山で暮らしているから、山や自然はいいぞ、たまには遊びに来い、そして趣味を持て書いてくれた。


いつものカフェで、人生をこれからをいつものごとく考えた。

答えなんてでやしない。今の自分を肯定的にとらまえる。

パククネ大統領のように、国家や何かに独身を捧げるまでの覚悟も要件も何もない。

弟夫婦は定期的に遊びにやってくる。老夫婦には楽しみだったようだ。親父が亡くなると、

その意味は余計に増すようで有難い。

弟夫婦と息子は今風で、友達関係のようだ。僕の描いている夫婦親子関係ではないが、

安心して託せる、そんな気がする。


次の次の旅程をそそくさと決めてしまった。

かつて本を書いて、その冒頭に記した町に向かう、何かと出くわす、かもしれない、と。

僕の旅行先も行き詰まっているのだろうか・・・


人生はこれからでも遅くないと、手紙にはあった。

これから、何かがはじまるのかもしれないし、そうはならないのかもしれない。

でも、どちらでもいい、そんな気がする。


『3月の日曜日』

確定申告の書類を郵送した。昨年は医療関連が大量にあったのが今年はないので、

簡単に申告書作成を終えた。

母はあれこれ、世帯主やら自動車の名義変更、法事に日程やらたいへんだ。

 私は次の旅行のホテルの仮予約を済ませた。

3月になり、春めいた日々が増えてきた。前の夏もこの冬も自分の周りでは穏やかだった、そんな気がする。

父の妹からもらった米がすこぶる美味しい、握り飯を食べ、雑炊を流し込んだ。


親父は食べられなくて弱っていったが、猫は外に出すようになると、目つきも鋭くなり、

木に登るまでになっていて、これまでよく戻していたが、そういうこともなくなり、

食欲も増し、抱いてみると、お腹周りが太っている。

ここのところ、自分も食欲がすごくて、いくらでも食べられるようになっている。

慢性的な運動不足で、カロリー大量摂取で、未知の領域の体重が見えてきた。

通夜や告別式の写真をみると、弟の方が老けている、そんな気がする。

私を弟と言った親戚がいたが、やむを得ない・・・・

弟の方が活動的に動いてはいるが、私の方は落ち着きているように感じる。

自分の落ち着きは、諦めの部類からくるものだと感じている。


『扁桃摘出手術後671日』

気がつかぬうち静かに、徐々に味覚は戻りつつあるようです。

最近では味覚が気にならなくなりました。

最も気になっていた旨味も大方わかるようになりました。

汁物、味の薄めのものも飲めるようになりました。

ただ、手術前の状態かといえば、まだ少し物足りないような気がします。

9割方回復と言ってよいでしょう。

ほっと一安心しています。

『二度、死なない』

月曜日に、咽頭炎の寒気が走った。麻黄湯を飲むと、勢いが思いとどまったようだ。

用意したロキソニンに出番に待ったをかけた。この漢方との相性はいいようだ。

キーボードについにビールをこぼし、壊してしまい、新しいのを頼んだ。

なかなか寝付けなかったのが、うそのように、よく眠れる週で、代わりに疲労感が抜けない、

疲れ切ったような体だった。瞼を閉じればいつでもどこでも眠れる、そんな感じだった。

食欲も元気になったのは、貰い物も高めの梅干しのおかげだろう、なんて美味しんだろう。

タイで買ったお粥の元と合わせ、おにぎりに入れた。

香味シャンタンでチャーハンを作れば、意外にイケた。

思い出したように確定申告の書類を作成し、早く完成した。

母は親父関連の事務処理を始まった、僕とは比較にならないくらいの事務作業を要する。

人生でなんども経験しないような作業だ、普段からそういう作業には慣れているとは言うが、

私の疲れなんて比較しては申し訳ないほどの、連日の忙しさのように見える。

人は二度死ぬと聞いたことがある。

1度目は肉体の死、2回目は人々の記憶から消えてしまうことだという。

父も母もそれほど人間関係が濃厚だとはいいがたい。母は友達や兄弟を大事にしなさいといってきたのは

きっと自戒の念からだったのだろう。それでも、馴染みのバイク屋さんやパン屋さんが来てくれた。

そういうひっそりとした世界で生きてきたのだろう・・

・・・それでいいのだと思う。

私の中で、親父は1度だでけ死んだように思える。

僕もそんな風であろうと、思った。


『マラッカ海峡』

親父が亡くなり、通夜や告別式を終わった。

僕は平静に戻りつつある・・・

・・・そんなセレモニーの中で、久しぶりにネクタイを締め、スーツをまとった。

10年ぶりに革靴を履いた、先が割れていた、そういえばと10年前を思った。

革靴は磨かなくとも、ぴかぴかに光沢があり、シューキーパーに収まっている。

母は先が割れていることを気にかけ、自分ではほとんど目立たないと思ったが、葬儀屋さんに言って

ボンドを借りてきた。しかし、瞬間接着剤でも靴先の開きをくっつけることはできなかった。


親父がそう長くないとは考えてはいたが、急に亡くなるとは思いつかなかった。

親父は前日風呂に入れてもらい、それがきっかけかで、体温の低下がみられ、衰弱していったと思われる。


若い女優さんが出家し、北の長男がマラッカ海峡で、沈められた。

やはり、マラッカ海峡は鬼門なのだろうか?

ここ数年、マレーシアの上空で何かが起こっているようだ。


私は自分の上空で起こっていることを真剣に考えた。

出家よりも沈められることがいいのだろうか。


次にマラッカ海峡に出くわすとき、僕の本当の出家に向かうことになるだろう。


『帰国、路線検索』

定刻通りに扉はしまった。しかしなかなか動かない。

動いたと思ったたのろのろと、進み、何度も止まった。機内アナウンスがあり、どうせ離陸の順番待ちだろうと

予想したが、飛行機の霜だか氷を溶かすというが10分かかると流れた。

 結局20分くらいかかり、ようやく離陸となった。

何か神経が高ぶっていて眠れない。高畑充希の恋愛映画を観た、彼女がOL役のイメージがるのが

それでわかった。退屈な映画で、8倍速をかけながら、やっつけた。


成田空港の到着が1時間近く遅れた。飛行機は3×3列の小型で、それ違うのも苦労するタイプで、

座席にモニターはついているが、ゲームができない簡素なものだった。そういうことで出口と通路は一つの

もので、チェックインのとき、一番前が空いているのでどうするか?聞かれたことを思い出して後悔した。

なかなか出られない。改めて、帰宅までの路線検索をした。ぎりぎりだなぁ~

ようやく機内からでると、早足早足、入国審査はさっと通った。

ふむ?そうだった。荷物を預けたのだった。まだ出てきていない。

そういうこともあって、待つ時間もあるから後方の座席でも良しとしたんだっけ。

まして荷物はソウル駅で預けらから心配でもあったが、最初に出てきた。ここから電車の時間まで7分。

少しダッシュして、JALカウンターで宅配の手続きを済ませた、残り5分。焦っている様子を感じ、手短かに

やってくれた。後は地下に降りて、少し離れたアクセス特急のホームへ滑り込むことだだった。

意外に距離はなかったようで、3分前には電車に乗ることができた。

やれやれだ。いつものようにFMを聞きながら、再び路線検索をすれば、遅延案内があった。

しかし、遅れていた電車で辻褄が合い定刻通り辿り着いた。

着いた途端お腹がうごめきだした。

夜中には突然寒気が走った。

また風邪のようになってしまったのかもしれない。

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