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京都に来たのは、最後の1日をイメージした時に行く場所が京都御所だったからだ。

 

 

京都御所の空は広い。

 

丸太町通りの方から木々のトンネルを抜けていくと、いつも想像の1.5倍くらいの空がそこにある。

 

 

昔、18歳の頃に浪人生としてぼくは京都に1年住んでたんだけど、最初に京都御所に行った時の驚きを今でも忘れない。

かなりどん詰まりの様相を見せていた、18歳の春。

うまく喋ったり、笑ったりすることができなくなって3年ほど経っていたころ。

あの春に、京都御所に行った時に何か今まで感じたことのない「広がり」を感じた。

何かが前進して、うまくいくかもしれないという、根拠のない爽快感があった。

そう思いたかっただけなのかもしれないし、今振り返るとそう思うというこじつけかもしれない。

 

そしてその後、京都を離れてからも時々、この空を見に来ていた。

それだけ自分にとっては価値があるものなのだったのだ。

 

 

結婚して、子供もできた。

しかし、なんだか煮え切らない気分だった30代。

このままでいいのかな。という気分だった。

最後の1日を想像してみよう。

そうすると、行く場所の一つにやっぱり京都御所があった。

 

色々と考えたけどやっぱり京都に行こう。

そして、やって来た。

 

 

最後の1日を描いた時に、何をあなたはするだろう?どこにいるだろう?

もちろん、そこに行って、それをすれば全てが片付くわけではない。

 

 

ぼくもあと40年以上生きるつもりで、家族もいる。

だけど、そうやって逆算して、行動してみたのはなかなか悪くない選択だったなと思う。

 

何をやって生きていくかは明確じゃなかったけど。

 

でも行動してみて、少しづつこうやって文字を書くことで掘り進んで解明しているところだ。

 

この本がなんだか、ワクワクしました。

ぎゅっと背中を押してくれた。